野鳥にまつわるお話

野鳥に関するいろいろな情報を個人的に調べ、掲載しています。

オシドリの民話(新潟県)

2018年05月13日 | 野鳥
鴛(おしどり)の民話  (新潟県)

昔、ひとりの猟師(りょうし)がオスのカモを取り、鍋(なべ)にして食べました。
次の日、カモのメスが戸口で死んでいたので、きのうのオスのつれ合いだろうと、これも食べてしまいました。
その夜、メスガモの亡霊(ぼうれい)が出てきたので、猟師の女房が神様に祈ると、
「カモの夫婦は、どちらかが死ぬと、残ったほうも生きてはいない、きずなの強いものなのだ。」というお告げです。
 かわいそうなことをした・・・と、猟師と女房は身をしず沈め、そしてオシドリ夫婦になったそうです。新潟の民話です。

 放れ鴛(おし) ひとすねすねて 眠りけり  一茶

ウトウの民話(青森県)

2018年05月13日 | 野鳥
まぼろしの鳥・ウトウ                  (青森県)

 「ウトウ」という鳥がいます。両ほうのつばさの長さが十八センチほど、ウミスズメ科の中くらいの大きさの海鳥で、体の色は灰色です。
 この海鳥は、北海道や本州北部の沿岸にすみ、朝早く巣をでて、一日じゅう海のうえですごします。そして、するどいくちばしで小魚やイカをつきさしてたべ、夕方、むれをなして、陸地にもどってきます。母鳥は四、五月ごろに、たった一つのたまごしかうみません。
 こうした生活ぶりなので、ウトウはあまり人目にふれることがありません。そのためにむかしから、「まぼろしの鳥」といわれて、いろいろな伝説をうんできました。

 青森県の外ケ浜(そとがはま)地方には、つぎのような伝説があります。
 ウトウは、一日じゅう海へでているので、母鳥は、陸にのこしてきたひな鳥のことが心配でなりません。そこで母鳥は海へむかうとき、たった一羽のかわいいひな鳥を砂のなかへうめて、かくしていくのです。
 そして、夕方えさをもって海からもどってくると、「ウトウ」「ウトウ」とないてわが子をよびながら、さがしまわります。ウトウはあまりなかない鳥ですが、「ウトウ」となくのは、親鳥のなき声でもあり、また、ひな鳥への「暗号」でもあるわけです。
母鳥が「ウトウ」「ウトウ」とはげしくなきながら、わが子をさがしていると、そのひな鳥は「ヤスカタ」とこたえて、砂のなかから、うれしそうにとびだしてくるといいます。母鳥のなき声といい、ひな鳥のなき声といい、まったくめずらしいなきかたをする鳥です。
砂のうえを、わが子をよびながらさがしまわる母鳥の声は、とてもかなしく、ひと声なくたびに、血のなみだがあたりにとびちるといわれます。
 子をおもう なみだの雨の血にふれば はかなきものは うとうやすかた
と、古い歌にうたわれてもいます。
 ウトウをつかまえるには、母鳥のなき声をまねて、まず砂のなかにかくれているひな鳥をだまして、おびきだすのがこつだといいます。けれども、あたりにとびちる、母鳥の血のなみだが体にふりかかると、気がおかしくなって死んでしまうので、ウトウをとるときは、みのと笠を用意しなければいけないといいます。

こうした、世にもめずらしい鳥で、どこにいるかもよくわからないのですから、津軽のとのさまも、一度はみたいものだとおもっていました。
 寛文六年(一六六六年)二月二十三日、六人の漁師たちが、海でやっと、このウトウを四羽つかまえました。しかけたあみにかかったのです。そこでさっそく、とのさまにごらんにいれたところ、とのさまはおおいによろこんで、六人の漁師にほうびとして、お米十二俵と銀をつかわしました。

ウトウがどんなにめずらしく、また生けどることがむずかしいか、このことからもわかるというものです。
【日づけのあるお話三六五日 二月のむかし話  谷 真介 編・著 金の星社】

ウソの民話(大阪府)

2018年05月13日 | 野鳥
うそかえ祭  (大阪府藤井寺市・道明寺天満宮)

うそかえ祭(※1)とは、菅原道真公(※2)が、大宰府へ下向の翌年延喜二年正月七日、自ら悪魔祓いのお祭りを行なわれた時、寒中であるのに無数の蜂が出て参拝の人達を刺し悩ました。この時、一群のうそ鳥が飛来して、たちまち蜂を喰いつくし、人々の危難を救ったので、斯様(かよう)な鳥の利益(りやく・神や仏の恵)を与えるのは偏(ひとえ)に菅公(かんこう)の御仁徳の感応であるとして、この神事を「うそかえ祭」と称(とな)え、菅公歿後一千有余年にわたり伝わっている。
又、近年は、昨年ついた「うそ」を神前に詫(わ)び「うそ」を「まこと」に替えるという信仰も生じた。

