まず初めに、私は学のある人間ではない。
一応福祉の大学を卒業してはいるが、これと言って目覚しい活躍はない。
ましてや、文学の知識など皆無に等しい。
だから、そういう人間が頑張って情熱のままに考察していることを念頭に置いて優しく読んで見てほしい。
私は考察がしたい。
何より、みんなにモモの素晴らしさを知って欲しい。
じゃあ始めます!
世界でいちばん簡単なモモのあらすじ
1モモというホームレス風の女の子が町に現れて円形劇場に住み着く。
2町人はモモが困らない様に家具を揃えたりする。
3町の人々はモモが聞き上手ということを知り争い事や困ったことがあると尋ねるようになる。
4モモは町の住人と交流を深めてしばしの間楽しく過ごす。中でも掃除屋さんベッポと観光案内のジジの2人と大の仲良し。
5ももの住む町とは別の大きな街で時間泥棒が暗躍し始める。
6街の人達が余暇や暇な時間を切りつめて効率的に働き始め、それが普通になる。
7ももの住む町にもその流れが来て、誰もモモに会いに来る暇がなくなる。
8モモが時間泥棒と会話し時間泥棒が負ける。そしてその事が時間泥棒たちの間で問題として認識される。
9モモが時間泥棒に追われ絶体絶命の所マイスターホラとカメのカシオペイアに助けられしばらくの間マスターホラの所で色んなことを教えてもらう。
10時間泥棒たちと対立が深まり、マイスターホラとカメのカシオペイアと協力して奪われた時間を解放する
オワリ
かなり大雑把だけど大筋は間違ってないと思う。
詳しく知りたければモモを読んでね!
モモの考察と感想
モモの住む町の福祉とその変化について
さて、この物語の主人公であるホームレスのモモ。
彼女が一体何者なのかは分からない。
人間であることは間違いない。
現代日本なら児童相談所か警察に通報して終わりだろう。
ここで気になるのは町の住人たちの反応だ。
ホームレスかつ幼い子供であるモモは町の円形劇場に住むという強い意志を表示する。
普通なら施設かなんかに送るはず。
しかし、町の人は自分の持ち物やできることをしてモモを手助けしていく。
部屋に装飾を施したり、ベットや食事を用意したり。
ホームレスの保護にしては随分と手厚い(現代でもこんな風だったらよかったのに)
この事から、町の住人は保護よりも自立を重んじる性質がある様に思われる。
まず、物語の中ですら孤児用の施設があることがセリフからわかる。
同時に、そこに送られるのは決して幸せなことではないと認識している。
だからこそ、ホームレスのモモを通報したりせずに円形劇場に住まわせているのかも。
言葉だけを見ると、ホームレスの子供を放置している印象を受ける。
前述した通り、本人の意思を尊重して足りない部分を補う形で自立を促している。
これは理想の福祉と言える。
しかし、物語後半になると町の住人たちはそれを放棄する。
モモを尋ねる時間が無くなり遊びに来ることも無い。
それどころか、自分たちの子供を「時間が無い」という理由で施設に送っている。
前半のホームレスの孤児を自立させ手助けする福祉の理想系と後半の肥大化したシステマチックな福祉の委託が見事な対比になっている。
これを踏まえて次は私の感想!
我々の生きる現代は「モモ」無き世界
私は福祉の仕事をしている。
薄給激務の大変な仕事だ。
だからこそわかる。
現代日本にモモが現れても施設に送られる事を。
でも、これはさほど不自然なことではない。
子供1人養うと言っても、昔と今ではかかる費用が違う。
そもそも不景気かつ物価も上がっている現状では養育のための費用を捻出するのは結構大変。
凡そ子供を望むのは国民の半分ぐらいのものだろう。
現に日本の出生率は年々右肩下がり。
晩婚化も進み少子化はもはや常態。
自分たちの子供ですら産むか産まないかの選択をしなければならない状況。
ホームレスの子供を育てる余裕のある家庭は多くないだろう。
そうした貧困と隣合わせの状況との等価交換で私たちは利便性を手に入れた。
公的機関のアクセスも最近ではスマホで出来るようになってきた。
警察の通報など今ではスマホのボタンを押せば簡単に出来る。
だから私は、今現代日本にモモが現れても施設に送られると考えている。
私はこの物語を読み終えた時「私たちの世界では、私たちがモモを手放したんだ」と感じた。
時間泥棒もいないのに、暇がなくなって。
モモが居たかもしれないのに、それを見る暇がない。
これは自己責任なんだよね。
時間泥棒もモモも居ないのに、どんどん暇がなくなってどんどん余裕が無くなって。
誰も話を聞いてくれないから、1人で呟いて。
それでも、頑張って生きていかなきゃ行けない。
なんて寂しい世界なんだろう。って私は思いました。
暗いけど今日はこれでおしまい。
次回はモモを読んで救いのない世界でどうやって生きるべきなのかについての感想です!!