つぶ子のハードモードブログ~脳脊髄液減少症、バセドウ病、うつ病、毒親・毒家族のカルテット~

つぶ子「わたしたぶん前前前世で太宰治あたりと心中しようとしたから現世でこんなに業が深いんだと思うの…🐜」

脳脊~鬱病発症の理由。

2015-04-30 22:15:00 | 発症から診断、治療に至るまで



順調に進んできた浪人生の子たちからしたらわたしはババアですが、ほんと、いろいろありました。
この年で浪人生なんてスペシャルモラトリアムニートですが、言い訳させてください。



子どもにも、いろいろあるんだって、最初から理解のある親ばかりじゃないんだって言わせてください。



16歳のとき交通事故で脳脊髄液減少症発症
→原因わからず不登校気味になり、一部の同級生、教師からいじめられる。高次機能障害など出て偏差値25くらい下がる。
単位制のマンモス校だったので落ちこぼれ総スカン。
単位やばいとの理由で保健室出禁になるなどなど。



18歳のとき浪人するもほぼ寝たきり。この頃には30件近くドクターショッピング。
→希望の大学行けず、滑り止めへ。小学生からの夢を諦めざるを得なくなる。
→周りから(特に家族から)『応援してたのに裏切った!』と罵倒されまくる。
→症状、進路変更などもあり鬱気味に。



19歳でうっかり受かってしまった滑り止めへ強制送還。
→毎日滑り止めへは行きたくない、
2浪させてほしい、
違う脳神経外科に連れていって欲しい、
絶対自分は脳脊髄液減少症のはずなんだ、と訴えるも信じてもらえず。
行きも帰りも電車で泣きながら通うもやっぱり寝たきりに。



せっかく大学に入ったのだから楽しもうと自分なりに努力してサークルに入ってみたものの週1のミーティングにさえ行けない。
→陰口叩かれて噂がまわってきたり、たまに顔出すと露骨にシカトされる。



大学入って2ヶ月くらい、問診で脳脊髄液減少症の可能性50%と診断される。
→しかし、検査、(脳脊だったらブラッドパッチ)は親の意向で、あとそのときのわたしは思考停止していたのですぐに治療せず、単位とるために夏休みまで待つことに。



ゼミ、グループで行う課題もこなせない。
脳脊髄液減少症だと打ち明けても理解してもらえない。
さぼりだのやる気ないだの遠回しに言われる。
→陰口叩かれて噂がまわってきたり以下略



必修授業
→脳脊髄液減少症の診断書を提出し難病だと説明するも、
『病気だからってあなただけ特別扱いは出来ない』
といくつかの授業で言われ行きたくもない不本意な大学で1年の時点で留年確定。




→大学でいじめのようなことにあっているといっても
『お前の性格が悪いから嫌われるんだ』
『学校に行って自分から話しかけないと友達なんか出来るわけないだろ。這ってでも行け!』
『納得行かない?しょうがないだろ、お前が全く勉強しないで馬鹿になっちゃったんだから』
などなど。



まあ毎回ではないんですが、
暴言吐かれ、
多少話は前後しますが脳脊髄液減少症の検査直前に



『あんたこれだけ自分は脳脊髄液減少症だって騒いでもしそうじゃなかったらどう責任とるつもりなのっ!?!?』
とも責められました。



山王病院の診察を認めてもらうのに1週間説得しました。



最後はわざわざ這い上がってパソコンで調べた脳脊の資料をプリントアウトしてお願いだからと懇願しました。



もちろん脳脊髄液減少症でした。



高校、大学、脳脊とわかるまでの病院、家、どこにもわたしの居場所はありませんでした。



大学1年の終わりには発狂状態で、毎日大声で泣き叫んで、
家のもの壊したり、
まともな会話が出来ない状態になりました。



親はそんなわたしをたしなめたり、なだめたり、でも結局は怒鳴りつけたり、時には手を出したり。



わたしは心療内科に行きたいからお金をくださいとお願いして自主的に病院に通うようになりました。



親も鬼ではないんで、
いいよ、心配だからついていっていい?って。
まあもちろんうっせーくんな!!って言っちゃった←



脳脊髄液減少症で何件も誤診されていたのがトラウマで、
心療内科、精神科、いろんなところを転々として、どのお医者さんも信用出来なくて、
どこでも病気が辛くて辛くて、
学校が嫌で、家族が嫌いだといった話を延々して、
適当に聞き流されて適当に鬱の薬を出されたりして、
どんどん人間不信になりました。



