スズメがお米を食べる理由 (千葉県の民話)
むかしむかし、石堂寺と言うお寺の仁王さまが門の前に立っていると、一羽のカリが飛んで来て言いました。
「大変、大変! 仁王さま、小鳥たちの親が病気になってしまいました!」
「何だって! ではすぐに、子どもの小鳥たちに知らせよ!」
そして、知らせを受けたスズメの子どもは、
「それは大変だ!」
と、慌てて親の所へ飛んで帰って親の看病をしました。
おかげで親の病気は良くなり、親は死ななくてすんだのです。
ところが知らせを受けたツバメは、
「すぐに帰って来いと言われても、こんな格好ではね」
と、自分の身なりを気にして化粧に時間をかけたため、親の病気は悪くなって親は死んでしまいました。
そして同じように知らせを受けたコウモリは、
「今、遊んでいるところだから」
と、親の所へ帰ろうともしなかったのです。
さて、その事を知った仁王さまは、
「親孝行なスズメは、とても感心だ。これからは、おいしい物を食べて暮らすように」
と、人間と同じ様にお米を食べる事を許したのです。
しかし、遅れてしまったツバメたちには、
「親の一大事に遅れるとはけしからん」
と、 スズメの様にお米を食べる事は許さず、稲が実る頃になると遠い国へ行くようにと命令したのです。
そして、遊びほうけて帰ろうともしなかったコウモリには、
「お前のような奴は、顔も見たくない! 一生暗い所で生活していろ!」
と、昼間は暗い洞窟に隠れて、夜になってからこっそり外へ出るようにと命じたのです。(おしまい)
スズメとキツツキ (アイヌ動物話)
むかしむかし、そもそものはじめには、どんなけものでも、どんな鳥でも、おなじ母をもっていたが、ある日鳥の女たちがあつまって、いれずみなどをしていた。
いましもスズメが口もとへいれずみをほどこしていると、凶事の知らせがきていうには、
「母がいま死のうとしていて、死ぬまえにむすめたちにあいたがっている。」
というのであった。
そこで大ぜいの小鳥たちはぎょうてんして、われさきにととびだして、ずんずんいってしまった。
スズメは、おどろきのあまり、
「おけしょうは、いつだってできる。だからどのようにさまがわるくても、かあさまの死にめにあいましょう!」
といいながら、いれずみの水をのこらず、じぶんの頭の上にぶちまけた。
──そのために、スズメはたべよごしたようなくちばしをし、全身なにかぶっかけたように見えるのである。
母は、ひじょうによろこんで、
「おまえはほんとうに、親孝行だから、いつまでも、おいしい穀物ばかりたべるでしょう!」
といった。
──だからスズメたちは、つねに穀物ばかりたべているのである。
それからキツツキはさいごまで、さんざん、めかしにめかして、いうことには、
「かあさんは死んでも、いちばんおめかしして、いちばんきれいだったら、いちばんいいでしょうよ!」
といいながらいくと、神さまがばっして、
「おまえは、じつにじつに親不孝なやつだ。ふとどきしごくであるから、いまよりのちは、くち木をつつきつつき、虫ばかりたべて、だれからも愛されないであろう!」
と、おつげがあった。
──だから、いつまでもキツツキは、木をつつきつつきしているのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社 】
スズメとキツツキ (秋田県)
むかしむかしのことです。
おしゃかさまがなくなるというので、世のなかは大さわぎになりました。
「たいへんだ、たいへんだ。おしゃかさまがなくなるんだと」
「とうといおしゃかさまがなくなるんだと。こうしちゃいられない」
世界じゅうの生きものたちが、一ぴきのこらず、おしゃかさまの宮殿へかけつけていきました。
スズメはちょうど、くちばしに黒いおはぐろをつけているところでした。
ありがたいおしゃかさまがなくなるというので、スズメは大あわてでおはぐろをつけかけたまま、とんでいきました。
スズメはどうにか、おしゃかさまの死に目にあうことができたのです。
けれども、森にすむキツツキは、まにあいませんでした。
おめかしやのキツツキは、赤い布を買って、着かざっていこうとてまをとっていたので、とうとう、おしゃかさまの死に目にあえなかったのです。
こうしてスズメは、ほっぺたに黒いおはぐろがついていて、みにくい顔になってしまいました。けれども人間と同じように、お米をたべることをゆるされました。
いっぽう、キツツキは赤いこしまきをしめていて、すがたはきれいですが、お米をたべることをきんじられてしまいました。そして毎日、朝から晩まで一生けんめい木をつつき、毛虫のようなものだけをたべて、生きていくようにされてしまったという話です。
【 日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社 】
すずめときつつき (青森県津軽地方)
むかしのむかし、すずめときつつきとは二人の姉妹(あねいもうと)であったそうです。
親が病気で、もういけないという知らせのきたときに、すずめはちょうどお歯黒をつけかけていましたが、すぐに飛んでいって看病をしました。
それで今でもほっぺたがよごれ、くちばしも上の半分だけはまだ白いのであります。
きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、ついにだいじな親の死目(しにめ)にあうことができませんでした。
だからすずめは、姿は美しくないけれども、いつも人間の住むところに住んで、人間の食べる穀物を、入用(いりよう)なだけ食べることができるのに、きつつきはお化粧ばかりきれいでも、朝は早くから森の中をかけあるいて、「がっか、むっか」と木の皮をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
そうして夜になると樹(き)の空洞(うつろ)にはいって、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と泣くのだそうです。
【 日本のむかし話(一)・柳田国男・ポプラ社文庫 】
スズメになった若者 (和歌山県の民話)
むかしむかし、あるところに、貧乏ですが正直者のおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日、おじいさんがいつものように山へたきぎを取りに行くと、どこからともなく、おいしそうなお酒のにおいがただよってきました。
(はて、不思議な事もあるものだ)
おじいさんがにおいのする方へ歩いて行くと、竹やぶの前に出ました。
すると、どうでしょう。
竹やぶの中には竹で出来た酒だるがあって、スズメたちがそのまわりでチュンチュンと楽しそうにおどっているのです。
(これはこれは、なんて可愛いスズメたちだ)
おじいさんがニコニコして見ていたら、一羽のスズメが飛んできて、
「さあ、おじいさんもお酒を飲んでください。このお酒を飲むと良い事が続いて、きっと幸せになりますよ。チュン、チュン」
と、言うのです。
おじいさんはスズメたちのところに行って、そのお酒をごちそうになりました。
「うん、これはうまい」
こんなおいしいお酒は、今まで飲んだ事がありません。
それに一口飲んだだけで心がウキウキし、体が元気になってくるのです。
すっかりご機嫌(きげん)になったおじいさんは、スズメたちと一緒になっておどりはじめました。
