電子データで保存した昔の写真などをひっぱりだして、こんなんを作ってみました。
年がいくことによっての変化がよくわかりますね。
「若い頃は良かった」「爺さんになってしまった」と嘆いても、それは一人の人間の歴史的経過における変化というもので、自然のものだからしかたがないのでしょう。
◎生まれたのは、1948年4月。京都市下京区の西七條商店街が故郷です。七条第三小学校、七条中学、乙訓高校を卒業し、本屋さんに就職しました。
◎高校時代に民青に入り、3年の時に生徒会長をしました。
◎共産党に入ったのは20歳の時だと思うのですが、はっきりした記憶も記録もありません。
◎23歳の時に立命生協に入り、8年間、コックをしました。生協労組の委員長として活動しました。
◎31歳の時に、京都生協に移籍し、魚の担当者・店長・水産バイヤー・IT事業担当などの仕事をし、60歳(実際は、61歳の誕生日直前)で退職しました。
◎水産バイヤー時、魚の仕入れのため、全国を回りました。アメリカと中国にも行かせていただきました。私の人生にとって、とても貴重な10年間でした。
◎退職後は、「悠々自適」(嘘です) 年金者組合に入り、グランドゴルフ・ボウリング・パソコンなどを、みんなで楽しんでいます。
◎最近、「孫の顔が見たいなあ」と思うようになりました。
◎裏山の林道歩きで、約30分間、意識不明になりました。以後、一人での山歩きは謹んでいます。
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16歳の頃は痩せていて、58kgぐらいしかありませんでした。
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20歳代の半ば頃は、山登りに熱中してましたね。
その後、労組の役員をやって、山登りは一服状態になり、35歳を過ぎたあたりから、また山とスキーに復帰しています。
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40歳~50歳の間は、仕事が面白くて、仕事に熱中していました。魚の仕入れの関係で、全国の漁港を回りました。
49歳の写真は、アメリカ研修旅行でのものです。
50歳を過ぎて、また山に復帰していますが、50歳代前半は、冬山低山を一人で歩く力が残っていました。(いまはもう駄目ですよ。)
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定年退職以降、急激に「爺様」になっているのがわかります。
61歳の写真はタイ旅行でのものですが、やっぱり「爺様」ですよね。
年輪とは言うものの、人生を生き抜くなかでの衰えはやむを得ないものではありながら、なかなか厳しいものだとも感じます。
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①もう少しで69歳。この頃は、ボウリングに熱中。アベレージ160 集会などのビデオ撮影・Youtubeアップにも凝っています。②20170311、大津市膳所公園での「原発なくそう」集会に参加。ビデオ撮影中 ③69歳の誕生日直前に東北旅行 十和田のホテルにて、久しぶりの飲酒