公共輸送を担う最大手の会社も、敷地内の草刈りを再教育の一環として、勤務成績が芳しくない社員に行わさせているといううわさもあり、米国でも道路清掃が刑罰として科せられる社会奉仕作業の代表であり、イメージが良くない。道路清掃を行っていると、何かの刑罰を科せられているのではないかと思われるような社会にしたくないものである。
今週は、風の強い日が多く、道路には壊れたビニール傘が何本も放置されており、誰かの不始末の結果になる発泡スチロールの破片が散乱していた。ガラス製1合酒の空き瓶も複数投げ捨てられており、たばこの吸い殻は50本ではきかない量が投げ捨てられている。紙パック飲料や小型のペットボトルの投げ捨ても多い。歩きながらの飲食を行わない者から見ると、道を歩きながら、これらの飲料を飲み、あるいは煙草を吸うという感覚、品性は全く信じられない。家まで持ち帰らないことを前提にしているからこそ、歩きながらこのようなことをするのだ。昔、「私作る人、あなた食べる人」というコピーがはやったことがあったが、まさに「私汚す人、あなた掃除する人」があまりにも多い。この週末は、雑草の伸びが速かったことと、ゴミが多かったことから、道路清掃に大幅に時間を割かれ、花の写真を撮る時間があまり取れなかった。
道路際に植えたチューリップが、今が盛りとなっている。早く咲き始めたものはすでに散ってしまっているが、春を代表する花が、今年も春を知らせてくれた。50年も前に小学校の前庭で見た記憶がよみがえる。あの頃は、まだ戦後の時代で、花の品種も少なく、今の花ほど綺麗ではなかったのかも知れない。桜の木の下での入学式の記念撮影とともに、小学校の花壇の花は、ついこの間までの苦しかったことをほとんど語らず、明るい未来を目指した教育とともに、今の花より輝いていたように感じてしまう。あの頃は、花は皆で育てようとする心がもっと強かったからかもしれない。花見でも、今は「あなた育てる人、私騒ぐ人、散らかす人」と別れてしまっている。
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