結局、やさしさの話なんだと思う

日記やエッセイや動画の感想を書いていきながら、やさしさについて考えて整理してみようと思っています。

自尊心を探しに

2025-01-13 15:16:42 | カサンドラ症候群(仮)からの生還

 カサンドラ症候群(仮)からの生還というタイトルで、経験したことを整理しようと思ってから、どういう順番で書いていこうかと時々考えながら時間が経ってしまった。私が「カサンドラ症候群(仮)」と呼んでいる状況について、まず説明した方が良いのかも知れない。

 私は45歳の時に、2回目の結婚に踏み切った。1回目の結婚を総括すると「苦しかった」ので、もう一度結婚したいとはこれっぽっちも思っていなかったし、他人と生活を擦り合わせることそのものにエネルギーを費やすことも正直したくなかった。それでも再婚することにした理由は大きく2つあって、1つ目は、再婚相手と私の双方の子供が成人しているか、または既に家を出ていること、つまり生活に子供達を含める必要がなかったこと。2つ目は、お互いの仕事の関係上、籍を入れて一緒に生活をしているかたちをとった方があらゆる面で効率的、つまり面倒くさいことが少なかったから。正直に言えば、楽な道を選んだということ。

 カサンドラ症候群というのは、AIによると「自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害を持つ人とのコミュニケーションや関係構築が難しく、心身の不調をきたす状態」を指し、私がこの状態にあったということは、「自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害を持つ人」が居たわけで、それが前の記事に書いたYちゃんで、彼女は私の再婚相手の娘にあたる。Yちゃんは、私の知る限りでは「自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害」として診断を受けたことはなく、あくまでもYちゃんの言動や症状を見てきた中での素人目線の見立てであって、それもあって私のカサンドラ症候群には(仮)がついている。

 Yちゃんの言動については様々なエピソードがあって、今となっては面白いネタがいっぱいあるけれど、それらをつらつら書きたい気持ちにはなれなくて、これは私が回復した証拠でもあるのかなと思う。間接的にではあっても家庭内のことなので、気軽に誰かに相談することもできず、私自身がメンタルの病気なのかも知れないということを認めて、国家資格を持つ心理カウンセラーを探し、信頼して話ができるカウンセラーに出会うまでは、常に良からぬ考えが思考の真ん中を横切るようなギリギリの精神状態だった。

 相手が再婚相手の子供であることで、私のエゴ(自我)が冷静な判断を狂わせていたと思う。相手に「良い人」と思われたいエゴ、再婚相手に「良い再婚相手」と思われたいエゴ、再婚相手の家族に親身に寄り添うことで周りに「頑張っている人」と思われたいエゴ。最終的には、自分のエゴが創り出した良い人像と自分の本音が全く噛み合わなくなり、自分の中の二面性の間の底無しの溝に嵌ってしまった。絶望的な気持ちだった。

 信頼して話ができるカウンセラーに出会うまで、複数のカウンセラーにカウンセリングの導入としてYちゃんとの関係と自分が陥っている状況について全く同じ話をした。そのうち3人は、話を聞くなり今すぐに距離を取りなさいと言った。それしかないと。そんなことを言われてもそれができるならとっくにしてるわ!それができないから相談しているんじゃないか!と、カウンセラーに対して半ば怒りに近い感情も覚えた。Yちゃんから距離を取るなんていうことは到底無理だと思っていて、想像することもできなかった。なので、4人目のカウンセラーに相談した。4人目のカウンセラーは、まず、なぜ私がそう考えてしまうようになったのか、私自身の人生の脈略を整理することを提案してくれた。遠くの遠くの方からアプローチするその提案なら、取り組めそうな気がした。そして1年近く時間をかけて、ウンセリングの中で私自身の思考の癖を紐解いた後にやっと、Yちゃんから距離を取ること、それも徐々にとか自然にとかそういう中途半端な方法ではなく、本人にはっきりと「距離を取りたい」と伝えることの必要性を理解することができた。私は一際頑固だったからなのか、ものすごく時間がかかった。時間はかかったけれど、自分で自分のことを底無し沼から掬い上げることができた喜びは、誰からの承認も必要としない私だけがその価値を知る成果として、今となっては自尊心の支えとなっている。


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