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インターハイに出場するまで

2020-02-14 18:39:00 | 日記
こんばんは。

yukiです。

今日はバレンタイン。






中島公園のある場所で見つけました。

かわいかったので撮ってみました。

さて

前回の続き

日本選手権を終えた私は

無事に高校3年生に上がり

インターハイを狙う最後の年

常にインターハイを意識して

練習をしてきた。

自分の机にインターハイ出場と

落書きするほど。

インターハイに出場するには

各予選会を

勝ち上がらなければいけません。

日本選手権とは違い

標準記録を突破した人なら

誰でも出場できるわけではないのです。

競歩の場合競技人口が少ないのと

人数が多いと審判が

正確にジャッチできない

理由(わたしの考え、
正確な理由はわかりません)で

当時は各予選会上位3名しか

出場できませんでした。

今現在は上位4名に変更になりましたが。

他の種目は上位6名。

競歩だけインターハイに出場する人数が

少ないのです。

競技人口が少ないとはいえ

狭き門なのです。

私の場合

静岡県西部予選上位3名
静岡県大会上位3名
東海大会上位3名
インターハイ

という流れで

勝ち進んでいかなくてはならず

なかなか厳しい状態ではあった。

それでも東海大会までは行ける

自信はあった。

静岡県内ではライバルが

1人しかいなかったし

そのライバル以外では

負ける気がしなかった。

県大会ではライバルに負けはしたものの

県大会2位で初の東海大会に

出場が決まる。

東海地区は意外と競歩が盛んな地区で

特に愛知県は強い選手がたくさん。

東海大会のプログラムには

各県予選で出した

タイムがランキングになって

上位6名が表示される。

もちろん私はランク外。

出場するメンバーの中で

下から3番目ぐらい

だった気がする。

これが逆に開き直れたのかもしれない。

思いも残すことなく全力でやろう。

それしか考えていなかった。

レース前日に

後輩がインターハイを決めた。

レースの前々日に顧問のマッサージを受け

もみ返しがひどく

前日の最終ポイントも

もみ返しが痛すぎて

全然歩けず顧問のマッサージを

受けなければよかったと

後悔しながら本番当日を迎える。

朝練の時も痛みがあり

もう終わったと思った。

しかしアップを始めると

身体が軽く今までの痛みが全くない。

腕もスムーズに動く。

これは行ける。となぜか自信が出ていた。

レースの記憶はほとんどない。

覚えているのは

ラスト2周

6人ぐらい集団でレースが進んでいき

ペースが遅い感じた私は

集団を抜け出し

ペースを上げた。

すると集団が一瞬のうちにバラバラに

残り1周の鐘が鳴り

無我夢中でゴールを目指した。

1人に抜かれ

残り200m

歩形を気にしてる余裕はなかった。

抜かれないように必死に歩いた。

そして2位でフィニッシュ。

タイムは21分42秒

22分台を出したことがなかった私が

いきなり21分台

さらに競歩を始めて1年で

インターハイ出場を決めた。

奇跡でしかなかった。

ゴール後は

新聞記者の取材。

翌日の新聞に自分が載った。

とにかく嬉しかった。

夢の全国出場が現実になった。

しかし

私の快進撃はこれでは終わらなかった。

ドラマのようなホントにあった話。

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

次回はインターハイのことを

書いていきたいと思います!