♪酒がうまいぞ、いい気持ち。
♪チュン、チュン、チュン
♪はあ、こりゃこりゃ
♪チュン、チュン、チュン
おじいさんのかけ声にあわせて、スズメたちもおどります。
もう楽しくて楽しくて、おじいさんは時間のたつのも忘れてしまうほどでした。
やがて夕方になって、ようやくおどりが終わりました。
「いやあ、楽しかった。ありがとう」
おじいさんはスズメたちにお礼を言って、帰っていきました。
さて、おじいさんの家のとなりに、なまけ者の若者が住んでいました。
おじいさんの話を聞くと若者もそのお酒が飲みたくなって、次の日、さっそく山へ出かけていきました。
お酒のにおいのする方へと歩いていくと、おじいさんの言ったとおり竹やぶがあって、スズメたちがお酒を飲みながらおどっています。
若者は、竹やぶに入っていくなり、
「おい、おれにもその酒を飲ませてくれ」
と、言いました。
するとスズメたちは、首を振って言いました。
「このお酒を飲むととんでもない事になるから、やめたほうがいい。チュン、チュン」
「うるさい。はやくよこせ!」
若者はいきなり酒だるをつかむと、一息にお酒を飲んでしまいました。
すると、どうでしょう。
若者の体はみるみる小さくなっていき、口は口ばしに、手は羽に変わって、とうとうスズメになってしまったのです。
スズメになった若者は竹やぶを追われて、チュンチュンと鳴きながらどこへともなく飛んでいきました。
そしておじいさんの家ではスズメたちが言ったように良い事が続いて、やがて村一番のお金持ちになったという事です。(おしまい)
ツバクラとスズメ (奈良県)
むかしむかし、ツバクラとスズメはきょうだいやったそうな。ツバクラがなあ、
「親が病気や。」
と言うてきたが、
「待っておくれ、べにもつけんならん、かね(おはぐろ)もつけんならん。」
と言うて、ゆっくりして、美しぅおけしょうしていたら(行ったら)、その間に親が死んでしもて、親の死にめにも会えなかったんや。
それからツバクラはなあ、
「ツチクテ、ムシクテ、クチャシブーイ。」
と鳴くようになったというのや。土や虫しか食べられんようになったんやな。
同じきょうだいでもスズメはなあ、みの着て田で仕事をしていたが、みの着たまま走っていたので、親の死にめに間におうたんやて。
そしたらなあ、スズメは田へ行ったら米もこぼれとるし、虫もいるし、なんぼなっとようけ(いくらでもたくさん)はんまい(食べ物)あるようになって、人間と同じように米のめしを食べてくらすようになったというのや。
(話者・中村サワ、再話・中田太造)【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編・日本標準発行】
腰折れスズメ
むかしむかし、あるところに、心やさしいおばあさんと欲深いおばあさんがとなり合わせに住んでいました。
ある朝、心やさしいおばあさんが、ほうきで庭をはいていますと、庭のすみの草むらでチイチイと悲しそうに鳴くスズメがいました。
「おおっ、可哀想に」
心やさしいおばあさんがスズメを手のひらにそっとのせますと、なんとスズメの腰の骨が折れているではありませんか。
おばあさんはそのスズメを家へ連れてかえり、一生懸命に看病しました。
するとだんだん、スズメの傷は治っていきました。
ある日の事、スズメが何か言いたそうにしています。
「どうしたんだい? ああ、元気になったので、お家に帰りたいんだね」
おばあさんがスズメを庭先に出してやると、スズメは元気よく飛んでいってしまいました。
「よかったわ、あんなに元気になって。でも、あのスズメがいなくなると、なんだかさみしいね」
それから何日かたったある朝、いつものようにおばあさんが庭をほうきではいていますと、なにやらなつかしい鳴き声が聞こえてきます。
「あれあれ、あんたはあの時のスズメかい? うれしいね、会いに来てくれたのかい」
スズメはうれしそうに鳴くと、おばあさんの前に小さなタネを落として、そのまま飛んでいってしまいました。
そのタネは、ひょうたんのタネです。
おばあさんはスズメにもらったひょうたんのタネを、庭にまきました。
やがて秋になり、スズメのくれたひょうたんは立派に成長して、たくさんのひょうたんが実りました。
そしてすっかり大きくなったひょうたんを取ってみると、なんだかすごく重たいのです。
「おや? どうしてこんなに重たいのかね? 何かが入っているような」
おばあさんがそのひょうたんを割ってみますと、不思議な事に中にはお米がたくさんつまっているのです。
「あれまあ、不思議な事もあるものだね」
おばあさんは、そのお米でご飯をたいてみました。
そのご飯の、おいしいこと。
おばあさんはそのひょうたんのお米を近所の人にくばり、あまったお米を売ってお金持ちになりました。
さあ、それをねたましく思ったのは、隣の欲深いおばあさんです。
欲深いおばあさんは庭で遊んでいるスズメに石をぶつけてつかまえると、かわいそうにそのスズメの腰の骨をむりやり折ってしまいました。
そしてその腰の折れたスズメをかごに入れると、そのスズメに毎日えさをやりました。
「さあ、はやく良くなって、わたしにひょうたんのタネを持ってくるんだよ」
そして、一ヶ月ほどがたちました。
「もうそろそろ、いいだろう」
欲深いおばあさんは、スズメを庭に連れ出すとこう言いました。
「今すぐ飛んでいって、米のなるひょうたんのタネを持ってくるんだよ。さもないと、お前をひねりつぶしてしまうからね」
スズメのキズはまだ治っていませんが、こわくなったスズメは痛いのをガマンして、そのまま飛んでいきました。
それから何日かたったある日の夕方、毎日庭先でスズメが帰ってくるのを待っている欲深いおばあさんの前に、あのスズメが現れました。
「やれやれ、やっときたね」
欲深いおばあさんはスズメの落としていったひょうたんのタネを拾うと、それを庭にまきました。
そのひょうたんのタネはどんどん大きくなって、秋には立派なひょうたんがたくさん実りました。
「よしよし、これでわたしも金持ちになれるよ」
おばあさんが包丁を持ってきて、一番大きなひょうたんの実を割ってみました。
すると中から出てきたのはお米ではなく、毒ヘビやムカデやハチだったのです。
「ひぇーーー!」
他のひょうたんからも毒ヘビやムカデやハチなどがたくさん出てきて、欲深いおばあさんにおそいかかったという事です。(おしまい)【出典・三六六日の昔話「福娘童話集」】
※ 日本昔話の一つで、「舌切りスズメ」のもとになったお話。
※ よく似たお話しが、外国にもあります。 ロシアの昔話 → 「大きなスイカ」
酔っぱらったスズメ (長崎県の民話)
むかしむかし、あるところに、お父さんと息子が二人で暮らしていました。
ある日の事、お父さんは息子に言いました。
「隣の国ヘスズメを持って行けば高く売れるそうだが、一度にたくさんのスズメを捕る方法はないかなあ?」
すると息子は、
「そんな事は簡単だよ。酒のカスとツバキの葉っぱがあれば大丈夫」
と、言って、酒屋に行って酒のカスを買うと、庭にあるツバキの葉っぱをかごに一杯につみました。
そしてスズメの来そうなところにツバキの葉っぱを並べて、その上に少しずつ酒のカスを置きました。
「後は、スズメが来るのを待つだけだよ」
二人は木のかげに隠れると、スズメが来るのを待ちました。
しばらくすると、
