そのため、訪問者はマスクの着用が義務付けられた。
しばらく訪問しない方がよいものと思われた。
今日の訪問時、母は排便と排便後の処理を行っていた。
また、便秘で、薬の処方や、その後の処理と迷惑をかけているようだ。
終わったところで、部屋に入ると、「今日は、何の用?」といった。
わざわざ愛に来ていることをいうと、その後黙った。
これまでの饒舌ぶりはなく、ベッドの上で、黙っていた。
TVをつけたが、別に見ることはなかった。
介護の方がお茶を持ってくると、大きな声で「ありがとう」といった。
土曜日に本物の小百合ちゃんが訪問した。
「小百合ちゃんが来たのは昨日か?」といったことをつぶやいた。
そこで、本物の小百合ちゃんは同だった?と尋ねると、
「げんきになったよ」と答えた。
昔のことは思い出した?と尋ねると、
「どんなこと?」と聞いてきた。
そこで、お父さんが死んだことと、それからの3年間のことだよ、というと、
「思いだした」と答えた。
起きるか?と尋ねると、「別にいい」という。
食事になるから車椅子に乗るか?と尋ねると、
「あとでいい」と答えた後、
「今朝は、軽いご飯だった」といった。
何を食べたのか尋ねると、
「お豆腐と卵」と答えた。
それから
「比企さんの話がよく出る。100歳で勲章じゃないけど、そんなものをもらったから」
という。
比企さんという介護の新しい方が来たとき、あの人の名前は比企さんというんだよ、と母に教え、昔比企さんという医者に連れて行ってもらった話をした。その時は、そんなことは覚えていないといっていたのに、今は、お医者さんの比企さんの話をよくするようになった。
今日も租のお医者さんの比企さんが来たという。
そういえば、この施設に移ってすぐに、気象学会で九州の福岡に行くので1週間来られないという話をした。
それまで九州の話など何もなかったのに、それ以来、九州に行った、お父さんが九州の出張から戻った、九州から人が来た、と九州、九州とばかり言うようになった。
今日も、足が痛いといって、非協力的な態度を示したが、車いすに移動させた。
人に任せるところがなく、勝手に体を動かすので、介護しにくい。
ホールに行くと、すでにYさんが机の前に座っていた。
私が、その人の名前を紹介すると、もうミーちゃんの小学校の同級生だといいだす。
その方は、一人息子が所沢だというので、姉の住んでいる場所だということで、少し話が盛り上がる。しかし、どこかピントが外れた話しかしない。
何の商売をしている人と姉が結婚したのか忘れた、といったかと思うと、こちらが姉の夫の名前をいうと、租の蔵知っているよ、と以前勤めていた会社の名前もすらすらいう。
そういう話は、お得意だが、今月は何月?と聞いてもわからない。
そこにクリスマスツリーがあるよね。クリスマスは何月?と尋ねると、
「「12月」とすぐに答える。
今日は12月15日月曜日、ということを教えて、それを復唱させるのだが、12月までは言えても、それから先はついにいえることはなかった。1度だけ16日といった。
インフルエンザの流行は、施設としてはもっとも恐れるところだろう。
これからしばらくは訪問しない方が施設にとってはありがたいのかもしれない。
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2005年
人気記事