距離を取るにあたって具体的にどういうことをしたのかというと、まず家族のLINEグループから抜けて、彼女との個人のLINEにも私は返事をしないことを決めた。私は彼女の父親の再婚相手なので、用事があるなら父親に連絡をすれば良い。それを伝えた時に、「お父さんの再婚相手としてではなくて、友達として連絡したい」と言われた。何を言っているのかよくわからなかったけれど、理解しようとすることもやめてキッパリと断った。
これができるようになるまで、2年という長い時間と2週間に1回の心理カウンセリングを要した。2年の歳月の中で、激しく葛藤して一番扱いが難しかった感情は、彼女を「可哀想」だと思ってしまうことだった。彼女が安心して頼れる人は私しかないと思い込んでいたので、「可哀想」との戦いは壮絶だった。私が彼女を見捨てたら、彼女はもっと酷い状態に陥ってしまうのではないか、もしそうなったら私はその罪悪感に耐えられるだろうか、その責任を負えるだろうかという強迫観念はとてもとても重かった。
自分の中で矛盾する感情と向き合いながら、次第に彼女との連絡を断つことが双方にとって最善のことなのだという結論が納得性を帯びてきた時に、Yちゃんが何十回目かの自傷行為的な行動をして、真夜中に彼女の夫から電話で起こされた。翌日にYちゃんの夫から、Yちゃんが私と話がしたいと言っていると呼び出された。その場に行くべきかどうかを散々迷った挙げ句、いよいよ自分自身を奮い立たせて、Yちゃんに対して自分の気持ちを正直に伝えようと心を決めることができた。こんなに最高のトスが上がったのだから、彼女が自らその機会を作ってくれたのだから、ここで決めて来ようと自分自身に言い聞かせた。その決断の背景に何があったのかというと、彼女に必要なのは、中途半端な私のエゴまみれの優しさなんかではなく、専門家による診断と治療なのだということがしっかりと理解できたことだった。もうシンプルにそれに尽きる。彼女がしっかりと自分自身と自分の人生に向き合えるよう、私にできることは甘えて来る彼女を突き放すことで、専門家の治療を受けるように促すことだった。それが、本当の優しさなのだということに確信が持てた。
彼女に直接、関係を断ちたいと宣言した後、そこまで辿り着けた自分を誇らしく思えたし、何よりも安心できた。もうこあの人に心を乱されることはない、もう安全だ。私は自分を守ることができた。清々しかった。
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