時々眺める富士山

父とパソコン(6)

父は、自分ではパソコンソフトを一切購入しなかった。
パソコンを買えば、自分がやりたいことができると思っているところもあった。

学校で使っていたメインフレームは、ソフト付きだった。
パソコンは知り合い(教え子)のNECのセールスマンから購入していたが、パソコンソフトはショップで購入する必要がある。ショップがどこにあるかも知らなかった。今のように通販は盛んでなかった。など、いろいろな理由があるだろう。

そこで一太郎を買ってあげた。メディアの種類が自分のパソコンとは異なることもあり、父用に自分のとは別に購入した。そのため、父はマニュアルを手元に置いて使うことができた。当時の父は、マニュアルを読むスピードも速く、自分で文書をどんどん打ち込んでいった。カタカナ入力である。離れて住んでいたため、普段どんなことをしているのか分からなかったが、名簿や資料などを打ち込むとともに、以前作成してた暦を打ち込んでいたようだ。父は、このソフトが5万8千円もすることを実感することなく使っていた。

時間をかけて大量の文字を打ち込み、一文書で容量の大きなファイルを作ってしまう傾向があったようだ。今となっては記憶がはっきりしないが、当時のフロッピーディスクベースの一太郎は、Aドライブにシステムを、Bドライブに文書ファイルのフロッピーディスクを入れていたように思う。そして、ファイル容量は、1.25MBのフロッピーディスクの半分の大きさまでしか作れなかったと思う。文書編集作業中は古いファイルをフロッピーに残しておいて、更新ファイルをフロッピーに書き込んでから、古いファイルを消去していたからだ。バックアップファイルを残す設定では、フロッピーディスクに書き込めるファイル容量はさらに小さくなったはずだ。父は、暦を一続きで作成した文書にしたかったらしく、500KBを超えるファイルを作成し、保存時になって支障がでるようになったようだ。

そうでなくても、大きな文書を作成すると作業が重たくなるはずなのに、父はそのようなことをあまり気にしていなかったようだ。当時、外付けハードディスクは20MB、40MB,80MB,120MB、180MB、200MB、250MB、500MBと大容量化が急速に進んでいた。それに合わせて、次々とハードディスクを購入していた私は、お古を父にプレゼントすることにした。

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おとといの午後から、当地の気温は下がった。それまでの暑さでエアコンを多用していた母は、昨日から寒くて足が動かないという。

昨晩からは電気毛布を使って寝ているという。それで今朝の足の痛みはだいぶ良いそうだ。

私は、暑くてもエアコンを使わなかったが、夜の睡眠は浅くなりがちであった。夜間の照明ももったいないため、早寝をしていたが、十分睡眠をとったという感じが得られていなかった。ところが、昨晩同じ時間に寝たら、涼しくて深い睡眠となったためか4時前に目が覚めた。思えば、通勤していたころの起床時間だ。再び暑くなると、また大変だと思っている。

ただ、猛暑の間1階のダイニングに移動していた私の仕事場を、2階の書斎に戻した。再び暑くなっても、扇風機でしのげるだろうと思ったからだ。極端に暑ければ、一時的に1階に移動することはあろう。

今日の午後、姉の娘(両親の孫娘)が父に線香をあげたり、母の様子を見るために訪れていた。午後になって、母の足の痛みはだいぶ良くなったらしい。

明日から、また気温が上がりだすらしいが、夏場の仕事場としていたLDKは片づけることにした。2階に運ぶものはかなりあった。その分LDKはすっきりと片付いた。今年は早くから暑くなったため、6月半ばに仕事場を下に移したと記憶しているが、ずいぶん昔のことのように感じる。ちょうどその間、父の入院、退院、そして永眠、葬儀と重なったわけで、ひときわ長く感じられる2か月間であった。

今日が涼しいからでもあるが、書斎に戻って落ち着いた。ここの部屋からは夜になると虫の鳴き声がよく聞こえる。一方、1階のLDKでは、蝉の鳴き声がよく聞こえた。ただ、涼しくなった今日は、蝉は一切鳴かなかった。蝉の鳴き声が聞こえたのは昨日までだった。はたして、明日は蝉は鳴くのであろうか?
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