鬱だってわかっているけど、証拠もないのに抗うつ剤を飲むのが怖くて怖くてたまらなかった。
副作用が怖くて。



でもなんか、わたしの生き方ってきっと痛々しくてみっともなくて泥臭いんだろうけど、
自殺するのはなんか違うって思っていて、
少なからず、わかってはくれないけど、わかってくれようとしてくれる友達もいて、



もしわたしが自殺なんかしたら、
わたしが脳脊髄液減少症になったように、
家族に精神的暴力を受けてきたように、
学校でいじめを受けてきたように、
大事な大事なその子たちに一生の心の傷を負わせてしまうって思ったりもして。



だって、そういえばクラスにあんなやついたなーって程度な人でも難病抱えてた上に自殺したらしいよ、なんて聞いたらショックじゃないですか。



それに、もしかしたらよくなるかもって希望もあって、
今は無気力だけど、
そのときは憂鬱や悲しみや怒りでいっぱいで、何より病気や馬鹿な学校や家族に殺されるような形になりたくない、って。



そこはインターネット世代、
ネットでまだ研究段階ではあるが鬱病は血液検査でわかる!!
なる記事を見つけ!!



鬱 血液検査



で調べて
やっぱり金よこせついてくんなって言って←
ヒットした病院に行きました。



そこで
この病院の患者さんの中でもかなり酷い鬱病
と診断されました。



血液検査で出たんです。



目で結果を見て安心したわたしは抗うつ剤を飲み始め、
素敵な院長先生にだいぶ救われ、
うちの親は鬱病と聞いてやっと事の重大さがわかったらしく、
わたしの主治医の先生たちに理解が足らなすぎると怒られたりし←←←
やっと心を入れ換えて協力体制に入ってくれたのでした☆☆☆



それでもわたしは
1浪して入った大学では
絶対高校と同じことを繰り返したくない!と強く思っていた分、
病気への無理解や鬱病の本格的な悪化がトラウマとなり、
行こうとするだけで過呼吸を起こしたりするようになってしまいました。



態度が急変した両親は
わたしが成人してからまた浪人すれば?
とか言い出して、
年齢とか今まで殴られてまで耐えてきたわたしの気持ちとか考えろおせーんだよ2浪までが新卒なんだよゴラアアアアアアアってまた鬱病悪化したんですが、
どっちにしろ過呼吸になるような大学には行けないのでモラトリアムすることにした次第です。



お金の面では、どこの家でも出来ることじゃないってわかってる。



ありがたく思わなきゃいけない。
でも素直に思えない。



頑張る気力がまだ湧かない。



わたしは一番苦しいときに助けてほしかった。



今更優しくされても信用出来ないんです。



全てが嫌いなわけじゃないけど、
どこかで親を許せないわたしは、
駄目な子でしょうか。



まあ9割愚痴だけど、
こういう子、たぶんわたしだけじゃないなって思ってきて。



毒親持ち(言っちゃった///)
更に難病持ち。
学校での無理解。



そりゃ鬱にもなるわ!!!(白目)



でも反面教師にすればいいのさ。



脳脊髄液減少症も鬱病も
きっと良くなります。



ぶっちゃけ最近具合悪くて予備校行けてないけど←
来年は学生になって脳脊も鬱病も脱するぞ!
ババアだけど!



