道東を発見する旅 第3の人生

スペイン風邪と戦争、コントロール不能、CDCの情報発信

映画館

週末、息子に誘われて映画館に「1917命をかけた伝令」を見に行きました。

やたらと大きな画面で大迫力の音響が売りの「i-max」で見たのですが、臨場感がもの凄く迫力に圧倒され続けた2時間でした。

この映画の舞台は、1917年、第一次世界大戦の出来事です。場所はフランスで、ドイツ軍とイギリス軍が、お互いに長い塹壕を掘り、そこで向かい合って戦ったのです。

全編、ワンショットの撮影で、長い長い塹壕の狭い通路を主役の俳優がが兵士をかけ分けながら、ずーっと走っていく場面が続きました。

内容の詳細は書けないのですが、ドイツ軍の塹壕の完成度が高くて、それにびっくりしました。

スペイン風邪

さて、100年近く前に起こったスペイン風邪のパンデミックの事です。この1917年の当時は、スペイン風邪が世界的に流行していたのです。

その当時、インフルエンザウイルスを培養する技術がありませんでした。

スペイン風邪のウイルスの遺伝子構造は、アラスカの永久凍土に埋められていたアメリカ軍兵士の死体を掘り返して死体から採取した肺の組織からウイルスの遺伝子が分離され、スペイン風邪の遺伝子構造が明らかにされたのです。これが20年くらい前の事だったと思います。

さらに、パンデミックは第一次世界大戦の勝敗の帰趨にもかかわっていたのです。

以下のサイトから引用します。
http://tokyoweb.sakura.ne.jp/noyaki/novel/spanish_flu/spanish_flu.html

スペイン風邪と第一次世界大戦

ヨーロッパでは、1914年から第一次世界大戦が行われていました。アメリカは当初ヨーロッパでの世界大戦に関与しない方針でしたが、ドイツの無制限潜水艦作戦によりアメリカ船舶に大きな被害が発生したため、1917年4月6日にドイツに対し宣戦布告しました。

5月にはアメリカ軍師団が初めてヨーロッパの前線に投入され、夏までに毎月30万人の兵士がアメリカから輸送されました。

最終的には約210万人のアメリカ兵士がヨーロッパに渡ったということです。これだけの人数の兵士たちの中にはスペイン風邪感染者が多数いましたが、それらが輸送船や前線など劣悪な衛生環境におかれたために、結果としてヨーロッパ全域にスペイン風邪が一挙に拡大することになりました。

スペイン風邪は、当時第一次世界大戦で対戦中であったフランス、イギリス、ドイツなど各国で大流行し、多数の羅病者、死者が出ました。しかし、対戦中の各国は自国のダメージを敵に知られないように大流行の実態を一部しか公表しませんでした。

一方スペインは第一次世界大戦では中立の立場だったので、インフルエンザ流行の状況をそのまま公表しました。結果として、スペインがインフルエンザの発生地であったように思われたので、このインフルエンザがスペイン風邪と呼ばれるようになったのです。

第一次世界大戦開戦から4年経った1918年3月にはドイツ軍はフランス・イギリス連合軍のパリ防衛戦線を中央突破し、パリの北東100kmあまりのところまでに迫りました(左の地図)。

ところが、そのころアメリカ兵士がもたらしたスペイン風邪の感染がピークとなって第一次世界大戦の戦場に襲いかかりました。

そのダメージは対戦中の諸国にあまねく及びましたが、特にドイツ軍兵士の羅病者、死者が非常に多かったとされます。

そのためドイツ軍のパリへの進撃は次第にペースダウンし、1918年7月ごろには戦線はほとんど停滞してしまいました。

そこに大西洋を越えてきたアメリカ軍師団が大量に投入されたため、形勢は一挙に逆転し、西部戦線のドイツ軍は防戦に追われることになりました。

1918年11月にはキール軍港での水兵の暴動をきっかけとしてドイツに革命が起こり、ドイツが連合国側に降伏して休戦条約が結ばれました。人類史上最大のパンデミックであるスペイン風邪は、人類史上初の世界大戦の帰趨を決することになりました。

