握りこぶしでファイト!

認知症の母との生活を中心に、日々のよしなし事を書きます。

ペシャワール会医療を再開

2021-08-27 03:18:00 | 日記
アフガニスタンでは、空港近くで爆発があり多くの死傷者が出た。「IS」の自爆テロとの見方があるようだ。

そんな中、人道支援活動を続ける非政府組織(NGO)ペシャワール会は、情勢不安を受けて休止していた診療所を、21日から再開した明らかにした(西日本新聞の報道)

診療を再開したのは、ナンガルハル州の山間部にあるダラエヌール診療所で、15日から休止し、勤務する現地の医師や看護師、薬剤師ら14人は自宅に待機していた。
診療所周辺では戦闘や混乱が起こっておらず、安全性は確保されていると判断。
周辺では唯一の医療機関で、住民から再開を要望する声も強かったという。

・・・

この報道を受けて、26日、福岡のラジオ局の番組内のコーナーでペシャワール会の村上優会長への電話インタビューがあった。
8月26日 RKBラジオ「仲谷一志・下田文代のよなおし堂」16:07〜)

以下は、そのやり取りである。(Q→キャスター、A→村上氏)
 注:編集なしの放送で一部に聴き取れない箇所もあった。

Q)ニュース映像で見たが、診療所の周辺は再開できる状況でしょうか?
A)多分、カブールの空港周辺は全体から見れば異質な状況にあると思います。
カブールも8月15日の「無血入城」した直後は、用心して静かにしていましたが、8月21日からはジャララバード、カブールの両方ともバザールも開いて日常は戻っています。

日本で報道されているカブールの状況は、特殊なところだけが浮き彫りになっていると思います。
我々が活動している診療所は、山岳地域に入ったところで特に大きな変化はありませんでした。
 
ただ、やはり無政府状態なので安全第一と考えて、8月15日には診療所、農業、用水路を一応休止して様子を見ていました。
まずは、医療から始めようと言う報告を受けて再開を決定しました。

Q)各地で、例えば略奪が起きたりなどは今のところないのでしょうか?
A)どこでも政権が変わる時は略奪とか混乱はあるものですから、そういうことを起こるかどうかを皆さん固唾を飲んでみていました。
バザールを開けたと言う事は、そういう混乱がないと言う証左だと思っています。

Q)物も、ちゃんとあると言う事でしょうか?
A)そうですね、日常生活の流通は普通にあると思います。

Q)今回の診療所の再開は、地元の要望もあってと聞いていますが、これはどのような要望で、どんな患者さんが多いのでしょうか?
A)だいたい月に3000人から3100人の受診があります。それが7月からは4500人位、1.5倍になっています。
増えたのは新型コロナのデルタ株だと推測しています。急速に増えています。

Q)そこでは、新型コロナで苦しんでいる人たちの診療に当たっているのでしょうか?
A)新型コロナは治療法がありませんので、咳が出て、熱が出て、呼吸困難が起きたら
酸素を与えなくてはならない。肺炎症状があれば、山の方の診療所からジャララバードのセンターに移送させているというのが今の役割になっています。

Q)中村哲先生は用水路に力を注いでいましたが、それはどうでしょうか?
A)用水路の辺りは特に大きな変化はありません。
8月14日にタリバンが州に入ってきました。そして15日にジャララバードにあるオフィスにタリバンがやって来て、我々の活動についての調査がありました。
それから何も大きな変化はありません。

Q)事業は継続していますか?
A)事業は継続しています。
農業の方は230ヘクタールの農地を国から譲与を受けているので、農地の水やりなどのメンテナンスはしています。ただ、新たな、肥料をやるとか大きなものを動かさないといけない事は、もう少し様子を見てからになります。
用水路の方は休止しています。

Q)タリバン側は、ペシャワール会の活動をどう受け止めていますか?
A)我々が活動していた1990年代はタリバンが支配していた時期と重なっています。
2000年の大干ばつが起こったその当時は、タリバン政権でその時は協力的だった。

