夫を喪いました。去年から抗がん剤治療を受けていたのですが、とても元気だったのに、20日ほどでががっつと体力を失い、逝ってしまいました。一年以上、治療を受ける夫を見守り、とてもブログを書くことができませんでした。こころにふっと淋しさがこみ上げ、何でもないときに涙が目を濡らします。この冬は、とても乾燥しているのに、あまり眼の乾燥が気になりません。
号泣したらと言ってくれる人がいますが、泣き方忘れてようで、号泣はできません。気持ちが癒えるには、その人に合った時間が必要なのでしょうね。
夫は親友であり、兄であり弟であり、なにより私の庇護者でした。生活のあらゆる面で頼り切っていたので、困ります。ぼつぼつ、今まで見もしなかったカタログや案内書を読んでやっております。
今まで、亡くなられた人々の亡くなられようを聞いたときは、あまり病まないで逝かれた方のお話を聞くと、うらやましい逝かれ方だと、友人などと話し合ったりしましたが、肉親となるとこうも見方が違うのですね。
独りになると、食材も少量で足り、料理は好きなので作って食していますが、たとえば長年おつきあいしてもらってきた生協の購入などもかつての家族構成をもとに今なお計画されているようで、ほんのちょっとずつの生活スタイルには合っていないように思います。
少量購入、少量消費にしてなるべく食品ロスを出さないように、寂しさに耐えつつやっています。夫が元気なると思い込み買って食材が、2ヶ月あまりで、やっと食べきることができたかどうかというところです。コロナ禍に何を甘いことを言われる向きもあるかもしれませんが、こんな日常になりました。