今日1月2日は
東京での年越しの時には
大抵そうすることにしてる、銭湯での
初湯?に行って来ました。
結構たくさんの人が、お湯と、おしゃべり
を楽しんでいました。
明るいうちに行く銭湯は特に好きです。
大抵の銭湯は、脱衣所もお風呂の中も
高い位置に「あかり取り」の窓があって
晴れていたら、本当に気持ちがいいから。
ヴォーカリストだし、湯気は大好き。
咽も潤って、あったまるし、体のび〜って
出来るし、いいですね。
元日は、夜
tohoシネマズのマイルが貯まって貰った
1ヶ月間フリーパスを利用して
「こんな夜更けにバナナかよ」を
見ました。
ネタバレかもしれないので
見る予定の人は、ここからは
映画を見るまで読まないでください。
子供の頃に筋ジストロフィー
と診断された鹿野さんという方が
病院や介護施設は利用せず
ヴォランティアの方々のサポートで
暮らした日々を描いたものです。
実話を元にした作品とのことでした。
1)「障害者を可哀想という目で見る」
同情というのは本来、良いことだと私は
思っているので、それは悪い感情ではない。
だって、情けを同じくするのは、複数が
共存する場合、ある程度は必要だし。
とは思うけれど、ただ上から目線で
哀れむのとは違う。
2)「障害者なんだから少しは我慢しなさいよ」
という考え。
ヴォランティアも人間だから
介助を受ける人間のペースだけで
あまりにわがままを言われたら
こういう感情が出て来てしまうことも
理解出来る。
私もきっと、怒鳴るでしょうねと思う
場面もありました。
ヴォランティアとは
自分を犠牲にすることとは違うから。
てか、障害者じゃなかったら
あんなわがまま言うやつは
とっくに嫌われて、孤立する。
だから、ある意味、障害者だから
言えるわがままだとも感じました。
そこには、1の感情があるから、でしょう。
本当に情を同じくするのか
上から目線で哀れむのかは違うことですね。
3)「障害者だから、仕方ないよね」という諦め。
人間は、自己防衛本能があるからか?
わからないけど、きっと無理だよね、と言う
線を決めやすいですね。
一瞬、楽な方を選ぶ、と言うか。
でも、鹿野さんは挑戦し続ける人生でした。
そこで、周囲の人間もその挑戦の心を
持つことが出来た。
「障害者から学ぶ」と言うのは
ヴォランティアのサポートなしで
生きられない鹿野さんが言うことかどうか
わかりませんが、学ぶことはたくさん
ありますね。
映画を見ながらいろいろと考えました。
お母さんに対する態度も
鹿野さんの優しさなんだなと
思いました
親への感謝を直接まっすぐ
表現できると言うのは
本当に恵まれたことだと
思いました
鹿野さん、ありがとう
きっと、頭も心も賢い方なんでしょうね
そして、支えたヴォランティアのみなさんも
すごいです
で、私は
自分の感覚、自分の考え、自分の生活ペース、
など、自分だけを中心に考え行動することは
やめよう、という思いを再確認しました。
休み中にどれだけ映画
見れるかな?
東京での年越しの時には
大抵そうすることにしてる、銭湯での
初湯?に行って来ました。
結構たくさんの人が、お湯と、おしゃべり
を楽しんでいました。
明るいうちに行く銭湯は特に好きです。
大抵の銭湯は、脱衣所もお風呂の中も
高い位置に「あかり取り」の窓があって
晴れていたら、本当に気持ちがいいから。
ヴォーカリストだし、湯気は大好き。
咽も潤って、あったまるし、体のび〜って
出来るし、いいですね。
元日は、夜
tohoシネマズのマイルが貯まって貰った
1ヶ月間フリーパスを利用して
「こんな夜更けにバナナかよ」を
見ました。
ネタバレかもしれないので
見る予定の人は、ここからは
映画を見るまで読まないでください。
子供の頃に筋ジストロフィー
と診断された鹿野さんという方が
病院や介護施設は利用せず
ヴォランティアの方々のサポートで
暮らした日々を描いたものです。
実話を元にした作品とのことでした。
1)「障害者を可哀想という目で見る」
同情というのは本来、良いことだと私は
思っているので、それは悪い感情ではない。
だって、情けを同じくするのは、複数が
共存する場合、ある程度は必要だし。
とは思うけれど、ただ上から目線で
哀れむのとは違う。
2)「障害者なんだから少しは我慢しなさいよ」
という考え。
ヴォランティアも人間だから
介助を受ける人間のペースだけで
あまりにわがままを言われたら
こういう感情が出て来てしまうことも
理解出来る。
私もきっと、怒鳴るでしょうねと思う
場面もありました。
ヴォランティアとは
自分を犠牲にすることとは違うから。
てか、障害者じゃなかったら
あんなわがまま言うやつは
とっくに嫌われて、孤立する。
だから、ある意味、障害者だから
言えるわがままだとも感じました。
そこには、1の感情があるから、でしょう。
本当に情を同じくするのか
上から目線で哀れむのかは違うことですね。
3)「障害者だから、仕方ないよね」という諦め。
人間は、自己防衛本能があるからか?
わからないけど、きっと無理だよね、と言う
線を決めやすいですね。
一瞬、楽な方を選ぶ、と言うか。
でも、鹿野さんは挑戦し続ける人生でした。
そこで、周囲の人間もその挑戦の心を
持つことが出来た。
「障害者から学ぶ」と言うのは
ヴォランティアのサポートなしで
生きられない鹿野さんが言うことかどうか
わかりませんが、学ぶことはたくさん
ありますね。
映画を見ながらいろいろと考えました。
お母さんに対する態度も
鹿野さんの優しさなんだなと
思いました
親への感謝を直接まっすぐ
表現できると言うのは
本当に恵まれたことだと
思いました
鹿野さん、ありがとう
きっと、頭も心も賢い方なんでしょうね
そして、支えたヴォランティアのみなさんも
すごいです
で、私は
自分の感覚、自分の考え、自分の生活ペース、
など、自分だけを中心に考え行動することは
やめよう、という思いを再確認しました。
休み中にどれだけ映画
見れるかな?