皆さんが考えているタリバンは、僕たちから見るとちょっと現状とは違うなと言う感じがします。
我々のような農村地域で活動していると、皆さんタリバンが求める伝統的な生活に違和感なく、元々そういう生活だったので反発はなかったと思います。
都市生活者は、ビルが破壊されるなどいろいろな反発があったとは思いますが、我々の活動地域には反発はなかったと思います。

Q)この質問に答えていただけるかどうか分かりませんが、アフガニスタンの今後はどのような方向に進んでいくと考えられますか?
A)我々は現在まで37年間ずっとあの地で活動して事業を継続しています。
その間、様々な政権、様々な戦争がありました。その中で事業を継続している。
ですから政権がどうなろうとも我々の事業は続きます。

今回、どうしてこんなに簡単に政権を取ったかを考えるべきで、逆に言えば、住民とってはあまり違和感のない政権だった、となるんだろうと思いました。それが1つ。

それからもう一つは、40年間ずっと戦争があっているわけで、内戦が起こり、タリバン政権になり、アメリカ軍が入り、戦争が起こっている中で、今回はカブールで戦闘がなかった。
いろいろ批判はあるが、ガニ大統領が逃げたと言うこと、その選択は日本で言えば、江戸城が「無血開場」されたこと。
戦争が起こっていたら、40年続けた戦争がまた起こり、凄惨なことが起こればそれが怨みに繋がっていく。
その混乱が回避されたことが、今回いちばん良かったことだと思います。

それからもう一つは、2000年の大干ばつが我々の用水路を進めるための大きな方向転換になりました。
干ばつはその後もずっと続いていて、2018年にはかなり大きな干ばつがありました。
今年は2000年を超える大きな干ばつがある時期です。ガニ大統領も懸念して全土に緊急事態の要望を出していました。
国連の組織もアフガニスタン全土で、1400万人の方が飢餓状況に陥るだろうと予測を立てています。
まずは戦争が起こらず、その危機に備えると言うことをやることが大事だろうと思います。
今後の予測はつきませんが、戦争が起こらないことを僕らは願っています。

<キャスターの感想>
我々がニュース映像だけで見ている状況とは、現地は少し違うようです。
政権が変わっても、ペシャワール会の活動が地域に密着して継続していることが分かりました。





中村哲医師アーカイブ

2021-08-25 19:21:00 | 日記
タリバンが実権を握ったアフガニスタンでは、まだ一部で戦闘が続いていたり、国外脱出を巡って
混乱している様子も報道されていて、事態を見守る必要がある。

アフガニスタンは厳しい気候風土のもと、民族同士の内戦やソ連の侵攻、そしてアメリカの駐留など
複雑な歴史を歩んで来た。

今回はアメリカ軍の撤退に伴って復権したタリバンであるが、以前のような強硬な統治はしないという
ニュースも散見される。
しかしながら、タリバンと聞くと、バーミヤン遺跡の破壊、女性の人権抑圧、世界同時テロの首謀者される
「ビンラディン」の保護など、恐怖政治を行なっていた過去の記憶が甦ってしまう。

まずは、強権的な行動ではなく、人命を第一にしたソフトランディングを期待しているのだが、、。


そんなアフガニスタンは我々にとっては遠い国であった。
ひとりの医師、「中村哲」氏による35年にわたる長年の人道的な活動が広く知られるようになるまでは。

簡単に中村哲さんの活動を紹介するとー

2019年、中村哲さんは現地で銃撃され、73年の生涯を閉じた

・・・

1984年、パキスタン北西部ペシャワールにNGOの派遣医として赴任し、ハンセン病患者の
診療に当たったのが活動のスタートであった。
その後、隣国アフガニスタンにまで活動範囲を拡大、NGO組織の「ペシャワール会」と共に
無医村地区での医療に当たった。