整体1(顎関節症発症)

2015-04-18 21:54:00 | 発症から診断、治療に至るまで



事故に遭いたてのわたしは脳脊髄液減少症の存在などつゆ知らず、
車にぶつかって無傷とか鉄のイノシシかよ自分www
みたいな下手ないきがり方をしておりました。
ああ、高2病…。
厨2病か…。



頭をフロントガラスに強くぶつけグキッと首をむちうつ…むちうつというかもろにやってしまったんですが
とりあえずむちうちということになって
リハビリ?でも行っとく?
ってな感じで通い始めたのは母が調べてくれたただただ学校の帰り道にあるっていうだけでなんの評判も知らない近所の整体でした。



ヤブでした。



絶対絶対、整体の評判は調べなきゃダメ…!!
病院しょっちゅう変えちゃダメとか聞くし、実際どうなのかよくわからないけど、整体はいろいろ巡ってみていいと思います。
ほんと、一発で腕がわかる。



脳脊髄液減少症そのものを治してくれるわけじゃないけれど、数日間の症状の出方、最悪施術中だけであっても、痛みの感じ方、体の凝り方が楽になると思います。



なんでヤブかって、交通事故でむちうちできましたって言ってるのに
首の牽引されたんですよ…。
むちうちに牽引はご法度らしいんですよ…。
悪化するらしいですよ…。
後から知ったんですけどね…。



まだ高校生だったわたしは、特に激しく部活をやったこともなかったので、整体のことはちんぷんかんぷんでした。



つぶ子ちゃん!これやったらむちうちよくなるからね!
と今思えば胡散臭かった院長に言われるがまま、首の牽引に耐えておりました。



そしたら顎関節症になっちゃったんです…。



脳脊髄液減少症の症状として顎関節症が出てくることもあるようですが、ナチュラルに人の手によって左顎がガクガクいうようになり、実は今も治っていません… ☆~(ゝ。∂)



ふぁっきん☆~(ゝ。∂)



ここの院長のマッサージは本当に酷くて、ただなでるだけ!



でも、ご近所からジジババが集まってきて、常に人がいたので
こういうもんなんだ…。
と純粋無垢なわたしは痛みに耐え、その後脳脊を発症してからも高校卒業するまで這うように通った気がします…。



治るから来なさいという整体師たち、治るから行きなさいという両親を信じて。



そういえばこの頃から甲状腺が異常に腫れ始めまして、担当の女性の整体師さんが気付いてくださったんです。
(この方は院長と違ってすごく可愛くて前向きでよく話を聞いてくれてよく症状を診てくれるいい方)



それをわたしの目の前でちょっとつぶ子ちゃんの首の腫れが気になりますって院長(男)に報告してくださったんですけど、
ちょうどその頃インフルエンザの予防接種をしていたから、
それに反応して一時的に腫れてるだけだっ!病院なんていかなくていいっ!
って言われましたね。



その頃も調べたら完全にバセドウ病じゃなかっただけで甲状腺機能の異常の数値は出て、そもそも脳脊髄液減少症の症状を訴えていたので、
甲状腺が腫れてたら医者ならふつーハシモト病とか疑わない???って感じです。



女性の整体師さんにやっぱり心配だから院長には内緒で病院行ってみてねって言われてちょっと数値が?ってわかったんですけど。



別の男の整体師さんが自分独立したいですって言ってて院長がお前なんかに出来るか!って説教してその整体師さん泣いちゃうっていう超絶展開あったのも今思い出しました。
ドラマごっこか!!!!!!!



とんでも整体ですね。



気付け、親よ。
気付け、自分よ…。



その1ヶ月後からどんどん体調は悪化。
頭痛、目眩、吐き気、視覚障害、痺れ、呼吸困難etc…



むちうちってこんなに辛いんだ。
むちうちになったらこれが普通なんだ。
我慢しなきゃ、我慢しなきゃ、我慢しなきゃ…。
ん?わたしって本当にただのむちうちなのかな?
なんか、世間でいう"むちうち"と違う気がする…。



疑問を抱えながらとりあえず通っていました。

あの日の交通事故。

2015-04-02 17:17:00 | 発症から診断、治療に至るまで


わたしが交通事故に遭ったのは
高校2年の夏、16歳のときでした。


何もかもこれからのとき。
人生の全てが変わったときです。


夏休みに入ってすぐ、
バイト帰り、夜の9時過ぎくらいかな?
既に自宅の近くまで帰ってきていたわたしはちゃんと青信号で自転車で徐行していました。


そこに左から前方不注意の右折車がボーーーーーンッ☆☆☆


突っ込んできました☆~(ゝ。∂)


