みなさん、お久しぶりです。
とある王国の冒険も落ち着いたため、久しぶりに投稿します。
今回は神の名前についてです。
聖書には唯一神が出てきます。その神の名前は、広く普及されている新共同訳や聖書協会共同訳の聖書には出てきませんが、エホバの証人が使用している新世界訳では、「エホバ」と翻訳されて出てきます。日本語ではエホバの他に「ヤハウェ」と翻訳されることもあります。旧約聖書の原文には、約7,000回神の名前が出てくるそうです。
イザヤ書42章8節には次のように書かれています。
「私は主、これが私の名。(以下略)」
ここに出てくる「主」とは、原文ではヘブライ語で神の名前を意味する[יהוה]が書かれています。神の名前を伝える聖句なのに、神の名前が使われていないのは不思議ですね。新世界訳では次のように翻訳しています。
「私はエホバ。それが私の名。(以下略)」
この翻訳だと、文章として意味が通りますね。新世界訳は間違っている、エホバの証人の教義に合わせて改ざんしている、という批判もあります。私も含め多くの人がヘブライ語原文を読むことができないので、どの翻訳が正しいかを見極めるのは難しいです。このブログでは、新世界訳こそが正しい翻訳だ、という主張もしません。聖書の翻訳についてどう考えるかは、読者自身が考えるところです。
多くの翻訳・宗派で神の名前が使われない中、エホバの証人が神の名前を使う理由について解説していきます。
イエス・キリストは祈りの中で「天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように。」(マタイによる福音書6章9節)と述べています。つまり、イエス・キリストの父である神の名前が聖なるものとされるように祈っています。また、先に示したイザヤ書42章8節では、神自ら名前を言っています。
神の名前を使うように呼びかけられている聖句をいくつか紹介します。
「(前略)主に感謝せよ、御名を呼べ。(以下略)」(イザヤ書12章4節)
「すべて主の名を呼ぶ者は救われる。(以下略)」(ヨエル書2章32節、口語訳)
「私は彼らに御名を知らせました。また、これからも知らせます。(以下略)」(ヨハネによる福音書17章26節)
「しかし、主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(使徒言行録2章21節)
ここに出てくる「主」も神を意味します。つまり、神の名前を呼ぶよう呼びかけられています。これらを含む多くの聖句から、神は自分の名前を知ってほしい、大事に使ってほしいと考えています。旧約聖書の中で約7,000回神の名前が出てくることも、その主張の根拠となっています。
次に、エホバの証人を除くほぼ全てのキリスト教系宗派が神の名前を使用しない理由について、エホバの証人はどう解釈しているのかを解説します。
まず、一般的に言われている理由の一つとして、モーセの十戒と呼ばれる神から与えられた10の戒律の中で、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主はその名をみだりに唱える者を罰せずにはおかない。」(出エジプト記20章7節)というおきてがあるからと言われています。つまり、神の名前を使ってはいけない、発音してはならない、という解釈ですね。そのため、多くのキリスト教系宗派では神の名前を使わず、聖書でも発音できる表現(=エホバ、ヤハウェ等)を用いていないのです。エホバの証人ではこのおきてを、神の名前を使ってはいけないと言っているのではなく、不適切・不敬な使い方をしてはいけない、と解釈しています。この解釈だと、先に述べた神の名前を使う理由とも整合性が取れますね。「主の名をみだりに唱えてはならない」とあるものの、十戒の中で神の名前が8回も使われていることから、単に使ってはいけないという意味ではないと考えています。そもそも、神の名前を単純に文字通り「唱えてはならない」のであれば、旧約聖書の中で7,000回も神の名前が出てくることはないでしょう。
他に挙げられる理由として、ヘブライ語で神の名前を意味する[יהוה]の正しい発音が分からないため、その名前を用いるべきではない、と考える人もいるようです。この言葉はアルファベットで表記すると「YHWH」「JHVH」等と翻字されます。ヘブライ語では母音の表記がないため、発音が分かるような文字として残ることはありませんでした。エホバの証人では、正しい発音かどうかは重要ではなく、神に名前があり、それを広めることが大事だと考えています。そもそも正しい発音が大事なのであれば、一般的なキリスト教において信仰の対象となっている「イエス・キリスト」は英語では「ジーザス・クライスト」と発音している等、言語によって異なる発音で使われているのは、神の名前の正しい発音が分からないから使わないという主張と矛盾しているようにも感じますね。
ちなみに、[יהוה]は右から「ヨード」「ヘイ」「ワウ」「ヘイ」と読み、この4文字のことは「テトラグラマトン」と呼ばれています。この名前の意味は聖書の中で「私はいる、という者」(出エジプト記3章14節)「わたしはある。わたしはあるという者」(同、新共同訳)と書かれています。エホバの証人ではこの意味について、神がご自分の目的を果たすために必要であればどんな者にでもなる、と解説しています。
ハレルヤ(Hallelujah)という言葉は皆さんも聞かれたことがあるかと思います。この言葉の「ヤ」(jah)は「ヤハウェ」の短縮形です。ただのマメ知識。
今回は、神の名前についてエホバの証人の考えを解説しました。
最初の頃のように毎週更新ができるかは分かりませんが、自分のペースでまたいろいろ解説できたらなと思うので、次回もよろしくお願いします。
参考文献
・「ものみの塔」2014年12月号-神の名前を知っていますか
・「ものみの塔」2012年6月号-神の名前を使うべきなのはなぜですか
・「ものみの塔」2010年7月号-神の名前を覆い隠す試み
・「ものみの塔」1989年11月15日号-十戒はあなたにとってどんな意味がありますか
・「聖書に対する洞察」第2巻-十の言葉(とおのことば)
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