引用終わり

歴史は繰り返す

歴史は繰り返すと言います。

感染者数の爆発的な増加傾向から考えると、コロナウイルスの流行が1か月や2か月で終息するとは思えません。

感染経路が全く分からない、潜伏期間が一定せず異常に長いなど、過去に例を見ない疾患の様態は、日本のみならずいずれの国でもきっちりと疫学的調査が出来ないことを示しています。

明らかに新型コロナウイルスは、パンデミックの道をたどり始めたと思います。

今回の新型コロナウイルスのパンデミックを、100年前の「スペイン風邪と第一次世界大戦」の構図に当てはめるとしましょう。

当初の見込み通りにいかないまま、じりじりと時間だけが過ぎて単純な図式(戦争に勝った負けたという)通りに進まなくなり、予想外の結末を迎えるという構図です。

それは、米中貿易戦争とそれに続く世界恐慌という事なのでしょうか。

中国経済が大きく衰退すれば日本も無傷で済むはずはないと思います。

政府には慎重な対応をお願いしたいところですが、なんと低レベルの縄張り争い(当事者には命がけかもしれません)があったそうです。

一昨日、元東京都知事は感染防止対策には役所の縄張り争いがあって感染拡大防止がコントロール不能になっていると指摘してます。

舛添要一氏 新型コロナ感染は「アウトオブコントロール」「敵は霞ヶ関の縄張り争い」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200215-00000138-dal-ent

元東京都知事で国際政治学者の舛添要一氏が15日夜、ツイッターに連続投稿。刻一刻と動く日本国内での新型コロナウイルスの感染状況を追いながら、現状を「アウト・オブ・コントロール」として、もはや制御できない段階であると指摘。さらに「危機管理の敵は霞ヶ関の縄張り争い」と苦言を呈した。

舛添氏は「東京都の新たな8人の感染者7人は、個人運転手の乗った屋形船関係者、4人がタクシー運転手。屋形船関係者以外の1人は40代の男性。この状況を見ると、何度も言っているが、いつでも、どこでも、誰でも感染する状況である。政府の状況判断は遅すぎるし、甘すぎる。危機管理は、その逆であるべきだ」と指摘。

さらに、同氏は「都内感染者14人。今後ネズミ算的に増えるだろう。新たな4人のタクシー運転手は営業していただろうし、40代の会社員も発熱しているのに新幹線で愛知県に出張。まさに“under control”から“out of control”に移行した新局面である。接触者を探すのが無理、無駄という状況。対策の抜本的変更が必要だ」と訴えた。

その背景として、舛添氏は「危機管理の敵は霞ヶ関の縄張り争いだ。それを首相が調整できないと最悪の事態になる。クルーズ船は国交省の管轄で、厚労省との調整の不備が、船を『ウイルス培養シャーレ』化させたのではないか。今のお友達内閣には、大臣同士で真剣勝負する気迫がない」と政府の対策の遅れを批判した。

まとめ

CDCの情報発信がない

2月16日、日曜のNHKニュースでは政府が専門家会議を招集したと報道していました。

自分は、これまで起こった新型インフルエンザとか鳥インフルエンザの流行時には、アメリカのCDCが、世界中のデータを集めて、感染防止に重要でブレークスルーな情報を刻々と発信していたことを覚えています。

さかのぼってエイズ発症の時でも、重要な情報発信はすべてアメリカのCDCからでした。

いつも、アメリカのCDCのサイトには最新の情報がアップされて流行の行き先が見えていました。我が国の対応もそれに従って決定されていたのです。

ちなみに、CDCとは、アメリカ疾病管理予防センターの略でアトランタにあります。具体的には、保健福祉省所管の感染症対策の総合研究施設です。

しかし、今回はCDCのサイトを見ても、メディアで報道されている程度の情報しか出ていません。

いまだに、中国が情報を握ったまま隠しているのかもしれません。アメリカ政府の中国への専門家派遣を申し出たが、中国は断ってWHOを受け入れたという事だそうです。

いずれにせよ、世界各国の専門家が集まって対応を協議したうえで現状よりもハイレベルの情報発信がCDCから行われることが焦点です。そこに中国の政治的な動きがかかわってはならないと思います。

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