わたしは自転車ごとボンネットに乗り上げて、フロントガラスに頭をぶつけ、10数メートル先まで飛ばされお尻から尻餅をつく形でガンッと着地。


頭から落ちてたら相当やばかったそうです…。


そこで気を失わ…


なかったんですわたし。


すぐさま立ち上がるつぶ子!!
やばい!!
はねられるだけならまだいい!!
一番やばいのはそのあと下敷きにされることだと聞く!!
逃げなきゃ!!
逃げなきゃ!!
逃げなきゃ!!
はっ!!
車は!!
一応止まっている!!
轢き逃げではない!!
大丈夫だ!!
だいじょ…きゃ


きゃあ~~~~~きゃあ~~~~~…ギャーーーーーーーーーーーーーーーーギャーーーーーーーーーーーーーーーース!!!!!!!!!ギャーーーーーーーーーーーーーーーース!!!!!!!!!ワアーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!


たった今起きたあまりのことに恐怖を抑えられない16歳のわたしは気が付いたらパニックに陥って叫びまくっていました。
うるさかったです。


夜で人通りは少なかったけど、運良く少し先がコンビニで、事故を目撃していたカップルやすごい音に気がついた前を走っていたバイクのおじさんがかけつけてくれました。


もう靴とかどっかいっちゃてて。
両方脱げてた。


そしてなかなか出てこない運転手。


やっと出て来たおじさんが放った一言。


『大丈夫ですかぁ~?でもぉあなたが飛び出してきたからぁ~』


ブチッッッ。


はあ?
おじさん何言ってるんですか?
わたしちゃんと点灯して青信号で徐行してたんですけど?
ちょっと何言ってるかわからないです。


『てゆぅかぁ、頭、大丈夫です?フロントガラス』


って指差されて車見たら
わたしの頭の形にフロントガラスへこんどるーーーーーー!!!!!!


なんでまず最初にそれ言わないんですか?
てかなんでわたしに濡れ衣着せるんですか?
てかなんで反省してないんすか!?
てかなんで大人なのに謝るってことが出来ないんだよ!!!!!
謝れよ!!!!!


もうわたしぶちギレヒートアップ。
アドレナリン出てるせいか全く痛みは感じないんだけど、左側頭部若干腫れていて足首とか血出てて、
自転車使い物にならなくなってるし
後から聞いたら骨折くらいしててもおかしくない事故だったっていうから
なんだよわたし鋼かよって感じなんですけど。


実は家族の友人のお兄さんが交通事故に遭って頭を強く打って、無傷だからって家に帰っちゃったら脳内出血があとから出てきちゃって気付いたときには手遅れで…という話を聞いていたんです。


わたしの知り合いも頭打ってその場は平気で、しばらくして急変して今夜が山場ですみたいになって。
その子は助かったみたいなんですけど。


頭を打つことがどれほど危険か知っていたので今まで外で人にキレたことのないわたしは激昂しました。


周りに頭打ってるから興奮しないで!!救急車もうすぐ来るから!!
ってとめられるほどに…。


わたしブログでは度々荒ぶりますし、普段も毒舌とは言われますが、優しすぎるとも言われます。
本当に怒らないね、わたしなら今のでキレてるわって言われる。


けどあの日のキレぶりはすごかった…。
友人には見せられないよぉ///


だってわたしが親呼んだら態度急変したんですよ。
しかも


『田舎に妻子を残して出稼ぎに来ていてぇ…。』


って暗に大事にされたら困るZE!!
という言い訳。


結局わたしは救急車で運ばれてその場で脳に異常は見られず、
目撃者の方の証言により向こうの前方不注意は証明されたけど、相手は謝ったような謝ってないような。
警察に誘導尋問みたいなことされたり…。


慰謝料もむちうち半年でスッパリ切られたのでした。


ただ、わたしの見えない傷はMRIではわからないだけなのでした。
今後の本当の体調不良の原因は頭を打ったせいではなく、たぶん激しい尻餅をついたせい。
わたしの腰のあたりの脊椎には穴があいていました。


この1ヶ月後からどんどん具合が悪くなります。
そして、脳脊髄液減少症だと判明するのは3年後。


わたしの闘病生活はこの日から始まったのでした。


これから少しずつ
発症から30件近くのドクターショッピング、診断に至るまでのことを
ポツリポツリと思い出しながら書いていこうかなあと思っています。