♪チュンチュンチュン
と、スズメたちが集まって来て、酒のカスを食べ始めました。
やがてスズメたちは酒のカスに酔っぱらってしまい、ツバキの葉っぱの上へコロリと横になったまま動かなくなりました。
そして太陽の光がツバキの葉っぱを温めると、ツバキの葉っぱがクルリンと丸まって寝ているスズメをすっぽりと包み込んでしまったのです。
「さあ、今のうちだよ」
息子は、ほうきで葉っぱをはき寄せると、俵(たわら)の中に入れました。
お父さんはさっそく、スズメの入った俵を舟に積むと隣の国へ売りに行きました。
「さあさあ、よく太ったおいしいスズメだよ。買った買った」
お父さんの声を聞いて、大勢の人が集まって来ました。
「まさか、死んでいるスズメじゃないだろうな」
「とんでもない。ほれこの通り、ゴソゴソ動いていますよ」
「本当だ。それなら売ってくれ」
「はいはい。みんなきちんと並んでください」
これほどスズメを買う人がいるとは、お父さんは知りませんでした。
(これを全部売ったら、どのくらいのお金になるだろうか)
お父さんは考えただけで、うれしくなってきます。
ところが俵の口を開けたとたん、スズメがいっせいに飛び出して、あっと言う間に空へ飛んで行きました。
酔っぱらって寝ていたスズメは、すっかり目が覚めてしまったのです。(おしまい)
【出典・三六六日の昔話「福娘童話集」】
すずめとばあさま (千葉県利根郡地方)
外はもう雪が三日も続けてふっています。こん金せい精とうげ峠を越えて、日光から来る旅人も絶えて、宿場町は、昼間でも眠ってしまったように静かです。
お爺さんは、キセルを吹いて、スポンと煙草の火を、ろ炉び火の中に捨てると、孫の私を相手に昔話を始めました。
「今日はな、毎日のように、庭さあ飛んできて、優しい婆っさまが投げてやる餌を食う、スズメ達の話をするべ。」
むかし、かまた鎌田の宿にやさしいば婆っさまがいたんだとさ。
山に、桜の花が満開の春のことじゃった。
この村の、スズメ達は、すっかり婆っさまに慣れて、肩に止まったり、手に乗ったり、入れか替わり立ちか替わり、楽しく遊んでいったんだと。 じい爺さまに先立たれて、さび淋しかったばあ婆さまは、このスズメたちと仲良くしていることがうれしくて、うれしくて、まるで自分の子供みてえに可愛がったんだと。
んだがよ、となり隣に住んでいる意地悪婆さまには、これが目ざわりで、「チュンチュン」鳴く、スズメが、うるさくて仕方なかった。
ある日、このいじわる婆っさまが、石を投げると、やさ優しい婆っさまと、いちばん仲良しのスズメにぶつかってな、石に当たったスズメは、羽をけが怪我して、しばらくバタバタしていたが、どうしても飛び上がることが出来なくて、動けなくなってしまった。やさしい婆っさまは、ぶっ飛んでいって、スズメを抱き上げると
「ひどいでねえか。おめえに何も悪さしたわけでもねえのに。」
「へん、あんまりチュンチュンなきやがってうるせえからさ。だから、石をぶつけてやっただ。ざまあみろ、みんな逃げ出して、一羽もいなくなって、静かになったべ。」と、気持ちよさそうに言うと、家の中に入って、ピシャと、戸を閉めてしまったそうな。
「かわいそうに、かわいそうにのう。」やさしい婆っさまは、怪我したスズメに、薬を付けてやったり、箱の中に入れたりして看病した。
そんなことで、何日かすると、スズメはすっかり元気を取り戻し、「チュンチュン」とみんなのところへ帰っていっただ。ところがその怪我をしたスズメはそれきり帰って来なかった。
いじわる婆っさまは、
「ほうれみろ、おん恩知らずのスズメだのう。おめえがあんなに大切に世話したのにのう、かえってこねえ。そんなのにしょうこ性懲りもなく餌まいて、おめえは馬鹿だなあ。」と言って、手をたた叩いて笑った。
その後、婆っさまは心配で、いてもたってもいられねえ。怪我の具合が悪いんじゃねえか、それとも隣の婆が、おっかなくて、もうもどってくれねえのか。
とうとうがまん我慢できねえで、帰ってこない、スズメを探しにでか出掛けることにした。
「おらんちのスズメっこは どこだぁ。おらんちのスズメっこはどこだぁ。」
つえ杖を引きずって、探して歩く婆っさまのすがたみて、むらの人達は
「あの婆っさま、裏切りスズメを、さがしまわってるということじゃが、とうとう気が狂ってしまったんかなぁ。可愛そうにのう。」とひそひそ話をしておったが、そのうちに子ども達は
「スズメの婆さん 気が狂うた。おらんちのスズメっこはどこだぁ、おらんちのスズメっこどこじゃいなー」と、まね真似をして、はやし立て、笑いものにするようになってよう。そんでも婆っさまは、毎日杖をついて探しにでかけただ。
「スズメっこ、どこさいっただー、しんじまったんじゃなかっぺなあ、はよ帰ってこうやー。」
スズメが、飛んでいった空見て、なみだながしている婆っさまは、本当に気が狂ってしまったように見えた。
春が行って、夏も過ぎて、回りの山っこがきれいに紅葉さしてな、田畑さ豊かにみの稔ってさ、すっかり秋になった。けども、婆さまは空ばっかり見て涙ながしていただ。
すると、ある朝のこと、あの懐かしい仲良しスズメの声がきこえてきただ。
「おーい、どこにいるんじゃー、はよ来ーい。」
すると、高え雲の割れ目から、一羽のスズメが一直線にすっーと下りてきて、婆っさまの手のひらに乗っかった。
そんで、スズメっこは、ちっちゃな足にしっかりにぎ握っていたなんかの種を婆っさまの手の上に置いて、
「おばあさん、ごめんなさい。これを春になったらま蒔いてください。」
ーチュンチュンー鳴いた声が婆っさまにはそうきこえただと。
それからしばらくの間、昔のように、肩に乗ったり頭に乗ったりしながら遊んだんだと。
村の人や、子ども達はそれを見て安心した。今までみんなで、馬鹿にしたり、からかったことが恥ずかしかったんだ。みんな、もともと、心の優しい人達だったんだ。
春が来た。婆っさまは、一粒の種を庭にま蒔いた。 夏になると、でっけえひょうたんみてえな実が三つなっただ
一番目の実を切ると、中から、小指くれえの職人達が、ぞろぞろ、ぞろぞろ出てきたんだと。だいく大工もさかん左官も、屋根屋も〈雀〉って書いた、はんてん半天を着てびっくりしている婆さまに 「いいあんべえで。」といいながら、すぐに仕事に取りかかって、あっ、と言う間に、新しい家を建ててしまったんだと。
二番目の実からは、ふわふわっとけむり煙が出てきて、煙の向こうから、何と、死んでしまったじ爺っさまが歩いてくるでねえか。 婆っさまはうれ嬉しくて
「爺っさま、お前様、本当におらの爺っさまだあ。」と言ってな、あとは口をもぐもぐさせて、わあわあ泣き出した。
さていよいよ、三番目の実を切ると、あたりが一瞬光に包まれて、ぐるぐる、ぐるぐる回りだした。婆っさまは、目を回して、気を失って倒れてしまった。
どれくらいたったかなあ、ずーっとのような気もするし、すぐだったような気もするし、わかんねえけど、気がつくと、回りはすっかり変わっていてのう、さび寂しい「かまた鎌田の宿」は、町になっていたんだと。
新しい町んなかで、婆っさまは、新しい家に住んで、昔のようにかわいいスズメっこに、餌をまいて、爺っさまと仲良く暮らしたとさ。
「いじわるの婆っさまはどうなった?と、さあどうなったべか。」
外は相変わらず雪が、こんこん降っていて、話し終わった、お爺さんは相変わらずキセルで、うま上手そうにたばこ煙草を吸っています。
