若紫のカトリーヌ「勝手にカトリーヌコーナー」

なつかしい思い出、人、事、徒然に書いています。長年のラジオネームは、「若紫のカトリーヌ」です。

スーパーキャット・茶々丸

2020-02-22 14:22:00 | ねことの暮らし
19年生きたねこ・茶々丸


うちの庭にある日、ふらっとやってきた

ねこ一家がおりました。

なんとなく、庭で生活をする様になり、

にわねことなりくらしはじめました。

当時、一人で家にいる事の多かった、

祖母の縁側に、あさ、晩とあいさつにきていました。

中に、一匹、とてもやせていた白いねこ(ちび)がおり、一人だけやせていてかわいそうだと、夕飯ののこりをあげる様になりました。

親ねこと、白いメスと、大きい白いオス、(ぶーちゃん)そして、白と茶色のとても人なつこい美人ねこ(茶々丸)の一家。

なかでも、茶々丸は飼い猫では?という程の、人なつく、かわいらしいねこでした。

外生活をメインにしているねこたちには、

車にひかれたり、危険が多く心配な生活でした。
出産をし、その後、さらにやせて、人の見えない所でなくなっていた、がんばり屋さんのちび。。まっしろな、美しいねこでした。

親ねこも、しばらくして、姿をけしてしまいました。

大きいオスネコぶーちゃんは、くしゃみをしながらも、なついてきていたので、病院につれていきましたか、

数ヶ月後、かわいがってくださっていた、

隣家のおじさんの物置の影にかくれてなくなっていました。

憐れに思われたおじさんが、丁寧に、埋葬してくださいました。。

最後の一匹、茶々丸はうちの同居ねことなり、19にわたり、共に暮らすこととなりました。

元から外にいた子でしたので、何軒か、
かわいがってくださる家があり、
留守中、よく、あそびにいっていました。

時々、キレイにシャンプーしてくださる家があり、つやつやぴかぴかになって帰ってきました。

エステに行ったの?ときくと、

にゃん!と答えるので、

たぶん、そうなんだと思っておりましたが、いまだにどちらの家にお世話になっていたかは不明です。


秋のある日、口に何かお土産をくわえてる。。

また、もぐら?ねずみ?とびびっていましたが、

足元に自慢げにおかれたものは、、

ふくろいりのおなじたみのあんぱん!

運動会シーズンだから、パンくい競争?と聞いても、にゃっ!と

自慢げにしているので、私が時々食べていた事を覚えていたのかもしれません。

今となっては答は闇の中です。

そんな、茶々丸は溢れるほどの愛と、献身、かわいらしさで私を支え続けてくれました。

19年生き抜いたご長寿ねこは、

人のいうことも理解しており、

旅立つ前も、冷たくなった前足を添えながら、出なくなってきた声でなにかを伝え様としていました。

親バカと言われてもかまいません。

あのことばは、「ありがとう」だったとおもいます。

私も、ありがとう、またね、ずっといっしょだよ!、、と泣きながら言い続けていました。


旅立ちからずいぶんと時間がたちました。

私は今も、ねこが大好きです。

ただ、
現在はかわないことにしています。

ペットロスの苦しみ、辛さは、想像以上にきついものです。

それと、なんとなく、茶々丸がやきもちをやきそうな気がしているためです。

茶々丸との出会いは、神様からの

贈り物だったのではないか?と、

思っています。

たかがねこ、

されとねこ、


ねこのパワーは素晴らしい。