木曽森林鉄道 総延長距離400キロメートル以上の・・・
ぼくは、長野県木曽郡上松町で森林鉄道が一番活躍していた時に生まれている。。照〇〇年?^^。
木曽地方の95パーセント以上はすべて山林や原野や国定公園
大自然ど真ん中の上松町で18歳までお世話になった。
とてもありがたいところに生まれることができた。
感謝♪
(そしてなおかついつもご先祖様には深く敬意の念と感謝の気持ちを忘れないように、そして人間らしい、いまっとうな生き方に向けた努力を怠らないように勤勉に生活しているつもりです。)
そのうちの国有林/民有林は圧倒的に国有林がその大半を占めている(木曽ヒノキなどの木曽五木)の需要が最盛期を迎えた昭和四十年代半ば過ぎから線路幅がとても狭い(簡易鉄道線路幅600~660 m/mかな?)森林鉄道の廃止が始まりトラック輸送への転換がなされていった。黄色のボンネットトラック又は青いボンネットトラックが深い山奥から木曽五木の直径1メートル位の長さおおよそ6~7メータくらい?の丸太を
トラック一台にそうだな?10本ぐらい積載して山からおりてきた。?
森林鉄道が木曽地方に敷かれる前には木曽川を利用して自然の力で、、(水の力で)尾張の国まで運搬していた。
今現在の木曽川の水量は真夏の季節ですと二級河川程度しか水は流れていませんが、
ぼくのおばあちゃんの実家が木曽の架け橋近くの出身者で、おばあちゃんの小さなころには、、
今でいう所の警報級の大雨の時のような水量が一年を通して流れていたと聞く
(今からおよそ五十年以上前には昨今のような異常な大雨は十年とか二十年に一度であった。)
今現在は数基のとても大きなダム建設により中京地方の水資源確保と水力発電所のエネルギーとして長距離のトンネルの中を流れている。とても効率よく無駄のないように発電や水を供給している。
奇跡かどうか、、
奇跡かもしれないが、
東京でそのダム建設の父と同じくらいの年の方にお会いし、
そのダム建設の総監督だった方ともお会いできた。
僕の言っていることが噓偽りのように聞こえるかもしれませんが
年間降水量と現在の木曽川水系の水量をもとに計算すればすぐわかることです。
上松には日本三大名所名所旧跡?今現在はたくさんあるから、地図記号としては(∴)これだ
寝覚ノ床(浦島太郎が目覚めたところ⒱)
臨川寺には僕の父が農家だったので100年以上の前から大切にしてた木製や鉄製、竹製の農機具やその他を宝物館に提供させていただいている。
ぼくの父が亡くなって以来いろいろな双方の著しい誤解と様々なうわさ等によりこの上松には足を運んでいない。
春、暖かくなったらサングラスに帽子を深くかぶり、、
ゆっくりとこの足で歩んでみたくなっている今日この頃です。
ttl 2024.03.04 Am 10:21 JST
父と木曽駒ケ岳 / 2956メートル