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大人からのバイオリン、なんと再開。。。人生ってどう転ぶかわからない

再発検査と私の祈り

2014-02-27 | リンパ腫
今週の月曜日、2/24に、いつもお世話になっている市立病院で、CTを使った検査を受けてきました。

去年の1月に受けた以来の、本格的なリンパ腫の再発検査でした。

それまで、2~3か月に一度の血液検査、9月にはエコーを使った検査をしていました。

でも、やはりCTの検査は、感じが違います。腫瘍が分かった時の、あのCTの画像を思い出すのです。
大きな塊が、黒々とおなかの4分の1近くを占めていた、目を疑うような画像でした。

今回も、再発していないか、緊張しました。
でも、CTを受ける直前に、教会の姉妹から、メールで聖書のみことばが送られてきました。
そのことばを噛みしめながら、平安のうちに検査を受けることができました。

「見よ、わたしは、すべての肉なる者の神、主である。
 わたしにとってできないことが一つでもあろうか」(エレミヤ32.27)


そして、昨日の外来で、リンパ腫の再発の所見なし、との結果を聞きました。よかった!
自家移植から3年近く、これでだいぶ再発の可能性が下がったと、医師から教えて頂きました。

…深い神様への感謝を感じました。そして祈ってくださった方々の、多くの祈りに感謝しました。


わたしは最近、祈りを変えました。

それまでは、たとえば自分のリンパ腫については、
「再発しませんように、と、祈ることをお許しください」と祈ってきました。

「再発しませんように」の祈りがやめられれば、本当の「委ね」になると思ってきたからです。

でも、やはり、わたしの本当の気持ちは、「再発しませんように!」なのです。
だから、やっぱり、そう祈ることにしました。
わたしの本当の心を知っていらっしゃる神様に、祈りを、言葉を飾ったって、しかたがない、そう思ったからです。

そして、一番の理由は、祈りとは「捧げる」ものだと、改めて感じたからでした。

祈りは、聞き入れてもらうために、取引のように使うものではなく、
また、聞き入れられなかった時の言い訳になるような、保険をかけるようなものでもなく、
ただ、「捧げる」ものなのだと。

神様にお捧げした以上は、その祈りがどうなっても、それはもう、私の手から離れたものなのです。
神様の手の内にあり、私の祈りを聞きつつ、神様が「最善」をなしてくださる。
その「最善」が、私の思いと違っていても、そのときはきっとまた新しい思いと祈りが与えられるのだろうと信じることにしたのです。

ただ、そのおささげものを、見目良いように飾ることはすまい、
飾らない自分の本当の気持ちをおささげしよう、そう思いました。

そう思い立ってから、私は本当に素直に祈ることができるようになりました。
これまで、祈祷会も迷いながら出ていましたが、素直に出られるようになりました。良かったと思います。



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