母子(ははこ)とスズメ (岩手県)
むかし、東北の各地で、天気がわるかったせいで作物がとれず、ききんがつづいていたころのことです。
岩手県の山の中にある、柴波(しば)の湯沢の里でも、アワやヒエさえみのらない年がつづいていました。
そんなある年の、九月六日のことです。
目のみえない母親が、まだ十歳にもならないむすこに手をひかれ、つえをつきながら、湯沢の里にやってきました。湯沢の里にわく温泉が、目の病にもきくときいたからです。
母と子は、どこからやってきたのかわかりません。ふしぎなことには、この親子がきてから、湯沢の里ではアワやヒエが、またみのるようになったのです。
たべるものがなくて苦しんでいるのは、人間だけではありませんでした。この里のたくさんのスズメたちもまた、うえていたのです。アワやヒエさえみのらないので、スズメたちはどこかへすがたをけしていました。ところが、またみのるようになったので、ふるさとの湯沢にまいもどってきたのです。
母とやってきた小さな男の子は、あそぶ友だちがいないので、このスズメたちとすっかりなかよしになりました。スズメたちも、チュンチュク、たくさんあつまってきて、男の子のまわりをはなれません。
けれども、作物をあらすスズメは、里のお百しょうにとっては、にくい敵です。そのスズメをよびよせて、かわいがっている男の子などゆるすことはできません。
「おらたちの口にはいるまえに、スズメが畑で作物をくいあらしてしまうんじゃ。なんのためにおらたちが、スズメおどしまでつくってよ、スズメをおっぱらっているのか、あの子にはわからんのかね」
「どこからながれてきたのかわからんあんな子は、この里におくことはできん。母親は目がみえんから、気のどくにおもっていたが、里からでていってもらわなけりゃならんな」
男の子は、村のものたちにいじめられて、なくことが多くなりました。すると、母親もいたたまれなくなったのでしょう。秋もふかまって、ちらちら雪がふりはじめるころ、母と子は湯沢の里をあとにしました。
小さな男の子は、さむさで赤くはれあがった手で、目のみえない母親の手をひいていきます。母親はつえをつきながら、それでも、
「ほれ、石はないかい。足もとに気をつけろや…」
と、おさないわが子を気づかい、やっと山を一つこえました。
もう日がくれかかったころ、ふたりは、つかれはててうごけなくなりました。
これからどうしようかと、谷川のほとりにすわってさむさにふるえていると、なん千羽ともしれないスズメたちが、空をおおうようにとんできました。
スズメたちは、じぶんたちの小さなたまごのからの中に湯をいれて、くちばしにくわえていました。さむさにこごえる母と子のために、湯沢の里の温泉の湯を、はこんできたのです。 スズメたちは、その湯を谷川にそそぎました。するとふしぎにも、そこから新しい湯が、こんこんとわきだしたのです。
「おっかあよ。スズメたちのおかげで、湯がでた。湯がわいたんじゃ。ほれ、さむいから早く湯につかったらいい」
湯がわきだしたこの谷川のほとりに、岩あなもみつかりました。母と子は、その岩あなにすむことにしました。
ところが、この谷川で湯がわきだすと、湯沢の里の湯がすっかりかれてしまったのです。そればかりか、親子が里からでていってしまうと、またまたききんがつづいて、スズメたちも里からみんな、親子のいる谷川のかたわらの竹やぶに、うつってしまったのです。
「考えてみると、なにもかも、あのふたりがいなくなってからじゃ。あのふたりが里にいたときは、作物もよくみのってくれた。あの親子は、おらたちのすくいの神だったんじゃ」
湯沢の里の人たちは、山を一つこえた谷川のほとりに、あの親子がいるときいて、みんなでむかえにでかけましたが、そこにはもう、ふたりはいませんでした。
湯沢の里のお百しょうたちは、親子を里からおいだしたことを、いまさらながらくやみましたが、もうどうすることもできません。そこで、つぎの年の九月六日、すっかり湯のかれた湯つぼのあとに、ふしぎな親子が里にやってきた日を記念して、小さなお堂をたてました。そして、雀堂(すずめどう)と名をつけて、親子といっしょにスズメたちもまつることにしました。
目のみえない母親と、おさない男の子がうつっていた谷川には、それからも、ますますゆたかな湯がわきだしました。そして、やがて「つなぎの湯」として知られる温泉になったという話です。
【日づけのあるお話 9月のむかし話 谷 真介 編・著 金の星社】
蠅(はえ)と雀(すずめ) 【沖縄県国頭村】
昔、蠅と雀がいました。
蠅と雀は友達でしたが、ある時ちょっとしたことで喧嘩(けんか)になって蠅は雀に負けそうになりました。それで、雀のことを憎らしく思った蠅は雀をやっつけてやろうと思って王様のところへ行きました。
蠅は、「王様、雀は王様の倉の米を全部盗んで食べています。王様に大変無礼なことをしていますので、雀を罰して下さい。」と言いつけました。これを聞いた王様は怒って、「これは見逃しておけん。」と言って、家来に雀を呼ばせました。
何も知らない雀は、「何ですか。王様」と言って王様の前にかしこまって座りました。王様が、「雀よ。お前は許しておけん。」と言ったので、雀は王様がどうして怒っているのか分からず、大変驚きました。
「王様、私が何をしたのですか。何か悪いことをしたとでもおっしゃるのですか。」
「お前は自分で悪いことをしたのもわからないのか。みんなから集めた私の米を全部お前が食べて、私は残りを食わされている。お前のような奴は罰してやる。」
「これは大変なことになった。何とかしなければ。」思った時、雀は王様が怒っているのは、もしかしたらあの蠅のしわざ仕業かもしれないと思いました。そこで、「王様、私より蠅のほうがもっとぶれい無礼ですよ。」と言いました。
「何だと。そのわけを言え。」と王様がたず尋ねると、雀は「私は王様の倉の前に落ちている米をいつもそうじ掃除しているだけです。しかし、蠅は王様のごちそう御馳走を王様がはし箸をつけない前に、きたな汚い足でご飯の上に上がって食べて、その残りを王様が食べているのですよ。」
王様はびっくりして、「そうか、そうかそういえばそうじゃな。」と言って今度はけらい家来に、「蠅を呼んでまい参れ。」と言いつけました。蠅は自分が勝っていると思って喜んでやってくると、「蠅よ。お前はもう許さんぞ。」 と王様が怒ったので、蠅はびっくりしました。
「な、何ですか。どうして雀が悪いことをしているのに私を許さないとおっしゃっているのですか。」
「お前の話は通らない。あの雀は倉におさ納める時にこぼれた米を食べて、掃除をしているのだ。それとくら較べると、お前は私が箸もつけないうちに、私の御馳走の上を飛んだり、先に食べてしまって、その残りを私が食べているではないか。許さんぞ。」
「王様、お許し下さい。どうか罰(ばっ)しないでください。」と蠅は手を合わせて謝(あやま)りました。「それならば、お前は間違って告げ口をした雀と世の人々にお詫(わ)びをするようにして、それを子孫にも受(う)け継(つ)がせろ。」と命令しました。
それから蠅は前足二本で王様に、また後足二本で雀に向かってお詫(わ)びをするようになり、この時の王様の命令で、蠅は、一日千回前足をすり合わせて王様に謝(あやま)り、後足を千回すりあわせて雀に詫(わ)びているということです。
