虹いろカエル通信

ハワイアナ日々の雑記帳

母の留袖

2013年10月11日 | 日記
 

  10月からごみが有料化されるので慌てて押し入れを整理しました。もう着ることの無い古い着ものが

  山ほど出てきて、中にはまだシツケが付いたものまであります。これはほんの一部です。さて、どうしましょう?

              


  私の結婚式の時に母が着ていた留袖もあります。(枝丸に蔦)の女紋はわたしの紋でもあります。

 、「母ちゃんは、もう着ることもないから置いて帰るね」と、式の後、置いて帰った留袖です。

  この留袖を着て、あの日、金春流の謡を謡ってくれた母の姿を想いだします。

  今で言うハンサムウーマンだった母、それもとびっきりの。明治という時代が強い女性を産んだのでしょうね。

  (おしん)そのままの幼い時から自分で切り拓いた豊かな生活、そして、また苦闘の時代と波乱万丈の一生

  だったみたいです。

  (みたい)というのは、義母から着た話で、母からは苦労話も豪華な生活のことも一度も聞いたことが無いので

  分かりません。 「昔は・・・・」と、良かった時の思い出話をする人ではありませんでした。

  ただ、わたしの十代になってからの母の苦労は身にしみています。心の中にはきっと、涙の壺が溢れていたのだと

  思いますが、わたしには、微塵も感じさせない気丈な女性でした。

  逆に、「面白そうだからやってみよう!!」と、何事にも前向きで鼻歌まじりで挑戦するという感じの人でした。

  

  わたしの理想の女性、それは与志さん貴女です。72歳で旅立った貴女を追い越してわたしは、76歳になりましたよ。

  年齢だけは追い越しましたけど、生き様は足元にもおよびません。ただ、何事にも好奇心いっぱいなところは貴女ゆずりかも?

  今までも、そして、これからも、わたしは、貴女の後ろ姿を追っていきます。そして、今度逢えたときに貴女から

  「楽しかった?」って聞かれたら「おかげさまで、めっちゃ楽しかったでぇ」と、答えられるような締めくくりを

  したいと思います。何事も考え方一つですから・・・・・・・・