2000年、アフガニスタンで大干ばつが発生。農地の砂漠化が進み、住民たちが次々と村を捨てた。
飢えと渇きの犠牲者の多くは子供たち。
「もはや病の治療どころではない、医療では飢えと渇きは救えない」と、灌漑事業を決意し井戸掘りを始める。

アフガニスタンの安定は政治や武力では解決できないことを見抜いた決意でもあった。

2003年、井戸掘りを進める中で直面したのが、地下水の枯渇
水不足で小麦が作れない住民たちは、現金収入を得るため、乾燥に強く、ヘロインやアヘンの原料となるケシの栽培を
広げていた。
地下水に頼る灌漑の限界を知り、用水路の建設を始めたのである。

2010年、用水路が完成
荒れ果てた農地に加え、もともと砂漠だった場所までが緑に生まれ変わった。

2019年、アフガニスタン政府から名誉市民権を授与される。
造り続けてきた用水路で潤った土地は、約16,500ヘクタール、福岡市の約半分に及ぶ広さとなった。
日本全国から「ペシャワール会」に寄せられた寄付と、共に汗を流したアフガニスタンと日本両国のスタッフが
事業を支えたのである。

そして、この年の12月4日、悲劇が、、。


今年の3月21日、中村哲さんの母校である九州大学において、中村さんの著作物などを公開する事業
「中村哲医師メモリアルアーカイブ」オープニングセレモニーが行われた。

この事業は、九州大学が進めている「中村哲先生の志を次世代に継承する九大プロジェクト」構想の一環として、
実現したもの。
九州大学附属図書館(中央図書館)にコーナーを設けて、中村哲さんの活動を振り返る映像や著書を展示すると共に、
現地報告、講演記録、新聞雑誌記事などについてはデジタル化し、「中村哲著述アーカイブ」としてネットワーク上に
公開される。
展示については、新型コロナウィルスの感染が落ち着けば一般公開の予定としている。
一方、著述アーカイブは既にアクセス可能となっている。
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/nakamuratetsu

中村哲さんからのメールによる現地報告など興味深い貴重な資料を読むことができる。

一貫して現地住民の視点に立って、医療と灌漑事業に取り組んで、住民の命を救ってきた中村哲さんとペシャワール会。
その志や業績を知ることは、平和的国際貢献、人道支援のあり方を考える上で役立つものと思われる。

政権崩壊で混乱している現在、ペシャワール会の動向が気掛かりである。

中村哲さん亡き後、現地で人道支援を継続しているペシャワール会の活動は、一時中断を余儀なくされているようだ。
ペシャワール会の村上優会長は、取材に対して次のように答えている。

「現在も、約100人の現地スタッフが活動しており、福岡から資金や技術面で支援している」
「これまでに現地スタッフへの被害は確認されていない」
「これまでも度重なる内戦や外国軍の攻撃の中、事業を続けてきたペシャワール会。アフガン支援の想いが途絶えることは
ありません」
「医療であるとか水とか農業とか、命をつなぐ方に活動していることを理解していただければ。
どのような政権がどのような考えを持とうとも、共闘できるだろうと」
そういう信念が中村先生にはありましたので、我々も継続していきたい」





終戦ドラマ

2021-08-20 02:57:00 | 日記
8月13日、NHK総合TVで放映された終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」というタイトルのドラマを観た。

このドラマは実話に基づいた、フィクションである。
放送では直接触れていないが、「九州大学生体解剖事件」が原案。

ドラマのあらすじは、次のとおり。
太平洋戦争末期、帝国大学医学部の医師たちによって米軍捕虜への実験手術が行われ、8人の命が奪われた。捕虜は大分に不時着したB29爆撃機の乗務員。