【沖縄国際大学文学部 遠藤庄治教授】
むかしむかし、石堂寺と言うお寺の仁王さまが門の前に立っていると、一羽のカリが飛んで来て言いました。
「大変、大変! 仁王さま、小鳥たちの親が病気になってしまいました!」
「何だって! ではすぐに、子どもの小鳥たちに知らせよ!」
そして、知らせを受けたスズメの子どもは、
「それは大変だ!」
と、慌てて親の所へ飛んで帰って親の看病をしました。
おかげで親の病気は良くなり、親は死ななくてすんだのです。
ところが知らせを受けたツバメは、
「すぐに帰って来いと言われても、こんな格好ではね」
と、自分の身なりを気にして化粧に時間をかけたため、親の病気は悪くなって親は死んでしまいました。
そして同じように知らせを受けたコウモリは、
「今、遊んでいるところだから」
と、親の所へ帰ろうともしなかったのです。
さて、その事を知った仁王さまは、
「親孝行なスズメは、とても感心だ。これからは、おいしい物を食べて暮らすように」
と、人間と同じ様にお米を食べる事を許したのです。
しかし、遅れてしまったツバメたちには、
「親の一大事に遅れるとはけしからん」
と、 スズメの様にお米を食べる事は許さず、稲が実る頃になると遠い国へ行くようにと命令したのです。
そして、遊びほうけて帰ろうともしなかったコウモリには、
「お前のような奴は、顔も見たくない! 一生暗い所で生活していろ!」
と、昼間は暗い洞窟に隠れて、夜になってからこっそり外へ出るようにと命じたのです。(おしまい)
スズメとキツツキ (アイヌ動物話)
むかしむかし、そもそものはじめには、どんなけものでも、どんな鳥でも、おなじ母をもっていたが、ある日鳥の女たちがあつまって、いれずみなどをしていた。
いましもスズメが口もとへいれずみをほどこしていると、凶事の知らせがきていうには、
「母がいま死のうとしていて、死ぬまえにむすめたちにあいたがっている。」
というのであった。
そこで大ぜいの小鳥たちはぎょうてんして、われさきにととびだして、ずんずんいってしまった。
スズメは、おどろきのあまり、
「おけしょうは、いつだってできる。だからどのようにさまがわるくても、かあさまの死にめにあいましょう!」
といいながら、いれずみの水をのこらず、じぶんの頭の上にぶちまけた。
──そのために、スズメはたべよごしたようなくちばしをし、全身なにかぶっかけたように見えるのである。
母は、ひじょうによろこんで、
「おまえはほんとうに、親孝行だから、いつまでも、おいしい穀物ばかりたべるでしょう!」
といった。
──だからスズメたちは、つねに穀物ばかりたべているのである。
それからキツツキはさいごまで、さんざん、めかしにめかして、いうことには、
「かあさんは死んでも、いちばんおめかしして、いちばんきれいだったら、いちばんいいでしょうよ!」
といいながらいくと、神さまがばっして、
「おまえは、じつにじつに親不孝なやつだ。ふとどきしごくであるから、いまよりのちは、くち木をつつきつつき、虫ばかりたべて、だれからも愛されないであろう!」
と、おつげがあった。
──だから、いつまでもキツツキは、木をつつきつつきしているのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社 】
スズメとキツツキ (秋田県)
むかしむかしのことです。
おしゃかさまがなくなるというので、世のなかは大さわぎになりました。
「たいへんだ、たいへんだ。おしゃかさまがなくなるんだと」
「とうといおしゃかさまがなくなるんだと。こうしちゃいられない」
世界じゅうの生きものたちが、一ぴきのこらず、おしゃかさまの宮殿へかけつけていきました。
スズメはちょうど、くちばしに黒いおはぐろをつけているところでした。
ありがたいおしゃかさまがなくなるというので、スズメは大あわてでおはぐろをつけかけたまま、とんでいきました。
スズメはどうにか、おしゃかさまの死に目にあうことができたのです。
けれども、森にすむキツツキは、まにあいませんでした。
おめかしやのキツツキは、赤い布を買って、着かざっていこうとてまをとっていたので、とうとう、おしゃかさまの死に目にあえなかったのです。
こうしてスズメは、ほっぺたに黒いおはぐろがついていて、みにくい顔になってしまいました。けれども人間と同じように、お米をたべることをゆるされました。
いっぽう、キツツキは赤いこしまきをしめていて、すがたはきれいですが、お米をたべることをきんじられてしまいました。そして毎日、朝から晩まで一生けんめい木をつつき、毛虫のようなものだけをたべて、生きていくようにされてしまったという話です。
【 日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社 】
すずめときつつき (青森県津軽地方)
むかしのむかし、すずめときつつきとは二人の姉妹(あねいもうと)であったそうです。
親が病気で、もういけないという知らせのきたときに、すずめはちょうどお歯黒をつけかけていましたが、すぐに飛んでいって看病をしました。
それで今でもほっぺたがよごれ、くちばしも上の半分だけはまだ白いのであります。
きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、ついにだいじな親の死目(しにめ)にあうことができませんでした。
だからすずめは、姿は美しくないけれども、いつも人間の住むところに住んで、人間の食べる穀物を、入用(いりよう)なだけ食べることができるのに、きつつきはお化粧ばかりきれいでも、朝は早くから森の中をかけあるいて、「がっか、むっか」と木の皮をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
そうして夜になると樹(き)の空洞(うつろ)にはいって、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と泣くのだそうです。
【 日本のむかし話(一)・柳田国男・ポプラ社文庫 】
スズメになった若者 (和歌山県の民話)
むかしむかし、あるところに、貧乏ですが正直者のおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日、おじいさんがいつものように山へたきぎを取りに行くと、どこからともなく、おいしそうなお酒のにおいがただよってきました。
(はて、不思議な事もあるものだ)
おじいさんがにおいのする方へ歩いて行くと、竹やぶの前に出ました。
すると、どうでしょう。
竹やぶの中には竹で出来た酒だるがあって、スズメたちがそのまわりでチュンチュンと楽しそうにおどっているのです。
(これはこれは、なんて可愛いスズメたちだ)
おじいさんがニコニコして見ていたら、一羽のスズメが飛んできて、
「さあ、おじいさんもお酒を飲んでください。このお酒を飲むと良い事が続いて、きっと幸せになりますよ。チュン、チュン」
と、言うのです。
おじいさんはスズメたちのところに行って、そのお酒をごちそうになりました。
「うん、これはうまい」
こんなおいしいお酒は、今まで飲んだ事がありません。
それに一口飲んだだけで心がウキウキし、体が元気になってくるのです。
すっかりご機嫌(きげん)になったおじいさんは、スズメたちと一緒になっておどりはじめました。
