1945年8月15日、76年前の今日は、第二次世界大戦が終わった日である。
旧奈良屋小学校が遺体安置所だった
96歳の母は、これで空襲がなくなると思ったそうだ。
「サイレンの音が鳴ると空襲警報を思い出して怖い」と、ずっと口癖のように言っていた。
終戦の年の6月19日、福岡は米軍の空襲を受けた。
「福岡大空襲」である。
二十歳の母は当時、福岡の中心部、現在の博多座近くに住んでいて、焼夷弾で燃えさかる火の海の中を布団を被って逃げたそうである。
千人を超える方が亡くなられているが、「福岡大空襲」を語る際に、悲惨な例として必ず伝えられていることがある。
「旧第十五銀行」ビルの地下室に退避していた62人が、停電のためシャッターが開かなくなり、地下室から出られずに熱死してしまったのである。
母が住んでいたすぐ近くで、そこに逃げるつもりだった。
しかし、逃げ遅れてしまって繁華街とは反対の東の方(現在の千鳥橋付近)に逃げて、命びろいをしたそうだ。
その話は母から良く聞かされていた。
その時、地下室に逃げていたら、自分はこの世にいなかったのである。
空襲から68年後の2013年6月19日、市内で開催された「平和のための福岡大空襲展」で、母が証言をする機会があった。
今から8年前、認知症を発症する前である。
その様子が、NHKのローカルニュースで紹介された。
焼夷弾の威力はすごかったようだ
旧奈良屋小学校が遺体安置所だった
知り合いを探したが、分からず
最近、世の中が戦前の空気に似てきたと言う話を耳にする。
戦後生まれの者には、戦前の空気を感じることは難しい。
直接、戦争を体験した世代は高齢化し、生の体験を聞く機会は少なくなった。
が、しかし、歴史を学ぶことはできる。
広島、長崎の原爆投下、今日の終戦、少なくとも8月は、各地でさまざまな行事があり、特別番組やメディアの特集記事も。
そして、沖縄も忘れてはならない。
まず、事実を知ることが大事なのだ。
たまたま、昨日、ラジオで戦争をテーマにした詩を耳にした。
昨年末に亡くなられた、なかにし礼さんの
詩を、黒柳徹子さんが朗読していたもの。
引用させていただく。
若者よ戦場へ行くな
平和の申し子たちへ
泣きながら抵抗を始めよう
二〇一四年七月一日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反に対して
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍禍しい
暗黒時代へと戻っていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回り始めたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため? 大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若者たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争に向いてないからだ
世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ボケ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
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