理想郷としての「シャンバラ」への入り口
原義としては
シャンバラは元はインドのヒンドゥー教のプラーナ文献に登場する理想郷(ユートピア)であった[4]。ヒンドゥー教のヴィシュヌ派は釈迦をヴィシュヌ神の化身の1つとするが、釈迦のカースト制度批判によって揺らいでしまった社会秩序を正し、カースト制度を立て直すために10番目のアヴァターラとしてカルキが出現すると説いた[5]。シャンバラとは、カルキの治める国の名であった
仏教における定義
『時輪タントラ』とその註釈書『ヴィマラプラバー』(無垢光)は、シャンバラ王カルキは人民を仏教に教化して「金剛のカースト」という1つのカーストに統一し、カースト制度を解消させると説いた[6]。『時輪タントラ』はヒンドゥー教のカルキ説を取り入れつつも、これを批判してヒンドゥー教とは方向性を異にする教説に転換させたのである[7]。
これまでぼくが偶然に目にしたり動画などの資料を基に
知りえたことを書き込みたいと思います。
基本的にこの三次元で生きて修行をしているあいだは辿り着くことができない場所と言えるだろう。
その入り口は一つのように見えて数限りないほど入り口があるように思える。
インド中国国境の山岳地帯付近ともいえるかもしれないが、そのことを知りえたこの世的支配階級の方が推定個所を立ち入り禁止にしたり、ダイナマイトで破壊を古い時代から推し進めている。
何もシャンバラの入り口はチベットだけではない。ある人はハワイ島の近くやアメリカの先住民が長く先住していたシャスタ山近く まれに日本のある場所?ともおっしゃる方もおられる。
シャスタ山=?
ここで勘違いしてほしくないのは正義は善で、悪は善と正反対な組織やコミュニティーや破壊的思想家の集団ではありません。
正義も悪も均等を保って初めてこの地球や宇宙が成り立っている。善と悪を決めたのは神さまではなく、神さまのお言葉を記録したものたちが自分たちに都合のよう部分を民衆に植え込むために書き加えられたものと判断するのが妥当といえよう。まあ一種の宗教というものを使い、又は宗教を極巧みに政治支配の道具として、緻密に織り込んでいることといえよう。一昔前までは地域間での交流しかありえなかったが、近年は世界が一つのように垣根を作ることはほぼ不可能な時代で、置いてきぼりのままの国は存在しない。
ぼくは修行僧ではないのでシャンバラにはあまり興味がないが、今後の地球にとっては極めて重要な場所であることは間違いない。基本的に地球の救世主の養成学校だ。さらに修行を深めたいものは、一度は行ってみたい場所である。しかし善とか悪とかを秤にかけているあいだは決してたどり着けない場所ともいえると思う。
ttl 2024.03.28 Am 09:37 JST GMT⁺9