♪酒がうまいぞ、いい気持ち。
♪チュン、チュン、チュン
♪はあ、こりゃこりゃ
♪チュン、チュン、チュン
おじいさんのかけ声にあわせて、スズメたちもおどります。
もう楽しくて楽しくて、おじいさんは時間のたつのも忘れてしまうほどでした。
やがて夕方になって、ようやくおどりが終わりました。
「いやあ、楽しかった。ありがとう」
おじいさんはスズメたちにお礼を言って、帰っていきました。
さて、おじいさんの家のとなりに、なまけ者の若者が住んでいました。
おじいさんの話を聞くと若者もそのお酒が飲みたくなって、次の日、さっそく山へ出かけていきました。
お酒のにおいのする方へと歩いていくと、おじいさんの言ったとおり竹やぶがあって、スズメたちがお酒を飲みながらおどっています。
若者は、竹やぶに入っていくなり、
「おい、おれにもその酒を飲ませてくれ」
と、言いました。
するとスズメたちは、首を振って言いました。
「このお酒を飲むととんでもない事になるから、やめたほうがいい。チュン、チュン」
「うるさい。はやくよこせ!」
若者はいきなり酒だるをつかむと、一息にお酒を飲んでしまいました。
すると、どうでしょう。
若者の体はみるみる小さくなっていき、口は口ばしに、手は羽に変わって、とうとうスズメになってしまったのです。
スズメになった若者は竹やぶを追われて、チュンチュンと鳴きながらどこへともなく飛んでいきました。
そしておじいさんの家ではスズメたちが言ったように良い事が続いて、やがて村一番のお金持ちになったという事です。(おしまい)
ツバクラとスズメ (奈良県)
むかしむかし、ツバクラとスズメはきょうだいやったそうな。ツバクラがなあ、
「親が病気や。」
と言うてきたが、
「待っておくれ、べにもつけんならん、かね(おはぐろ)もつけんならん。」
と言うて、ゆっくりして、美しぅおけしょうしていたら(行ったら)、その間に親が死んでしもて、親の死にめにも会えなかったんや。
それからツバクラはなあ、
「ツチクテ、ムシクテ、クチャシブーイ。」
と鳴くようになったというのや。土や虫しか食べられんようになったんやな。
同じきょうだいでもスズメはなあ、みの着て田で仕事をしていたが、みの着たまま走っていたので、親の死にめに間におうたんやて。
そしたらなあ、スズメは田へ行ったら米もこぼれとるし、虫もいるし、なんぼなっとようけ(いくらでもたくさん)はんまい(食べ物)あるようになって、人間と同じように米のめしを食べてくらすようになったというのや。
(話者・中村サワ、再話・中田太造)【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編・日本標準発行】
腰折れスズメ
むかしむかし、あるところに、心やさしいおばあさんと欲深いおばあさんがとなり合わせに住んでいました。
ある朝、心やさしいおばあさんが、ほうきで庭をはいていますと、庭のすみの草むらでチイチイと悲しそうに鳴くスズメがいました。
「おおっ、可哀想に」
心やさしいおばあさんがスズメを手のひらにそっとのせますと、なんとスズメの腰の骨が折れているではありませんか。
おばあさんはそのスズメを家へ連れてかえり、一生懸命に看病しました。
するとだんだん、スズメの傷は治っていきました。
ある日の事、スズメが何か言いたそうにしています。
「どうしたんだい? ああ、元気になったので、お家に帰りたいんだね」
おばあさんがスズメを庭先に出してやると、スズメは元気よく飛んでいってしまいました。
「よかったわ、あんなに元気になって。でも、あのスズメがいなくなると、なんだかさみしいね」
それから何日かたったある朝、いつものようにおばあさんが庭をほうきではいていますと、なにやらなつかしい鳴き声が聞こえてきます。
「あれあれ、あんたはあの時のスズメかい? うれしいね、会いに来てくれたのかい」
スズメはうれしそうに鳴くと、おばあさんの前に小さなタネを落として、そのまま飛んでいってしまいました。
そのタネは、ひょうたんのタネです。
おばあさんはスズメにもらったひょうたんのタネを、庭にまきました。
やがて秋になり、スズメのくれたひょうたんは立派に成長して、たくさんのひょうたんが実りました。
そしてすっかり大きくなったひょうたんを取ってみると、なんだかすごく重たいのです。
「おや? どうしてこんなに重たいのかね? 何かが入っているような」
おばあさんがそのひょうたんを割ってみますと、不思議な事に中にはお米がたくさんつまっているのです。
「あれまあ、不思議な事もあるものだね」
おばあさんは、そのお米でご飯をたいてみました。
そのご飯の、おいしいこと。
おばあさんはそのひょうたんのお米を近所の人にくばり、あまったお米を売ってお金持ちになりました。
さあ、それをねたましく思ったのは、隣の欲深いおばあさんです。
欲深いおばあさんは庭で遊んでいるスズメに石をぶつけてつかまえると、かわいそうにそのスズメの腰の骨をむりやり折ってしまいました。
そしてその腰の折れたスズメをかごに入れると、そのスズメに毎日えさをやりました。
「さあ、はやく良くなって、わたしにひょうたんのタネを持ってくるんだよ」
そして、一ヶ月ほどがたちました。
「もうそろそろ、いいだろう」
欲深いおばあさんは、スズメを庭に連れ出すとこう言いました。
「今すぐ飛んでいって、米のなるひょうたんのタネを持ってくるんだよ。さもないと、お前をひねりつぶしてしまうからね」
スズメのキズはまだ治っていませんが、こわくなったスズメは痛いのをガマンして、そのまま飛んでいきました。
それから何日かたったある日の夕方、毎日庭先でスズメが帰ってくるのを待っている欲深いおばあさんの前に、あのスズメが現れました。
「やれやれ、やっときたね」
欲深いおばあさんはスズメの落としていったひょうたんのタネを拾うと、それを庭にまきました。
そのひょうたんのタネはどんどん大きくなって、秋には立派なひょうたんがたくさん実りました。
「よしよし、これでわたしも金持ちになれるよ」
おばあさんが包丁を持ってきて、一番大きなひょうたんの実を割ってみました。
すると中から出てきたのはお米ではなく、毒ヘビやムカデやハチだったのです。
「ひぇーーー!」
他のひょうたんからも毒ヘビやムカデやハチなどがたくさん出てきて、欲深いおばあさんにおそいかかったという事です。(おしまい)【出典・三六六日の昔話「福娘童話集」】
※ 日本昔話の一つで、「舌切りスズメ」のもとになったお話。
※ よく似たお話しが、外国にもあります。 ロシアの昔話 → 「大きなスイカ」
酔っぱらったスズメ (長崎県の民話)
むかしむかし、あるところに、お父さんと息子が二人で暮らしていました。
ある日の事、お父さんは息子に言いました。
「隣の国ヘスズメを持って行けば高く売れるそうだが、一度にたくさんのスズメを捕る方法はないかなあ?」
すると息子は、
「そんな事は簡単だよ。酒のカスとツバキの葉っぱがあれば大丈夫」
と、言って、酒屋に行って酒のカスを買うと、庭にあるツバキの葉っぱをかごに一杯につみました。
そしてスズメの来そうなところにツバキの葉っぱを並べて、その上に少しずつ酒のカスを置きました。
「後は、スズメが来るのを待つだけだよ」
二人は木のかげに隠れると、スズメが来るのを待ちました。
しばらくすると、
♪チュンチュンチュン
