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時々眺める富士山

今朝、都道を歩いて感じたこと

今朝、ある都道際の歩道を歩いた。歩道の脇には、大小の建物が並んでおり並木も整備されている。建物の前には植え込みが続いており、緑が豊富だ。

ただ、建物が立派な割には植え込みの手入れがなされていないところがある。その建物の前の道路際には雑草が生い茂り、つつじの葉はぼさぼさで、つる性の植物が覆いかぶさったり、丈の高い雑草の陰になったりしている。

その並びにも、植え込みが見事に剪定されており、制服を着た女性が道路掃除をしている場所もあった。

そう。道路際がきれいな場所は民間企業の前で、手入れがされていない建物は国の機関だ。毎朝道路清掃を行っている企業がある一方で、年に2回しか植木の手入れをすることができず、道路掃除もせず、植え込みを荒れ放題にしている場所がある。

財政の無駄遣いが声高に叫ばれている。道路掃除や、植え込みの手入れに税金を使うのは無駄であろうか?

以前は、職員が掃除や植木の手入れをするのどかな風景も見られた。現在の成果主義、能力別給料査定制度のもとで、そのようなボランティアをする職員などいないだろう。

本来の業務でないことは、評価対象としてはならないと業績評価指針にはっきりと書かれている。また、そんなことをしていると、「お役所とは、暇でいいですね」と世間の目には映るだろう。

もっとも、ギリギリまで人員削減したため、掃除に時間を割く余力は職員に残っていないだろう。

皆で余裕のない生活をするようになってしまった。豊かさとは余裕のことだろう。町をきれいにすれば気持ちよいが、それが生産性向上に直接つながるわけではない。それでも、きれいな街は心を豊かにする。

国に余裕が失われてきて、心の豊かさも失われていくのは残念だ。
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