東京カテドラル聖マリア大聖堂
(キリスト教徒ではありません)
今日は長崎の原爆投下の日
75回目の祈りの日です。
8月6日も今日も
黙祷させて頂きました。。
広島の日に
ブログを書こうと思ったものの
なかなかまとまらず、挫折。。
その後、いろいろ調べまくり
今日書いてみましたが
長くなってしまいました。。
昔、英語の授業で読まされた
「Give back my father…」で
始まる有名な詩
「ちちをかえせ ははをかえせ…」
(作詩・峠三吉)
アメリカ留学経験のある英語教師が
「被爆で亡くなられた方々を
思っての詩だけど
戦争によって命を奪われた
世界中の人たちを思う気持ちと
同じです。。
日本も兵器は違うけれど
たくさんの殺戮を繰り返したことを
思い出してほしいです。」
この言葉が
この詩と共に毎年忘れられません。
そして
この時期になると
もう1つ思い出すことがあります。
それは30数年前に見た
戦後日本の分断予想図です。
東西分断時代のドイツ
東ベルリン郊外のポツダムで。。
ポツダム宣言の会議場で見た
難しいドイツ語の解説の中の
日本地図。。
思わず駆け寄って眺めたら…
「なに?これ?」
北海道&東北地方は、ソ連?
本州中央はアメリカ?
四国は中華民国?
西日本はイギリス?
東京は4カ国共同占領!
↑かなり記憶が怪しかったので
ネットで調べました!
日本も、ドイツと同様
分断への道が想定されていたのです
危うく、東京も
ベルリンのようになる可能性が。。
しかし
ポツダム宣言にもあるように
終戦後の日本は
ドイツのようにならず
アメリカ主導のGHQによる
“間接統治”になったのです。
ポツダム宣言は
1945年7月26日のことです。
その時すぐ
日本が合意していれば…と思っても
被爆して亡くなられた方々は
帰っては来ません。。
調べてみたら
日本の戦没者は310万人…!
その方々の犠牲の上に
今の平和があることを忘れないで
生きていこうと思います。。
余談ですが…
私「今日は何の日?」
母「え?終戦記念日?」
2日間とも
同じ答えでした(/--)/(笑)
戦中戦後を生き抜いたのに
嫌なことは
忘れてしまうのでしょうか。。
母は戦争中から小学校教師でした。
20年間勤めて退職する日の朝
朝礼で全校生徒に挨拶した際の
最後のメッセージです。
“あなたたちが
これからもずっと
戦争のない平和な世界で
暮らせますように。。”
母の同僚だった方が
教えてくださいました。
素晴らしいスピーチだったと…
** 追記 **
「ちちをかえせ…」の詩ですが
アメリカ在住経験のある先生は
「戦争問題は、日本からだけの
視点で見てはいけない」とも
言っていました。
↑実際フォローさせて頂いてる方で
お身内を被爆で亡くされていて
遠慮したのですが…
しかし、何をどう言おうと
戦争は“悪”です!
“長崎を最後の被爆地に…”
“日本を最後の被爆国に…”
核廃絶を願ってやみません。。
東西分断時代のドイツの話ですが
東独のビザを持っていないと
ポツダムには行けませんでした。
私は元夫が東独の仕事をしていた為
当時の西ベルリンに4年近く
在住していたのです。
ベルリンの壁崩壊から
3か月後に帰国しました。
追記までお読みいただき
ありがとうございました。。