時々眺める富士山

父と本

父は退職後、文献調査で図書館をよく訪れていた。
国会図書館や公文書館、地元の図書館などである。


暦の関係で、70代から80代にかけては、国立公文書館にはよく通っていた。
今から思えば、歳を取ってからもずいぶん大変なことをしていたと思う。
その時調べたことがどうなったのかは知らない。

90歳になるまでは、地元の図書館にも往復2kmを歩いて通っていた。90歳を過ぎて、会談の上り下りが大変となり、外に出ることが少なくなると、図書館通いもやめてしまったようだ。

その頃から、インターネットでいろいろなことを調べることができるようになった。国会都市間のサイトで、古地図や古文書などが随時公開されていった。それを父に紹介したが、父は興味を示さなかった。実際に足を運び、本を手で触ってみないと満足できな買ったのだろう。

悪く言えば、以前のスタイルのことしかできなかったのだろう。TVのように見るだけのことにずいぶん時間を使うようになっていたのだから、それと同じことだろう、いや、それ以上に自分がやってきたことと関連のあるインターネットサイトを見た方がTVを観る良いよいのではないかとこちらは考えたが、こちらのそうした思いは伝わらなかった。

図書館に通っていた頃は、父は漢文をすらすらと読んでいた。TVを観るだけになってからも、父は自分では漢文をすらすらと読めるものと思っていたようだ。昨年、守常ブログデーター集をまとめるにあたって、いろいろ疑問点があり尋ねると、調べればわかるからということで、父は書庫の本を取り出した。まだ読めるつもりでいたらしい。ところが、全然読めなくなっていたようだ。目が悪くなったということもあるかもしれないが、漢字が読めなくなっていたのだ。ただ、父はそれを表に出さずにごまかした。

今年の春以降は、数学の本も、内容は分からなくなっていたようだ。たぶん、自分ではずいぶん驚いていたのだろう。ただ、それを外に表すことはなかった。尋ねても、まともな答えが返ってこなくなったことからそれが分かった。
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