その息子さんは心を病んで精神科通院していたのだが、25歳で自死してしまった。
ある日ベッドでコードを首に巻きつけて動かなくなっている次男、洋二郎さんを見つけた柳田氏は電話機に飛びつき119番を回した。
救急隊による心肺蘇生術を受け、洋二郎さんは11日間生死の境を彷徨い、最終的には脳死状態となり、柳田氏は腎臓の臓器提供を決意する。
その手記『犠牲 サクリファイスー我が息子・脳死の11日』を読んだ。
洋二郎さんは中学生の時に同級生がふざけて投げていたチョークが目に当たり、眼房内出血による激痛で11日間入院したことがある。
それを機に視線恐怖、対人恐怖、脅迫思考を主訴とする神経症に陥った。
しかし、柳田夫妻は彼が心を病んでいたことを中高時代には気付くことができなかったという。
大学生の時に突然2階の窓ガラスを破り、そこから飛び降りようとしたことから精神科治療を開始。
本人から「中学高校時代は生きられた時間がなかった」と言われ、なんではやく気づいてやれなかったのかと、断腸の思いは今も消えないと書いてある。
以下はあとがきから抜粋
『それから6年間、いつも混んでいる精神科の外来で息子とともに2時間も3時間も待ってへとへとになった日が数えきれないほどあって、それもいつの日か息子が自立して社会生活ができるようになるという期待感に支えられていたのだが、到達したのは息子の死という空しさ』
全く他人事とは思えません。
洋二郎さんは大学を中退して通信制大学に編入した後もサークル活動に参加し、対人恐怖を克服しようとしていた。
精神科医からアルバイトを勧められるけれど、アルバイトは無理だと言う洋二郎さんに柳田氏はボランティアならいいんじゃないかと障害者施設に頼んでボランティアに通うようにした。
無理して4ヶ月通ったけれど、とうとう行けなくなった。洋二郎さんにとっては辛い経験でしかなかったようだ。
私もニイト君にボランティアを勧めたことがある。
親の言うことを素直に聞く子だったら、無理して余計に精神を病んでしまっていたかも知れない。
驚くのは、精神科主治医から柳田氏が言われた言葉。
「子供が死にたいと言ったら『そんなに死にたいなら死ね!』というくらい、父親の厳しさを示さなければ駄目ですよ」
そして氏はこの言葉をもっともなことだと素直に受け止めたと言う。
三十年前は精神科医でもこんなことを言う医者がいたのか。今ではあり得ないと思う。
最後に、あとがきから、心を病んだ御子息の死を歌った詩人の草壁焔太氏の歌集から引用
その荷を
下ろしなさいと
いっても
それは無理
息子の死骸だ
子どもに死なれたら取り返しがつかない。
この本を読んで、たとえ社会生活できなくても、生きているだけでいいと心から思った。