入院準備のため三年半ぶりに実家へ
実家につくまでの間、なにも考えられませんでした。
緊張もあった、でも、それ以上に未来への明確な不安があった。
一応大黒柱の父の収入を失えば弟の進学に支障が出てくる。それだけは避けたかった。
いかに回避するか。どのように回避するか。
それだけを考えていたのを覚えています。
実家について父と対面。
言葉がでなかった。
中肉中背だった父が、痩せて骸骨みたい。
驚くのと同時に、今までの親子の軋轢を気にしてる場合ではないことがわかったのです。
気軽に会話が出来る状態ではなく必要なものを伝えられそれを用意しているうちにその日は終わり。
三年半もあってなかったとは思えないほど、感傷も思い出すものもな買った日だったのを覚えています。
翌日父はタクシーで入院。
短期の入院とはいえ手術もある。
もしもの事を考えるとくつろぐ気にもなれず、そわそわしたまま過ごしていました。
冗談を無理して言う親子。
退院の日が近づくにつれ、どういう顔をして迎えに行けば良いか分かりませんでした。
実家についたときは、やることがあってイチイチ気にしていませんでしが、よく考えれば三年半会話の無かった父。
どういう顔をして話せば良いのかわからないのです。
気の効いた冗談を言えれば良かったのですが、そんな教養もなく。
なんとか思い付いたのが「物を使ったメッセージ」でした。
退院当日、私はタクシーで病院へ向かい、父の入院したお部屋へ急ぎ足。
部屋に到着すると、弱々しく痩せてオムツをはいている父が居ました。
「俺はCalvin Kleinしか履かない」と思春期の私に突然報告してきて怒らせた父とは思えない姿でした。
私は「まだ生きてたの」と言いました。
今までの事を清算するため、精一杯の皮肉。
「まだでした」と父。
そんな会話を聞いていた看護師さんは苦笑いをしていた。
お医者さんから体調と術後の経過の説明を受け大事がないことを確認。
それも終わり私が荷物をまとめていると、父がお手洗いをを済ますためお部屋から出ている隙に、私は菊を一輪置いておきました。
不謹慎きわまりない冗談。
でも、これしか考えられなかったのです。
そして、父が部屋に帰ってきた。
机に目をやった。
菊を見た。
父は笑いながら私の頭を叩いた。
「まだ早いよ」
威勢だけは元気。
それでも、叩いたことでよろける父。
私は痛くも何ともない。
子供の頃、よく父に頭を叩かれた。
あんまりにも痛くて泣いたことだってたくさんある。
はっきりいって父の手は私にとって暴力の象徴。
それがどうだろう。
今や痛みは感じず、乾いた手が触れた程度。
形式上、叩かれてはいるけどその中身は変質していた。
暴力による教育から無理をして張った見栄に変わったと私は思う。
なによりも、お父さん弱くなったなぁと実感した。
それがどうしょうもなく悲しい。
しかし、その様子を見ていた看護師さんは苦笑いをしていた。
世代交代の儀式
家に帰るため、一緒にタクシーへ。
荷物を積めながら、父は「会社に挨拶に行くから帰るのはその後だ」と言い出した。
いつもいつもこうだ。
父は行き先を相談せず勝手に決める。
それが昔から嫌だった。
だから、今回は私が行き先を勝手に決めた。
「そんなの後にして、会社にも迷惑。さっさと家に帰る」と言った。
他の人からすれば何て事ない言葉かもしれない。
でも、私の家族の中では世代交代の意味合いを持つ。
「家に帰る」という言葉。
それは、責任を持つものが許される発言でした。
例えば買い物。
金を出すものの意向が優先され、その庇護にあるものはそれに従う。
父が「もう帰る」と言えば帰らなきゃいけません。
逆に私が「もう帰る」と言っても意味がありません。
私が「家に帰る」というのと父が「家に帰る」というのでは意味合いが違ったのです。
私の発言は単なるわがままで、父の発言は決定事項の周知。
だから、遠方から帰宅し入院の準備をして迎えにまできた私に今回は責任があるのです。
病人を無事に家まで届けるという責任が。
家族のルールに則れば、タクシーの行き先を私が決めたのは決定事項。
父の発言は会社の地位を気にした単なるわがまま。
父もその事を何となくわかったのでしょう。
少し笑いながら「わかったよ」と呟きました。
世代交代が完了したのです。
でも、なぜ笑っていたのか今でも私にはわかりません。
どんな感情があったのか。
当然ですが私は父と違います。
「父が決定事項しか口にしなかった過ちを、今は踏むまい」。
私はそう思いました。
私は相互理解のため父の同意を求めました。
「家にまっすぐ帰るよ。いいね?」
父と私がすれ違ったのは相互理解が原因。
これまでたくさんすれ違ったんだからもういいでしょう。
父は「はいはい、わかったよ」と不満の表情をせかしらに見せびらかしてきました。
私は「わかればいい」と昔の父の真似をして言いました。
私たちはタクシーに乗り込み家に向かいました。
本当に、本当に遅い相互理解。
でも、遅すぎた訳でもなかったな。
終わりに。
蒙昧な思い出を形にして書いてきました。
しかし、思い出はまだまだあるものの、形にできていないのが多いためしばらくブログ休みます。
二週間とか一週間ぐらい。
興味をもって貰えたらフォローして次の再開をお待ちいただければ幸いです。
皆様に幸せがたくさんありますように。