軍の命令によるものなのだが、教授は医学の進歩のためと協力し、生きたままの人体実験手術が行われることに。

助教授である主人公(妻夫木聡)は、命を救うべき医師として実験はやるべきではないと教授に進言するも、結局止めることはできなかった。

そして敗戦、関係者は戦争犯罪人として裁判にかけられる。
教授は自殺を図ったため、主人公が事件の首謀者とされ死刑判決を受ける。

死刑判決を受けて巣鴨プリズンで不本意ながら、刑の執行を待つことになってしまった主人公。

それぞれの罪を背負った死刑囚たちとの出会いがあり、深い苦悩の果てにたどりつく
「何もしなかった罪というものもあるのではないか」という思いから、減刑のための「嘆願書」を書かない。

一方、主人公の妻(蒼井優)は実験手術に反対した夫が首謀者とされたことに納得せず、その判決に異議を唱え、公正な裁きを求めて奔走する。

妻の思いが実って(協力者もあり)、主人公は減刑され10年後に解放される。

時を経て、医院を開業している主人公のもとに、記者がインタビューに訪れる。
"戦争だったから、やむを得ない得なかった面もあるのでは"という記者の言葉にこう答える。 
人間の命に対して、「しかたなかったと言うてはいかんのです」


我々は仕方ないの一言で済ませてはならないことに、目をつぶっていないだろうか。
考えないようにしてはいなかっただろうか。

日本のアジア大陸進出は仕方なかった?
アメリカの原爆投下は仕方なかった?

そして、今ー
コロナ感染は仕方ない?想定内?
ホームレスの命はどうでもいい?
核兵器は?


空襲を生き延びて

2021-08-15 00:42:00 | 日記
1945年8月15日、76年前の今日は、第二次世界大戦が終わった日である。

96歳の母は、これで空襲がなくなると思ったそうだ。
「サイレンの音が鳴ると空襲警報を思い出して怖い」と、ずっと口癖のように言っていた。

終戦の年の6月19日、福岡は米軍の空襲を受けた。
「福岡大空襲」である。

二十歳の母は当時、福岡の中心部、現在の博多座近くに住んでいて、焼夷弾で燃えさかる火の海の中を布団を被って逃げたそうである。

千人を超える方が亡くなられているが、「福岡大空襲」を語る際に、悲惨な例として必ず伝えられていることがある。

「旧第十五銀行」ビルの地下室に退避していた62人が、停電のためシャッターが開かなくなり、地下室から出られずに熱死してしまったのである。
母が住んでいたすぐ近くで、そこに逃げるつもりだった。

しかし、逃げ遅れてしまって繁華街とは反対の東の方(現在の千鳥橋付近)に逃げて、命びろいをしたそうだ。

その話は母から良く聞かされていた。
その時、地下室に逃げていたら、自分はこの世にいなかったのである。


空襲から68年後の2013年6月19日、市内で開催された「平和のための福岡大空襲展」で、母が証言をする機会があった。
今から8年前、認知症を発症する前である。 

その様子が、NHKのローカルニュースで紹介された。


焼夷弾の威力はすごかったようだ


旧奈良屋小学校が遺体安置所だった
知り合いを探したが、分からず


最近、世の中が戦前の空気に似てきたと言う話を耳にする。
戦後生まれの者には、戦前の空気を感じることは難しい。

直接、戦争を体験した世代は高齢化し、生の体験を聞く機会は少なくなった。

が、しかし、歴史を学ぶことはできる。
広島、長崎の原爆投下、今日の終戦、少なくとも8月は、各地でさまざまな行事があり、特別番組やメディアの特集記事も。
そして、沖縄も忘れてはならない。

まず、事実を知ることが大事なのだ。

たまたま、昨日、ラジオで戦争をテーマにした詩を耳にした。
昨年末に亡くなられた、なかにし礼さんの
詩を、黒柳徹子さんが朗読していたもの。
引用させていただく。

 若者よ戦場へ行くな 
平和の申し子たちへ
 泣きながら抵抗を始めよう

二〇一四年七月一日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反に対して
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍禍しい
暗黒時代へと戻っていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回り始めたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため? 大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若者たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争に向いてないからだ
世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ボケ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ





お祭りマンボ

2021-08-11 20:42:00 | 日記
オリンピックが終わった。 

過去最高の新型コロナ感染者と莫大な赤字を残して。
あっ、過去最高のメダル数もあったんだった。

そして、内閣支持率は危険水域に達している。

これって「お祭りマンボ」状態ではないかと思えたので、紹介したい。

「お祭りマンボ」は、天才歌手と言われた「美空ひばり」が昭和27年に発表した歌謡曲(流行歌)で、洒落の効いた傑作。

リアルタイムで聴いたことがある人は、それほど多くないと思われるが、カバー曲として知っている若い人もいるようだ。
ジャニーズjrのユニットグループ"忍者"が歌った「お祭り忍者」という曲の原曲でもある。

歌詞を紹介すると、

お祭りマンボ
  原六朗作詞・作曲・編曲

私の隣のおじさんは 
神田の生まれで
チャキチャキ江戸っ子
お祭り騒ぎが大好きで
ねじり鉢巻 揃いの浴衣
雨が降ろうが 槍が降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイ ワッショイ
ワッショイ ワッショイ
景気をつけろ 塩まいておくれ
ワッショイ ワッショイ
ワッショイ ワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ

おじさんおじさん 大変だ
どっかで半鐘がなっている
火事は近いぞ スリバンだ
何を言っても ワッショイショイ
何を聞いても ワッショイショイ
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ

そのまたとなりのおばさんは
浅草育ちで チョッピリ美人で
お祭り騒ぎが 大好きで
粋な素足に 絞りのゆかた
雨が降ろうが 槍が降ろうが
朝から晩まで お神楽見物
ピーヒャラ ピーヒャラ
テンツク テンツク
おかめと鬼が
はんにゃとひょっとこが
ピーヒャラ ピーヒャラ
テンツク テンツク
ソーレソーレ ソレソレお祭りだ

おばさんおばさん 大変だ
おうちは留守だよ からっぽだ
こっそり空き巣が 狙ってる
何を言っても ピーヒャラヒャ
何を聞いてもテンツクツ
ピーヒャラ ピーヒャラ
テンツク テンツク
ソーレ ソレソレ お祭りだ 

(ここでスローテンポに)

お祭りすんで 日が暮れて
冷たい風の吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
へそくり盗られた おばさんの
ほんにせつない ため息ばかり
いくら泣いても かえらない
いくら泣いても あとの祭りよ


おじさんとおばさんを、あの二人(総理と都知事)に置き換えてみると、今回のオリンピック「狂想曲」となる。
おじさんの"生まれ、育ち"とか、おばさんの"ちょっぴり✖️✖️"などは違ったりするけど。

国民の声を聞く耳を持たず、まずはオリンピックありきで突っ走り、結果としてコロナ感染を広げてしまった。

目指していた支持率アップは逆に下がってしまい、かさんだ経費をどこが負担するのかなど課題も残した。

出るのはため息ばかり。
ああ、「あとの祭」。

という構図が浮かんだのであった。
パロディはここまで。



政治の今やるべきは、コロナ感染をこれ以上拡大させない。皆んなの命を守り生活を支えるための政策を作り、それを実行することである。
"あとの祭り"という訳にはいかない。
国会を閉じるなんてもっての外。

政権は、自らの保身のためにあの手この手で、巻き返しを図ることにしか関心がないように見える。オリンピック然り。

政権にとって、選挙で勝てば、オールOKなのか。(本来はそうではない筈だが)
そうはさせないためには、自分達の権利を行使すること、つまり投票に行くことが何よりも大事である。

下がったといえども、内閣支持率は30%ある。

選挙になると、なにしろ与党には潤沢な資金と信心深い方々という強力なパワーがあるのだ。

ちなみに、認知症の母96歳に、「お祭りマンボ」知っとる?と聞いてみたが分からず。
しかし、"ワッショイワッショイ"と言うと知っていた。
オリンピック強し?