※1 うそ鳥の木彫が入った袋を境内の注連縄(しめなわ)を巡らした中で、「かえましょう、かえましょう」と称えながら互いに交換し合い、太鼓の合図で開封し、幸運を当てた人には十八金や純銀、木彫の大うそ鳥などの「うそかえ御守」がいただける神事。

※2 平安時代の政治家・文学者。字は三、小名は阿呼(あこ)。参議是善(これよし)の第三子。詩文にすぐれ、また政治にも参与したが、延喜元年(九〇一)藤原時平にざん言(事実をいつわり人を悪く言っておとしいれようとすること)されて、筑紫(つくし)の大宰府に流された。「三代実録」の編集にあずかり、著書に「類聚国史」「菅家文草」「菅家後草」などがある。

モズとホトトギスの民話(出典不明)

2018年05月13日 | 野鳥
モズとホトトギス

 むかしむかし、モズとホトトギスが、となり同志に住んでいたことがあります。
 あるとき、モズが町へいくというので、ホトトギスは、
「それではついでに、仏壇へかける御本尊さまのかけじくを買ってきてくれませんか。」
 と、たのみました。モズはきがるに、
「ああ、いいですとも。」
 と、引き受けました。そこでホトトギスは、かけじくを買う代金をモズにあずけました。
 ところが、モズはたいへんな酒好きだったのです。町へやってきて、酒屋の前までくると、ぷーんとにおう酒のにおいに、もう足がひと足も前へ進みません。
「くんくん・・・・、ああ、いいにおいだ。どれ、一ぱいだけ飲んでいこう。」
 モズは酒屋へはいっていきました。そうして酒を一ぱい飲むと、もう一ぱい、もう一ぱいと、すっかりとめどがなくなったのです。それで自分の持っていた金をすっかり飲んだばかりか、ホトトギスからあずかった御本尊を買う金も、とうとうみんな飲んでしまいました。
 それからだということですよ、ホトトギスが、
「ホンゾンカッタカ・・・・」
 と、鳴くようになったのは。
「ホンゾンカッタカ、ホンゾンカッタカ」
 ホトトギスが、そういってさいそくするものですから、モズはこまって、ホトトギスの鳴くころにはどこかへかくれていて、外へ出ないようになりました。そうしてモズの顔の赤いのは、酒を飲んで酔っぱらっているからだといいます。【出典不明】

ウの民話(栃木県)

2018年05月13日 | 野鳥
ウマをすくった鵜                (栃木県の民話)
 むかしむかし、ある山のふもとの野原に、野生のウマがたくさんいました。

 ある日の事、一頭のメスウマが、がけから谷底へ落ちて、動けなくなってしまいました。
 メスウマは足をおっているので、まったく立ち上がれません。
 このあたりにはクマやオオカミが出るので村人たちは心配しましたが、谷は深いので重いウマを運ぶ事が出来ませんでした。
「どうする? このままでは、オオカミのえじきだぞ」
「しかし、この谷底を、おれたちの力ではな」
「しかたない。ウマが元気になるのを待つか」
 そこで村人たちはウマがおそわれないようにと、ウマのまわりに深い堀(ほり)をつくって、毎日エサの草を運んでやりました。

 それから数日後、突然に空がまっ黒になるほどの鵜(う)の大群(たいぐん)が、山に飛んできたのです。
 鵜の大将は谷底に倒れているウマを見つけると、ウマの体の上にとまりました。
 そして鵜の大将はするどいくちばしで、弱っているウマの体を突き始めたのです。
「ヒヒーン」
 ウマはビックリして立ち上がろうとしましたが、体が思うように動きません。
 やがて仲間も鵜も、ウマの体のあちこちを同じように突き始めたのです。
 体が動かせないウマは、ただ、鵜たちのなすがままになっていました。
 でも鵜はウマをおそっていたのではなく、ウマの体についた悪い虫を取って食べていたのです。
 鵜のむれは、それから毎日のようにウマのところへやってきて、体についた悪い虫を取ってくれました。
 ウマにもそれが分かったらしく、ウマは自分の体を治してくれる鵜がやってくるのを待つようになりました。

 ところがしばらくすると、村人たちはウマの異変に気づきました。
 ウマのお腹が、日ごとに大きくなってきたのです。
「谷底へ落ちる前に、子どもをやどしておったんだな」
「弱った体で、うまく子どもを産むことができるのか?」
 村人たちは心配しましたが、それから間もなくウマは子ウマを産みました。
 子ウマは鵜の羽のようなまっ黒の美しい毛をかがやかせながら、元気に育っていきました。

 やがてこの子ウマは殿さまのところへ送られて、すばらしく足の速い名馬になったそうです。
                                     おしまい