トミーのブログ 2

園芸研究家 トミーです。

先日、ロケハンにむかう途中

2010年09月10日 08時52分16秒 | トミーのひとりごと
ローカル電車内で

見知らぬおじいちゃんにお声をかけて頂いた。


何度経験しても恥ずかしい。

突然だとほんまにびっくりしてしまう。

自分に対して『大丈夫?』みたいな感覚が残留することもある。

笑顔でお声をかけてくださるという行動論とは、

長年テレビでトミーを見続けてくださって、

昔からの知り合いであったような感覚になったはるにちがいない。



たいていの場合

ファンのかたがボクの顔を認識されたら

優しい表情でボクを見つめてくださる。

その後、お声をかけてくださるタイミングを見計らっていらっしゃることが伝わってくる。

ボクも知らない顔をするわけにいかないので、本当に最低限の笑みを浮かべる努力をするのだ。

それはおじいちゃんの笑みがボクに対するものじゃないと、こちらが変なオジサンになってしまうから、本当に悩む瞬間なのだ。

目のちからはそのままで口角だけをあげるという最も変化の少ない笑顔をするのだ。

つまりこの間(ま)がいちばん難しくかつ恥ずかしいときかもしれない。


先日は

すぐにおじいちゃんが優しくお声をかけてくださったので間違っていなかった。

『テレビの園芸のトミーさんやなぁ~?』

『いつもありがとうございます。園芸研究家のトミーです』

『このへんに住んでいるんかぁ~?』

『はい、〇〇〇の駅前に住んでいます。』




すると

トミー隣に座ってはった見知らぬ貴婦人さまが

『やっぱりトミーさんやってんね。すんごく似たはるなぁ~って思っていたのよ』


こんな感じでたわいないことがローカル電車内でくりひろげられているのだ。

恥ずかしいんだけどありがたいこと。

長年マスコミ等でさせていただいてきたことが間違っていなかったんだと自負できるときかもしれない。


人は善意のなかで生きているもの。

いつも悪意を寄せ付けないような善意パワーを発信していくべきものなんだろうと思う。
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受け入れられるかどうか?

2010年09月06日 23時23分13秒 | トミーのひとりごと
やってみないとわからない。


怖くないっていえば嘘になる。


受け入れられるかどうかは結果論。



表面的に受け入れられただけなのに完全に受け入れられたと勘違いするときもある。


だから修正しなければいけない。



時代の進む速度によっても


変化するから面白い。




ぐずつかれたり

拗ねられるのは


残念ながら絶対に受け入れられない。



その瞬間のその時代にあわなかっただけなんだから。


それをごねてもそこには意味は存在しないから。




それを魅力だと勘違いしているのも残念だと思う。



要は受け入れられるかどうかなのだ。



好感半分反感半分の絶妙な芸が存在すると



視聴率が高くなるのも理解できるでしょ。
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