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島原城

2019年11月23日 | 旅行
武家屋敷























































島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼びます。

鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、

造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、

その名がつけられたと言われています。






















7つの町筋は碁盤の目のようにできており、ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が690戸ありました。

町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、

水奉行を置き、厳重に管理されていました。

現在、保存されている下の丁の武家屋敷は、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで、

山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放され、当時の武家生活の様子が偲ばれます。






















































湧水館










湧水館

しまばら湧水館は、「鯉の泳ぐまち」の中心にあります。大正初期に建築したもので、

木造瓦葺平屋、宅地113.8坪、床面積51坪の屋敷です。

平成15年(2003年)から平成17年(2005年)にかけて島原市が当時のままの姿に整備しました。

島原の湧水めぐりなどを楽しむ際に利用してもらおうと、” 湧水館 ”と命名しました。

家屋は栂(トガ)材でできており、間取りや欄間、書院等、大正時代を知る上で貴重な保存家屋です。

































































「鯉の泳ぐまち」そばの水屋敷

この屋敷は明治後期に別邸(宅地187.8坪、木造瓦葺約40坪)として建築され、

四方の眺望に優れていることから「四明荘」と名付けられました。

庭園は昭和初期に禅僧を招いて造られたと言われ、色とりどりの鯉が泳ぐ庭園の池へは

一日に約1000トンもの清水が流れているそうです。




















水が、一日に約1000トンもの清水が流れているそうです





























きれいなコイがたくさん泳いでいました・・・。



















街並み・・・。