岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

菱形と楕円との混在を探して その14

 とうとう出会ってしまった。こう言うと、何か決定的な段階に到達したような印象を与えそうだが、そうではない。逆に、まだこれからが旅立ちの始まりだとの思いのほうが強い。2009年9月4日夕刻、場所はJR大曽根駅プラットフォーム。喜怒哀楽のいずれにも当てはまらない感情に包まれて、僕は菱形と楕円形との混在模様を見た。「模様」か?あれは、僕は「模様」とは呼びたくない。あれは「型」だ。「型」とは何か。唐突かも知れないが、今ここで定義する必要性を感じる。僕の辞書では、「型」とは「図られた同一性。又は狂いのない機械的な繰り返しを伴った表現物」だ。僕が見たのは、従って、混在の模様ではなく、混在の一つの型だった。しかも、主観的な印象を語ることになるが、味気ない型だった。それは僕の前を歩く或る女性のスカートだった。色は薄い茶色で、楕円形の中に菱形が二重に描かれていた図柄で、その図柄が縦横に連なっていた。漂う香りもなければ、気品もなく、僕は言うに言われぬ失望感を味わわされた。何がいけないのだろう。色か。安易な繰り返しか。菱形と楕円形との混在自体が持つ不快感だろうか。それとも着ていた女性のスタイルが問題だったのか。分からない。ただ言えることは、今となってはCaroline Wozniacki 嬢のスコートの模様がますます貴重な混在の成功例になったということだ。次に、「模様」の定義をしたい。「模様」とは「創られた一回性。又は予見しがたい偶然的な発見を伴った表現物」だ。最後に残った宿題、「意匠」の定義については、もう少し先に延ばそう。定義する前に、まず自分で一つの空間に自分独自の意匠を凝らす試みをする必要性を感じる。気紛れな反乱は既に始まっている。急がなくても、それは僕を僕の運命の袋小路に追いやってくれるだろう。すべてのものは閉じるのだ。僕はそう断言する。そう断言した後も、即ち、今も、この一瞬一瞬消え去る今もなお消えずに僕の掌の中に残っているものは何だろう。あるいは、残ろうとしているもの、あるいは、残そうとしているものは何だろう。「意匠」はここから生まれ出そうな予感がする。

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