執着心の強い彼。
「駄目よ」
と言ってやめさせると、
他の事をしているフリをかまし、
こちらがよそを見る一瞬の隙をつき、
電光石火のごとき素早さで目標物を手に入れる。(マジ早い)
いま、しまう場所が無くて壁に山積みになってるCDは
危ないから触っちゃ駄目だけど触りたいものNo1。
わたしがちょっとお茶を入れてるそのすきに、
テーブルに昇りCDを物色する。

なぜかいつもミスチル。
さて、なんでじゃろ。
山盛りあるのになぜかミスチル。
そもそも執着心の強さを見せだしたのはいつからだったかな。
3ヶ月くらいのときに好きだった、
ティンカーベルの小さいウチワだったきもするし、
・・・やっぱりつぶつぶシーツかなぁ。
子どもが出来る前は、
自分の意思である程度思い通りに物事が進められたし、
理解できないことや不安なことは、
意識的にも、無意識下でも、避けて通ることで免れてた。
それでも困ったときには、
反省するなり価値観が合わないとか他人のせいにして、
自分なりに納得してきたし。
今思うと、そいうことも結局は自分の尺度の範囲内で、
気持ちよくやってたんだよな。
それが良くないって話じゃなくて、
それでいいし、それが当たり前なんだけど、
つくもと接してると、そうやって片付けられないことが山盛りある。
片付けられない、というか、片付けてはイケナイ、というか。
おそらく、そこで我を通すと、
いわゆるガミガミお母さんになってしまうのかもしれない。
「なんで出来ないの」
「はやくしなさい」
「恥ずかしいから泣くんじゃない」
もしガミガミお母さんになったと仮定しよう。
100回も駄目って言ってるCDを触った。
そんな折にはガミガミお母さんなら、
平手打ちも辞さないことになるだろう。
だって、駄目なんだもん。
だって、危ないんだもん。
ガミガミお母さんの言ってることは間違ってない。
現実であり、一つの通念の教育とも言えなくも無い。
でもそれは、産前のように自分に気持ちよく、
自分を正当化してしまうことになるだろう。
ツクツクには、わからないのだ。
「どうしてプーさんは触っていいのにCDは駄目なのか」
「どうして積み木はドンガラガッシャンしていいのに、
お味噌汁とおかゆはドンガラガッシャンしちゃ駄目なのか」
「どうしてママは僕をくすぐるのに、僕はママに噛み付いちゃだめなのか」
人が嫌がる気持ち。
あとで面倒になるという予測。
全てのものには用途があるという概念。
そういう繊細で高尚な人間の持つ概念という利器が、
彼にはまだ無い。
それを学べるまで、安全な環境で過ごさせてあげること。
それを学べるように、いつも安心して健やかな気持ちでいさせてあげること。
わたしがやるべきことは、叱る事ではないのよね。
駄目なことから教えるんじゃなくて、
必要なことを必要と気が付けるための、ココロの余裕を作ってあげることなのよ。
イラッと来るたび、この長い下りを頭ン中で旋回させてます
理性保つの大変なときもオフコースあります。
生まれたばっかりの頃、
なんで泣いてるのかわからなくて苦労したけど、
「オナラしたいときに泣くらしい」
と気が付いた生後2週間。
あのとき感じた愛おしさを、
かれがおじさんになるまで忘れないでいたい。

って言ってるそばからテレビの裏で携帯が鳴ってるよ!
また持ち去り&謎のゾーンへの遺棄だよ!
・・あのとき感じた愛おしさね。
忘れてたら誰か思い出させて
「駄目よ」
と言ってやめさせると、
他の事をしているフリをかまし、
こちらがよそを見る一瞬の隙をつき、
電光石火のごとき素早さで目標物を手に入れる。(マジ早い)
いま、しまう場所が無くて壁に山積みになってるCDは
危ないから触っちゃ駄目だけど触りたいものNo1。
わたしがちょっとお茶を入れてるそのすきに、
テーブルに昇りCDを物色する。

なぜかいつもミスチル。
さて、なんでじゃろ。
山盛りあるのになぜかミスチル。
そもそも執着心の強さを見せだしたのはいつからだったかな。
3ヶ月くらいのときに好きだった、
ティンカーベルの小さいウチワだったきもするし、
・・・やっぱりつぶつぶシーツかなぁ。
子どもが出来る前は、
自分の意思である程度思い通りに物事が進められたし、
理解できないことや不安なことは、
意識的にも、無意識下でも、避けて通ることで免れてた。
それでも困ったときには、
反省するなり価値観が合わないとか他人のせいにして、
自分なりに納得してきたし。
今思うと、そいうことも結局は自分の尺度の範囲内で、
気持ちよくやってたんだよな。
それが良くないって話じゃなくて、
それでいいし、それが当たり前なんだけど、
つくもと接してると、そうやって片付けられないことが山盛りある。
片付けられない、というか、片付けてはイケナイ、というか。
おそらく、そこで我を通すと、
いわゆるガミガミお母さんになってしまうのかもしれない。
「なんで出来ないの」
「はやくしなさい」
「恥ずかしいから泣くんじゃない」
もしガミガミお母さんになったと仮定しよう。
100回も駄目って言ってるCDを触った。
そんな折にはガミガミお母さんなら、
平手打ちも辞さないことになるだろう。
だって、駄目なんだもん。
だって、危ないんだもん。
ガミガミお母さんの言ってることは間違ってない。
現実であり、一つの通念の教育とも言えなくも無い。
でもそれは、産前のように自分に気持ちよく、
自分を正当化してしまうことになるだろう。
ツクツクには、わからないのだ。
「どうしてプーさんは触っていいのにCDは駄目なのか」
「どうして積み木はドンガラガッシャンしていいのに、
お味噌汁とおかゆはドンガラガッシャンしちゃ駄目なのか」
「どうしてママは僕をくすぐるのに、僕はママに噛み付いちゃだめなのか」
人が嫌がる気持ち。
あとで面倒になるという予測。
全てのものには用途があるという概念。
そういう繊細で高尚な人間の持つ概念という利器が、
彼にはまだ無い。
それを学べるまで、安全な環境で過ごさせてあげること。
それを学べるように、いつも安心して健やかな気持ちでいさせてあげること。
わたしがやるべきことは、叱る事ではないのよね。
駄目なことから教えるんじゃなくて、
必要なことを必要と気が付けるための、ココロの余裕を作ってあげることなのよ。
イラッと来るたび、この長い下りを頭ン中で旋回させてます

理性保つの大変なときもオフコースあります。
生まれたばっかりの頃、
なんで泣いてるのかわからなくて苦労したけど、
「オナラしたいときに泣くらしい」
と気が付いた生後2週間。
あのとき感じた愛おしさを、
かれがおじさんになるまで忘れないでいたい。

って言ってるそばからテレビの裏で携帯が鳴ってるよ!
また持ち去り&謎のゾーンへの遺棄だよ!
・・あのとき感じた愛おしさね。
忘れてたら誰か思い出させて
