Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

巡り逢いの妙巡り逢いの妙④ 自動車を買い換えるタイミング 前編

2020年12月23日 | 日記
 1995年8月のある土曜日。

 当時、私は小学生から高校生を対象にした学習塾の鹿島教室長だった。勤務時間は午後1:00から9:00となっていたが、どの教室でも2~3時間のサービス残業はやっていた。
 この日は本部がある石岡教室で私は新規顧客創出の為の(物理的な)ダイレクトメール準備に手間取って石岡の事業所をとして夜10時過ぎに退勤し、なるべく国道を使わない、所謂「裏道」とやらを駆使して帰路を急いでいた。
 小川町から鉾田を抜け,国道51号に出て自宅のある鹿島まであと少しというところで、シルバーのGX71マークⅡセダンのカーテレビからは毎週楽しみにしていたカーグラフィックTVのテーマソングが流れてきてしまった。その頃はリアガラスの両端に両面テープで装着したダイバーシティ・アンテナを、トンボの羽のように広げて視聴するのが主流だったのだが、其れは思いの他走行中の自動車でもテレビの電波を上手にキャッチするものだった。
 松任谷正隆さんが作曲した馴染みの曲が鳴り始めてすぐに、私は仕方なく愛車を道路脇に駐車してテレビを見ることにした。
 その日話題になった車が何かはもう忘れてしまったが、しばらく其処に停車したまま見入っていたのだから、きっと興味のある車種だったに違いない。松任谷さんが何かコメントすると田辺憲一がマイルドに全面否定するのがたまらなくて、子供の頃から「熱中時代」「金八先生」「西部警察」「機動戦士ガンダム」と洋画しか興味のなかった私が欠かさず視聴している番組だった。余談だが、ガンダムと言えば、主人公アムロ役で人気を博した古屋徹さんがその番組のナレーションを務めていた。
 丁度古屋さんが車の解説を始めたところで、後方から耳障りな爆音を立てながら2人乗りの400CCくらいのオートバイがゆっくりと近付いてきた。バイクはそのまま通り過ぎて行くと、50mくらい先で方向転換して深夜の車通りが少ないことをいいことに逆走しながら此方へ戻ってきた。最初はバイクの騒音に舌打ちをしながらも番組に夢中になっていたから気にも留めなかったが、そのバイクのライトがサイドミラーに反射して、どうやら再度こちらに向かってくる様子に気味悪さを覚えて身構えた私は、変な胸騒ぎがしてテレビどころではなくなってしまった。
 シティズンの7インチ程の小さなポータブルテレビは点けっ放しにして、シフトレバーをDレンジに入れブレーキを踏んだままバイクをやり過ごしてから普段より丁寧な操作で車線に戻ってゆっくりと車を加速させて行くと、やはりそのバイクは50m程先でUターンして、私の真っ正面目掛けて突っ込んできた。私が車のアクセルを緩めながらも左右どちらに避けるべきか決めかねてパニックを起こし、ブレーキを踏む事すら忘れてノロノロと車を進めていると、の所で相手が正しい車線に戻ってくれた。そのまま逃げ切れるかと思いきや、今度はルームミラーでチラチラと反射していたバイクのライトが、遠吠えのような乾いたエギゾーストノートが近付くに連れてあっと言う間に真後ろに迫った。

 「“Mad Max”かよ!?」

 自動車でのトラブルには余り縁がなかったから、ある種の恐怖感を抱きながらも「話せばわかるはずだ」という無謀な願いに縋り付くように、追い抜きを掛けようとしているバイクの2人を宥めようと減速しながらサイドウィンドウを下げて話しかけようしたが、彼方は私が言うことなぞ聞く耳を持たぬという勢いで「車を止めろ」と怒鳴るばかり。その迫力に負けて、私は結局愛車を停車させて降車することにした。
 2人は車の前に立ちはだかる様にして斜めにバイクを停め振り返ると、今度は「単車の後に付いて来い」と指示してきた。そして、素直に従う私の動きを遮る様に「ナンバー控えてんだからな」と大声で付け足した。
 どうやら2人とも酒かシンナーか何かの影響でラリってる様子だったし,車を降りたときに襲ってくる様子もなかったから,少しだけ落ち着きを取り戻した私は、彼らの後を追いかけながら如何に其の窮地を乗り越えるべきか必死で考えを巡らせ始めた。
 やがて国道から外れ、徐々に人気のない広い工業地帯の様な場所に差し掛かった時、私の脳裏に邪悪な計画がふと沸き起こった。

 「そうか、バイクに車を当てて、そのまま逃げればいいんだ。事情を話せば警察も分かってくれるはずだ」
 
 しかし、その悪魔の囁きから数分間、優柔不断な私はハンドルをギュっと握り締めたまま計画を実行出来ずに、蛇行しながら時々此方を確認する2人の後をただ無心に追い続けた。いよいよ決心が固まって右足に緊張が走った瞬間、ヘッドライトが照らし出した情景に全身が一気に弛緩するのを覚えた。

