前回
おはようございます
行く春を慈しみ 来る皐月を想う ^^! 上池には、鯉のぼりが、かかっていた
もうこんな時期なんだな
あちらこちらで、一斉に咲き出して楽しませてくれる
其々が、個性的で美しい
豪華・絢爛
おや、、
もしかして
「センダン」
「栴檀は双葉より芳し」のせんだん
チョイトしらべてみると
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
香木のびゃくだんは、芽生えた時からすでによい香りを放つ。 才知のすぐれた人は、幼少の頃から、すでに並外れた素質を表す。
語:栴檀=びゃくだん<白檀>の別名。 びゃくだんはインドネシア地方原産の香木。
焚く(たく)香りの材料として、または仏像彫刻用
双葉=芽生えた時の姿。 びゃくだんは双子葉植物なので、芽生えると二枚の小さな葉を生ずる。
「二葉」とも書く。
類:栴檀は双葉より薫じ梅花はつぼめるに香あり 鳳凰(ほうおう)は卵の中にして超境の勢いあり 実のなる木は花から知れる 蛇は寸にして人を呑む 竜は一寸にして昇天の気あり 竜の子は小さしといえども能く雨を降らす 反:十で神童十五で才子、二十(はたち)過ぎればただの人 大器晩成(たいきばんせい) http://kotowaza.exblog.jp/5183005/ フムフム・・
樹の名前にもなるほど深い意味合いがあるなぁ
季節の移ろいは、感性を豊かにしてくれる
日本の四季や二十四節気は、素晴らしい
穏やかな朝です
・・君は、、何も応えては くれないけどね
|
前回
あれ ・・・
我が家の庭に
牡丹が、大きな花を咲かせてくれました
なかでも この子は 綺麗です
どこか似ているなぁ
ピンクの花びら
我が家の庭にまだ頑張って咲いてくれている
八重桜
春は、ピンクが似合うなぁ
此れからは、情熱の赤
灼熱の太陽のイメージ
シャクナゲの芽も 今か今かとばかりに膨らんできてますね
ツツジも負けじと ぽつぽつと
情熱の赤 まだ小粒でも
真っ赤なバラには、かなわないかな
いよいよ 騒がしくなってきました
|
春の気ままツーリング 道志道・御坂みち・甲斐路YouTube動画2014.4.10 春の気ままツーリング 道志道・御坂みち・甲斐路 BMW K1200GT陽気に誘われて またまた出かけちゃいました。目的は,...
前回
『雉橋 でけんもほろほろに叱られる』
内堀通りから水道橋西通りに向う、通称 「雉子橋通り」
『雉橋 でけんもほろほろに叱られる』は、
この橋付近で外濠 から平河濠に続いていて、江戸城本丸にも
近かったため警備も厳しかったという。
(警備の厳しさと雉のけんけん鳴く声をかけている)。
日本橋川に架かり、一ツ橋の上流約300mの所にあります。
江戸時代初期には 「雉子橋 御門」 が築かれていることから、
御門橋としての 『雉子橋』 はその頃からあったことに なる。
雉子橋を渡ると広小路になっていて前面が清水濠、左に雉橋門の
渡櫓があって枡形の西側は清水濠に近接していた。
現在の雉子橋を渡ると左手に毎日新聞社のビルがあり、
その向いに内濠の竹橋門が見える。旧平川の流路をたどった
外濠の城門はここで終わり、濠はこの先の堀留橋まで通じてい
た。その先は埋め立てられていたが、明治になって掘り返され
小石川門で神田川と合流し、日本橋川は運河として利用されて
います。
雉子橋見附門
雉子橋門は家康が朝鮮の来聘使を饗応するために雉子を囲った
鳥小屋の所在から門名に名付けたそうな。
この橋も首都高に上空 を塞がれて暗い橋と成ってしまっています。
全く下の様子は,分からないが、
雉子橋見附門・雉子橋門は陸奥国または出羽国の大名によって
寛永6年に築かれた。 家康が朝鮮の来聘使を饗応するために
雉子を囲った鳥小屋の所在から門名に名付けたらしい。
大隈重信は、1876(明治元年)年10月から1884(明治17年)年
3月まで、この雉子橋 邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)
に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田 大学の前身、
東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。
周辺には大学が、多いが、チョットした休憩所に
《黒門》 ☜ 前回は《赤門》
なるほど・・黒塗りの冠木門が校門だったので、やがて
黒門の専修・赤門の東大・・・を意味したそうな
本当に今まで気にもしなかった橋でさえも・・面白いなぁ、、