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クルシャの天地

奇数の並ぶ節句の日

『庭訓往来』『素尺往来』なんかのまえの幼学書に
『口遊』がごさいまして、成立がより古い、というだけですけれども
対象にしている子女の階級か違うので、読み方も変わってきます。


どちらにも、節会を祀るようなことや、時候の挨拶が書いてあるわけなのですけれども
「口遊」にも「「往来物」にも、11月の節句が出て来ない。

新嘗祭がそれなりの重さのある儀礼なわれですけれども。


別の儀礼の為に隠してでも居るんじゃ無かろうか。









飼主が怪しみ出すというのは、ほぼ確信をしていて、隠蔽の手続きもおよそ
想像できているということなのですけれども。

『口遊』を見ると
よくいう三皇五帝の説明がしっかりしているので、堯舜なんかくらいしかしらない
耳学問を、本物の教養で区別できますよ。

ちなみに『口遊』は入手不可能となっております。








そんな知識必要なんですか?


必ず必要です。本物と稀に出会ったときに、互いを確認するのにどうしても
必要。一番有名なのが「雲太和二京三」だっていうんだから、そんなに認識そのものに重みは無い。
けれども、当時の符牒みたい物は、分かっていて想像するのと、知らずに創作してしまうのとでは
なんといいますか、出所の素性が違う。










一休寺の動画に出てきたお茶屋さんが言ってましたよね、素性。
 ところで、11月の11日には何が隠されていたのですか?




11月の21日は、飼主が死ぬまで忘れることの無い、うる忌となります。

この日はほかに譲れませんけれども、11月11日は節句でも何でも無かったのです。










ただし、11月には「東に向かう勿れ」とか、唐突に書いてある。

幼学の書なんていうのは
賢人ら(主に僧侶)のメモだもんな。
11月にでもなれば東方の道は荒れていたんだろう。


秋の嵐と霜と、刈り取り後の戦とで。







ウルタールのうる: 巻三十 (うるたやBOOKS)
東寺 真生
うるたや

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