と、スズメたちが集まって来て、酒のカスを食べ始めました。
やがてスズメたちは酒のカスに酔っぱらってしまい、ツバキの葉っぱの上へコロリと横になったまま動かなくなりました。
そして太陽の光がツバキの葉っぱを温めると、ツバキの葉っぱがクルリンと丸まって寝ているスズメをすっぽりと包み込んでしまったのです。
「さあ、今のうちだよ」
息子は、ほうきで葉っぱをはき寄せると、俵(たわら)の中に入れました。
お父さんはさっそく、スズメの入った俵を舟に積むと隣の国へ売りに行きました。
「さあさあ、よく太ったおいしいスズメだよ。買った買った」
お父さんの声を聞いて、大勢の人が集まって来ました。
「まさか、死んでいるスズメじゃないだろうな」
「とんでもない。ほれこの通り、ゴソゴソ動いていますよ」
「本当だ。それなら売ってくれ」
「はいはい。みんなきちんと並んでください」
これほどスズメを買う人がいるとは、お父さんは知りませんでした。
(これを全部売ったら、どのくらいのお金になるだろうか)
お父さんは考えただけで、うれしくなってきます。
ところが俵の口を開けたとたん、スズメがいっせいに飛び出して、あっと言う間に空へ飛んで行きました。
酔っぱらって寝ていたスズメは、すっかり目が覚めてしまったのです。(おしまい)
【出典・三六六日の昔話「福娘童話集」】
すずめとばあさま (千葉県利根郡地方)
外はもう雪が三日も続けてふっています。こん金せい精とうげ峠を越えて、日光から来る旅人も絶えて、宿場町は、昼間でも眠ってしまったように静かです。
お爺さんは、キセルを吹いて、スポンと煙草の火を、ろ炉び火の中に捨てると、孫の私を相手に昔話を始めました。
「今日はな、毎日のように、庭さあ飛んできて、優しい婆っさまが投げてやる餌を食う、スズメ達の話をするべ。」
むかし、かまた鎌田の宿にやさしいば婆っさまがいたんだとさ。
山に、桜の花が満開の春のことじゃった。
この村の、スズメ達は、すっかり婆っさまに慣れて、肩に止まったり、手に乗ったり、入れか替わり立ちか替わり、楽しく遊んでいったんだと。 じい爺さまに先立たれて、さび淋しかったばあ婆さまは、このスズメたちと仲良くしていることがうれしくて、うれしくて、まるで自分の子供みてえに可愛がったんだと。
んだがよ、となり隣に住んでいる意地悪婆さまには、これが目ざわりで、「チュンチュン」鳴く、スズメが、うるさくて仕方なかった。
ある日、このいじわる婆っさまが、石を投げると、やさ優しい婆っさまと、いちばん仲良しのスズメにぶつかってな、石に当たったスズメは、羽をけが怪我して、しばらくバタバタしていたが、どうしても飛び上がることが出来なくて、動けなくなってしまった。やさしい婆っさまは、ぶっ飛んでいって、スズメを抱き上げると
「ひどいでねえか。おめえに何も悪さしたわけでもねえのに。」
「へん、あんまりチュンチュンなきやがってうるせえからさ。だから、石をぶつけてやっただ。ざまあみろ、みんな逃げ出して、一羽もいなくなって、静かになったべ。」と、気持ちよさそうに言うと、家の中に入って、ピシャと、戸を閉めてしまったそうな。
「かわいそうに、かわいそうにのう。」やさしい婆っさまは、怪我したスズメに、薬を付けてやったり、箱の中に入れたりして看病した。
そんなことで、何日かすると、スズメはすっかり元気を取り戻し、「チュンチュン」とみんなのところへ帰っていっただ。ところがその怪我をしたスズメはそれきり帰って来なかった。
いじわる婆っさまは、
「ほうれみろ、おん恩知らずのスズメだのう。おめえがあんなに大切に世話したのにのう、かえってこねえ。そんなのにしょうこ性懲りもなく餌まいて、おめえは馬鹿だなあ。」と言って、手をたた叩いて笑った。
その後、婆っさまは心配で、いてもたってもいられねえ。怪我の具合が悪いんじゃねえか、それとも隣の婆が、おっかなくて、もうもどってくれねえのか。
とうとうがまん我慢できねえで、帰ってこない、スズメを探しにでか出掛けることにした。
「おらんちのスズメっこは どこだぁ。おらんちのスズメっこはどこだぁ。」
つえ杖を引きずって、探して歩く婆っさまのすがたみて、むらの人達は
「あの婆っさま、裏切りスズメを、さがしまわってるということじゃが、とうとう気が狂ってしまったんかなぁ。可愛そうにのう。」とひそひそ話をしておったが、そのうちに子ども達は
「スズメの婆さん 気が狂うた。おらんちのスズメっこはどこだぁ、おらんちのスズメっこどこじゃいなー」と、まね真似をして、はやし立て、笑いものにするようになってよう。そんでも婆っさまは、毎日杖をついて探しにでかけただ。
「スズメっこ、どこさいっただー、しんじまったんじゃなかっぺなあ、はよ帰ってこうやー。」
スズメが、飛んでいった空見て、なみだながしている婆っさまは、本当に気が狂ってしまったように見えた。
春が行って、夏も過ぎて、回りの山っこがきれいに紅葉さしてな、田畑さ豊かにみの稔ってさ、すっかり秋になった。けども、婆さまは空ばっかり見て涙ながしていただ。
すると、ある朝のこと、あの懐かしい仲良しスズメの声がきこえてきただ。
「おーい、どこにいるんじゃー、はよ来ーい。」
すると、高え雲の割れ目から、一羽のスズメが一直線にすっーと下りてきて、婆っさまの手のひらに乗っかった。
そんで、スズメっこは、ちっちゃな足にしっかりにぎ握っていたなんかの種を婆っさまの手の上に置いて、
「おばあさん、ごめんなさい。これを春になったらま蒔いてください。」
ーチュンチュンー鳴いた声が婆っさまにはそうきこえただと。
それからしばらくの間、昔のように、肩に乗ったり頭に乗ったりしながら遊んだんだと。
村の人や、子ども達はそれを見て安心した。今までみんなで、馬鹿にしたり、からかったことが恥ずかしかったんだ。みんな、もともと、心の優しい人達だったんだ。
春が来た。婆っさまは、一粒の種を庭にま蒔いた。 夏になると、でっけえひょうたんみてえな実が三つなっただ
一番目の実を切ると、中から、小指くれえの職人達が、ぞろぞろ、ぞろぞろ出てきたんだと。だいく大工もさかん左官も、屋根屋も〈雀〉って書いた、はんてん半天を着てびっくりしている婆さまに 「いいあんべえで。」といいながら、すぐに仕事に取りかかって、あっ、と言う間に、新しい家を建ててしまったんだと。
二番目の実からは、ふわふわっとけむり煙が出てきて、煙の向こうから、何と、死んでしまったじ爺っさまが歩いてくるでねえか。 婆っさまはうれ嬉しくて
「爺っさま、お前様、本当におらの爺っさまだあ。」と言ってな、あとは口をもぐもぐさせて、わあわあ泣き出した。
さていよいよ、三番目の実を切ると、あたりが一瞬光に包まれて、ぐるぐる、ぐるぐる回りだした。婆っさまは、目を回して、気を失って倒れてしまった。
どれくらいたったかなあ、ずーっとのような気もするし、すぐだったような気もするし、わかんねえけど、気がつくと、回りはすっかり変わっていてのう、さび寂しい「かまた鎌田の宿」は、町になっていたんだと。
新しい町んなかで、婆っさまは、新しい家に住んで、昔のようにかわいいスズメっこに、餌をまいて、爺っさまと仲良く暮らしたとさ。
「いじわるの婆っさまはどうなった?と、さあどうなったべか。」
外は相変わらず雪が、こんこん降っていて、話し終わった、お爺さんは相変わらずキセルで、うま上手そうにたばこ煙草を吸っています。
