直観的操作について心理学的に1から説明しようとするとだいぶややこしくなるため、今回は図を引用して簡単に済ませる。
どれぐらいややこしくなるのかというと自己効力感の定義とか動機付けのダイナミックな変動とかを記載することになる。多分論文読んだほうがはやい。
引用:中谷, 矢野 (1993)
図はゲーム(図ではRPGと記載)とプレイヤーのやり取りを可視化したものだ。
Inputの部分ではプレイヤーが実際にコントローラとかで入力してゲームを操作している部分。
Outputの部分では操作されたゲームが音とか映像とかで出力されて、それをプレイヤーが感じている部分。
このInputとOutputのサイクルがゲームプレイのなか絶え間なく続くわけだが、俗に「直観的」と言われる要素はこのサイクルを滞りなく続けるためのテクニックだと思ってほしい。
例えばInputの部分。ゲームのプレイアブルキャラを動かすために3つも4つも5つもボタンを押さなきゃいけないのはキツイし、攻撃するために90年代の格ゲーのコマンド入力が毎度求められていたら嫌になること間違いない。
ほとんどの場合、操作は手段であり目的ではない。プレイヤーはゲームを操作したいのではなく、ゲームを操作して目的を達成したい。なので、手段が複雑であれば目的達成はそれだけ理不尽に難しくなる。
だから、移動はスティックを倒すだけ、攻撃はボタンを押すだけ。これで問題ない。操作を簡便化してもやりがいは減らないし、むしろ操作のしやすさはプレイ体験の向上に直結する。
もっと言えば、ゲームのOutputがInputしたプレイヤーの意図とずれていないかも重要になる。わかりやすいのはゲームの入力遅延、動いてほしいというプレイヤーの意図が遅れて反映されるのは、どのゲームにおいても致命的なはず。
また、Outputのスピードが速すぎても認知できずにイライラするし、遅すぎてももっさりしてイライラする。これはゲーム全体の速度やパラメータに関するお話であり、こうした要素も「直観的」に繋がるのだ。
直観的操作のお話は心理学でいうところの有能感の欲求に当たる。
ゲームを滞りなく操作できるというのは、善いゲーム体験の礎となるのだ。
参考文献
Klimmt, C., & Hartmann, T. (2006). Effectance, Self-Efficacy, and the Motivation to Play Video Games. In P. Vorderer & J. Bryant (Eds.), Playing video games: Motives, responses, and consequences (pp. 133–145). Lawrence Erlbaum Associates Publishers.