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「嫌国」論

ここでいう嫌国(けんこく)とは、読んで字のごとく、国を嫌うこと、自分の国の物事について嫌だと思うことを表します。

自分の国で生活している中で「この国のこういう所は嫌だなぁ」と思うことはありえないことではないでしょう。学校で自分の所属するクラスについて「このクラス嫌だなぁ」という思いをした経験があるという人もいるでしょう。国に置き換えても同じことが言えるでしょう。
そういうこともあって、「愛国心」を持つのは素晴らしいことだけど、「この国は嫌だ!」という気持ちを持つのもいいと私は思います。

私は日本という国がどちらかというと嫌いです。日本文化のすべてが嫌いというわけではないのですが。

日本の何が嫌いかというと、

一つ目に、普通は名前を呼び捨てで呼び合っている相手でも、ちょっとだけでも改まった場所になると呼び捨てにしにくいというお国柄。たとえば直接会ったときに呼び捨てでも、ブログのコメントの返事では「さん」づけする人がいること。
二つ目に、男女とも「さん」づけで名前を呼ぶこともあれば、場面によっては女子を「さん」づけで、男子を「くん」づけで呼ぶということ。

上にあげたこの二つのお国柄や慣習のせいで、私は2010年から2011年にかけてとても悩んだことがました。

中学時代の先生のブログのコメントの返事で「すぐるさん」と書かれていたとき、翌日に「呼び捨てでもいいよ」と言ったが、学校で男子の「くん」に対して女子は「さん」で呼ばれることから、女性だったら元先生のブログでさんづけで呼ばれても「呼び捨てでもいいよ」と言う確率は低いんじゃないかな、そうだったら男女って不公平だという思いがよぎり、後で相当悩みました。
再び悩むことがないように「さん」をつけないでほしいと言った後も「さん」をつけていた。これに対して文句を言ったら、険悪なムードに。

直接会ったときに呼び捨てで呼び合っている相手に、ブログの中で「さん」づけするかしないか、これには個人差があるはずで、また個人の自由でもありますが、こういう時に「さん」づけで呼ぶことを考えるのは日本人ぐらいで、外国の文化でははそういう風な考えには至らないはずですから。
(イオン具志川店内の宮脇書店で、英語のブログの書き方の本を偶然見つけました。ブログの中で出会った人にも最初から呼び捨てでした。)

だから、私は日本という国が嫌いです。

私からすれば、日本はまさに憎いし、苦痛という言葉が似合う国です。

それから、自分が日本で生活していて感じる不満ではないが、共和制ではなく天皇制が続いていることも日本の短所だと思います。世襲制が時代遅れで現代にふさわしくないからです。

私にとって日本は誇りに思えることよりも、誇りに思えないことの方が多い。日本人としてのアイデンティティーに関する世論調査やアンケートがあったら、「日本のことが好きか?」、「日本という国に誇りを感じるか?」という質問に対して私は「ノー」と答えていくつもりです。

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コメント一覧

すぐる
http://yaplog.jp/u-sugu/
やーだね{CARR_EMO_104}

特にアンサイクロペディアなんかへっぽこ実験サイトって言うじゃん。自分のブログとかコメントを貼り付けるのも一種の社会実験!
Light 万変換番長家時刻げ返済定款囤爨鎮魂
Wikipedia,Uncyclopedia に自分のブログのリンクを貼り付けるのはお止めください。
mmm
いい加減wiki等荒らすの止めてくれない?
正直迷惑してるんだから
すぐる
http://yaplog.jp/u-sugu/
はじめまして、Shasaさん、コメントありがとうございます。
この記事はもともと琉球独立について書いたわけじゃないから、それについて私からいうことはありません。ここで言いたかったのは、日本語社会の慣習のせいで嫌なことがあったので、「日本(本土であれ沖縄であれ)には生まれなければよかった、違う国に生まれればよかった」ということです。
あなたのおっしゃる「この国を変えなきゃ、この国は変わらなきゃという考え方に行くのが理想的」ということには賛成です。「この国を変えなきゃ」
と考えつつ、時には「この国は嫌だ」と愚痴をこぼしてみるのもいいんじゃないかと思います。