母子(ははこ)とスズメ (岩手県)
むかし、東北の各地で、天気がわるかったせいで作物がとれず、ききんがつづいていたころのことです。
岩手県の山の中にある、柴波(しば)の湯沢の里でも、アワやヒエさえみのらない年がつづいていました。
そんなある年の、九月六日のことです。
目のみえない母親が、まだ十歳にもならないむすこに手をひかれ、つえをつきながら、湯沢の里にやってきました。湯沢の里にわく温泉が、目の病にもきくときいたからです。
母と子は、どこからやってきたのかわかりません。ふしぎなことには、この親子がきてから、湯沢の里ではアワやヒエが、またみのるようになったのです。
たべるものがなくて苦しんでいるのは、人間だけではありませんでした。この里のたくさんのスズメたちもまた、うえていたのです。アワやヒエさえみのらないので、スズメたちはどこかへすがたをけしていました。ところが、またみのるようになったので、ふるさとの湯沢にまいもどってきたのです。
母とやってきた小さな男の子は、あそぶ友だちがいないので、このスズメたちとすっかりなかよしになりました。スズメたちも、チュンチュク、たくさんあつまってきて、男の子のまわりをはなれません。
けれども、作物をあらすスズメは、里のお百しょうにとっては、にくい敵です。そのスズメをよびよせて、かわいがっている男の子などゆるすことはできません。
「おらたちの口にはいるまえに、スズメが畑で作物をくいあらしてしまうんじゃ。なんのためにおらたちが、スズメおどしまでつくってよ、スズメをおっぱらっているのか、あの子にはわからんのかね」
「どこからながれてきたのかわからんあんな子は、この里におくことはできん。母親は目がみえんから、気のどくにおもっていたが、里からでていってもらわなけりゃならんな」
男の子は、村のものたちにいじめられて、なくことが多くなりました。すると、母親もいたたまれなくなったのでしょう。秋もふかまって、ちらちら雪がふりはじめるころ、母と子は湯沢の里をあとにしました。
小さな男の子は、さむさで赤くはれあがった手で、目のみえない母親の手をひいていきます。母親はつえをつきながら、それでも、
「ほれ、石はないかい。足もとに気をつけろや…」
と、おさないわが子を気づかい、やっと山を一つこえました。
もう日がくれかかったころ、ふたりは、つかれはててうごけなくなりました。
これからどうしようかと、谷川のほとりにすわってさむさにふるえていると、なん千羽ともしれないスズメたちが、空をおおうようにとんできました。
スズメたちは、じぶんたちの小さなたまごのからの中に湯をいれて、くちばしにくわえていました。さむさにこごえる母と子のために、湯沢の里の温泉の湯を、はこんできたのです。 スズメたちは、その湯を谷川にそそぎました。するとふしぎにも、そこから新しい湯が、こんこんとわきだしたのです。
「おっかあよ。スズメたちのおかげで、湯がでた。湯がわいたんじゃ。ほれ、さむいから早く湯につかったらいい」
湯がわきだしたこの谷川のほとりに、岩あなもみつかりました。母と子は、その岩あなにすむことにしました。
ところが、この谷川で湯がわきだすと、湯沢の里の湯がすっかりかれてしまったのです。そればかりか、親子が里からでていってしまうと、またまたききんがつづいて、スズメたちも里からみんな、親子のいる谷川のかたわらの竹やぶに、うつってしまったのです。
「考えてみると、なにもかも、あのふたりがいなくなってからじゃ。あのふたりが里にいたときは、作物もよくみのってくれた。あの親子は、おらたちのすくいの神だったんじゃ」
湯沢の里の人たちは、山を一つこえた谷川のほとりに、あの親子がいるときいて、みんなでむかえにでかけましたが、そこにはもう、ふたりはいませんでした。
湯沢の里のお百しょうたちは、親子を里からおいだしたことを、いまさらながらくやみましたが、もうどうすることもできません。そこで、つぎの年の九月六日、すっかり湯のかれた湯つぼのあとに、ふしぎな親子が里にやってきた日を記念して、小さなお堂をたてました。そして、雀堂(すずめどう)と名をつけて、親子といっしょにスズメたちもまつることにしました。
目のみえない母親と、おさない男の子がうつっていた谷川には、それからも、ますますゆたかな湯がわきだしました。そして、やがて「つなぎの湯」として知られる温泉になったという話です。
【日づけのあるお話 9月のむかし話 谷 真介 編・著 金の星社】
蠅(はえ)と雀(すずめ) 【沖縄県国頭村】
昔、蠅と雀がいました。
蠅と雀は友達でしたが、ある時ちょっとしたことで喧嘩(けんか)になって蠅は雀に負けそうになりました。それで、雀のことを憎らしく思った蠅は雀をやっつけてやろうと思って王様のところへ行きました。
蠅は、「王様、雀は王様の倉の米を全部盗んで食べています。王様に大変無礼なことをしていますので、雀を罰して下さい。」と言いつけました。これを聞いた王様は怒って、「これは見逃しておけん。」と言って、家来に雀を呼ばせました。
何も知らない雀は、「何ですか。王様」と言って王様の前にかしこまって座りました。王様が、「雀よ。お前は許しておけん。」と言ったので、雀は王様がどうして怒っているのか分からず、大変驚きました。
「王様、私が何をしたのですか。何か悪いことをしたとでもおっしゃるのですか。」
「お前は自分で悪いことをしたのもわからないのか。みんなから集めた私の米を全部お前が食べて、私は残りを食わされている。お前のような奴は罰してやる。」
「これは大変なことになった。何とかしなければ。」思った時、雀は王様が怒っているのは、もしかしたらあの蠅のしわざ仕業かもしれないと思いました。そこで、「王様、私より蠅のほうがもっとぶれい無礼ですよ。」と言いました。
「何だと。そのわけを言え。」と王様がたず尋ねると、雀は「私は王様の倉の前に落ちている米をいつもそうじ掃除しているだけです。しかし、蠅は王様のごちそう御馳走を王様がはし箸をつけない前に、きたな汚い足でご飯の上に上がって食べて、その残りを王様が食べているのですよ。」
王様はびっくりして、「そうか、そうかそういえばそうじゃな。」と言って今度はけらい家来に、「蠅を呼んでまい参れ。」と言いつけました。蠅は自分が勝っていると思って喜んでやってくると、「蠅よ。お前はもう許さんぞ。」 と王様が怒ったので、蠅はびっくりしました。
「な、何ですか。どうして雀が悪いことをしているのに私を許さないとおっしゃっているのですか。」
「お前の話は通らない。あの雀は倉におさ納める時にこぼれた米を食べて、掃除をしているのだ。それとくら較べると、お前は私が箸もつけないうちに、私の御馳走の上を飛んだり、先に食べてしまって、その残りを私が食べているではないか。許さんぞ。」
「王様、お許し下さい。どうか罰(ばっ)しないでください。」と蠅は手を合わせて謝(あやま)りました。「それならば、お前は間違って告げ口をした雀と世の人々にお詫(わ)びをするようにして、それを子孫にも受(う)け継(つ)がせろ。」と命令しました。
それから蠅は前足二本で王様に、また後足二本で雀に向かってお詫(わ)びをするようになり、この時の王様の命令で、蠅は、一日千回前足をすり合わせて王様に謝(あやま)り、後足を千回すりあわせて雀に詫(わ)びているということです。
【沖縄国際大学文学部 遠藤庄治教授】