君主制と私たちの生活とは直接関係ないけど、天皇・皇族が今のような自分の道を自分で決められないという状態から変わるために、共和制への移行は必要だと思います。

さて、今年2012年はマヤ暦の最後の年として注目されていますね。片や人類滅亡か?とも言われているけど、世界が変わる節目として、これを機に自分が日本で生活して嫌だと思う文化、慣習などを呪ってやろうと思っています。人を呪うのはよくないけど、物事に関しては皆さんがそれぞれ嫌だと思っている事がなくなるように呪うことをおすすめしたいです。
Shasa
なんていうか視野の狭い気もする。
「この国は嫌だ」ってのはあるいは誰もが通る道かもしれないけど、いつかは「この国を変えなきゃ、この国は変わらなきゃ」という考え方に行くのが理想的じゃないかなあ。

また、君主制というにはやや疑問の残る日本ですが、結局のところ立憲制なので共和制になろうが何も変わりようが無いと思います。
立憲君主制から共和政に変わっただけで何もかもが変わるなどということは有り得ないでしょうし。


コメントにあるような琉球独立なんてのは沖縄出身の私でも受け入れられないことです。
琉球民族、アイヌ民族と言えば個を持った民族と考えてしまいますが、現代日本では日本人として生活しているのでわざわざ民族で区分するがごとき運動はむしろ迷惑なのです。
また、それを民族浄化だと言いたければ言えばいいと思いますが、あなたの言ってることこそ私たちに対する差別であると気づいて欲しいところです。
自分を日本人と考えている私に対して「お前は日本人じゃない、琉球人だ」と仰るつもりなのなら知りませんが。
助け舟
あなたを救う最大の方法。それはあなたが死ぬことです。
すぐる
http://yaplog.jp/u-sugu/
自由の扉さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、世の中変わっていく部分もあるのだから、嫌いなものは嫌いと言ったほうがいいと思います。人を悩ませるような慣習はたとえその国のお国柄であっても、良いものとは言えませんから。批判精神って大事なんだなぁと考えさせられます。

天皇制については、世襲制である天皇・皇族は自分の道を自分で決められないので、自分の道を自分で決める自由があるというのがほぼほぼ当たり前の現代にはふさわしくないと、私は常日頃から感じています。最近、首相公選制を取り入れようという話をニュースで聞きましたが、私は反対です。首相公選制を導入するくらいなら皇室を廃止して大統領を置くべきだと思うからです。
自由の扉
はじめまして。私もすぐるさん(一応こう呼ばせて頂きます)の意見を支持します。

今の日本にはまがりなりにも言論の自由があるのだから嫌いな部分はハッキリ嫌いと言えばいいのです。私も日本人に顕著な横並び主義などが嫌いです。

しかしそれでもネットウヨクの奴らはきっと「日本が嫌いなら日本から出て行け」などとほざくのでしょうね。ですが私は逆にあいつらに聞いてやりたい。「お前らこそ本当に日本に嫌いな部分は一つもないのか」と。常識的に考えてそんなことはあり得ませんね。

特にすぐるさんのような沖縄の方が「日本のここが嫌い」と言ってもネットウヨクは同じように「日本から出て行け」とほざくのでしょうが、沖縄は元々琉球王国という独立国家だったのを日本が併呑したのにそれはあんまりですね。米軍基地の問題などでも同様ですが、沖縄の方々に対して内地人が「養ってやっているんだから文句を言うな」というような態度をとっていればいずれ沖縄の方々の不満も爆発するでしょう。

ところで、すぐるさんもご存じかもしれませんが近年の沖縄では「琉球独立」に関する議論も活発化しつつあります。以下の二団体は沖縄が共和制の独立国家になるための様々な興味深い持論を展開していますし、米軍基地問題も無能な日本政府ではなく琉球国が自分で解決すべきだという立場です。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/a-001/
http://ryukyujichi.blog123.fc2.com/

沖縄の方々やアイヌの方々は基本的に温厚すぎるから内地人の思い通りに振り回されっぱなしですが、不満があれば遠慮せずに声を大にして言えばいいのです。ただ、沖縄が独立しても日本的な慣習が変わるまでには時間がかかるかもしれませんが、それでも日本がこのまま慣習も基地問題も天皇制も何も変えようとしないなら沖縄の独立も真剣に考えてみるべきでしょう。

日本に嫌いな部分があったって別にいいんだし、特に沖縄の方々にとっては本来愛国心を持つべき祖国は日本ではなく琉球国なのですから日本への愛国心を民族浄化まがいに無理強いされるほうがおかしいのです。すぐるさんのおっしゃることは正しいです。
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