巡り逢いの妙巡り逢いの妙③ 「同期」=synchronizationの不思議

2020年12月23日 | 日記
 とかく最近の端末というヤツには「同期」というシステムが搭載されていて、最初は何のこっちゃ分からずに余り活用しようと思ったことはなかったのだが、最近ではスマホで撮影した写真や動画がドンドンとグーグルのサーバーに自動的に転送されるようになって、いちいちスマホのSDというのを抜いてPCに接続する必要性がなくなって非常に便利なことに気付いた。このシステムは実に快適。特に動画に関しては私が利用するアンドロイドのスマホとウィンドウズの相性が悪く、ムービーメーカーで編集しようとすると不具合が起きて諦めていたところだったのだが、この「同期」とやらで転送された動画ファイルは同様に編集しても何の問題なく使用できるので、何よりそれが1番助かっているところだ。
 いや,今回、この「同期」という話題を持ち出したのには別にその便利さを伝えたかったからではなくて、これを英語に直すと“synchronization”というらしく、その響きに幾つか思い出す事があったからだ。

 かつて、カタカナの「シンクロナイゼーション」という単語は、もう少しミステリアスな意味で使用されていた。有名な事例で言うと「タイタンの遭難まはた愚行」という小説がある。ご周知の通り、この小説はタイタニック号が沈没する14年も前に書かれたもので、その内容がタイタニック号の沈没を予言したかの様な類似点がいくつかあるということで有名。こうした「偶然の一致」というのを同様に「シンクロナイゼーション」と呼んで持て囃した時代もあったのだ。これはもしかするとノストラダムスや聖書の黙示録にも通ずる部分があるかもしれないが、そんな事はもうどうでも良い。
 私が伝えたいのは、私自身が人生の中で摩訶不思議な経験をしたことがあって、それが正にこのシンクロナイゼーションだったんじゃないかと信じている事象のことなのである。1度目は私が中学生の時、もう1度は私が英国に留学している時に起きた。

 私が中学3年生の時分、小学生の頃から理恵という女子が気になっていて、当時私は中2の時のある騒動が切掛けで“女性不信”に陥っていたものの、思春期の恋心は強烈に私のことを支配して、受験勉強どころではなくなっていた。ある日、彼女のことが頭から離れなくて何も手に付かなくなった私は、軽い気持ちで気晴らしに近所にジョギングにでかけた。30分ほど走って小休止の為立ち止まって呼吸を整えていると、人気のない通りの向こうから同じ様にジョギングをしながら彼女が近付いてきたのだ。同じクラスになった事もないからいきなり話しかけるわけにもいかず、その時はそのままやり過ごしたのだが、「こんな風に不思議なことがあるものだな」と爽やかな気持ちで帰宅して、以来受験勉強に身が入った。話もしたことのない彼女が私と同じ私立高校を希望していて、入学後同じクラスになって仲良くなったのは、それから数ヶ月後のことだった。


 私は大学卒業後英国に留学していた。3ヶ月ほど経って、友人の勧めもあって地元のコミュニティカレッジに入学して資格コースで知り合った日本人の女性の名前は思い出せないが、発音が綺麗でとても情熱的な姿勢で語学に勤しんでいて、とても好感を抱いた。同じ日本人同士の私にも敢えて英語で話しかけてきてくれて、2人きりのときにも日本語で話したことが全くなかった。彼女を誘ってブランズウィックというパブで飲んでいる時に、友人のベンとマシューが連れてきたエリオットという青年が彼女のことを大層気に入ってつきあい始めた。それから間もなく資格コースも終了して私と彼女も会うことがなくなったから、しばらくの間は疎遠になってしまっていた。
 2ヶ月程経って、何となく彼女のことを思い出して、やはり軽い気持ちで書いたグリーティングカードを住んでいたフラット前の通りのポストに投函して部屋に戻ってきた途端、玄関の壁に設置していた電話がけたたましく鳴った。余りにもタイミングが重なったので少々戸惑いつつ、その一方で「まさか彼女じゃあるまいな」なんて想像しながら受話器を取って、日本語で話しかけてきた懐かしい声に心がときめいたものである。エリオットとは上手くいっているとのことだったが、どうやら日本語が話したくなって電話をしてきた様だ。私も実は同じ様な心持ちでカードを送ったところだと話すと相手も大層驚いていた。その時、彼女とは初めて日本語で10分ほど近況を交換し合って電話を切った。本当は会って話をしたいとも思ったが、お互いにエリオットに気を遣っていたのかもしれない。

 私達はお互いにケーブルで繋がっているわけではない。かつては「PCのキーボードとモニターの様に以心伝心は難しい」などと喩えたものだが、ワイヤレスが当たり前の現在においてはそれは良い喩えではなくなった。もしかしたら機械と同様に波長さえ合えばコンタクトが取れるのか・・・と最近は考える様になった。
 グーグルのフォトというソフトを利用する度に、ふとそんなことを思うこの頃なのである。

巡り逢いの妙巡り逢いの妙② ペットを巡る不思議な体験 第1話

2020年12月23日 | 日記
 偶然だとか思い過ごしだとかで片付けられてしまうのだろうが、とかく私の人生には未だに解決に至っていないミステリーがいくつも犇めき合っている。


 私が大学を卒業して渡英する前の年の夏、姉が飼っていたポメラニアンのチャーリーが死んだ。姉が飼っていると言っても、毎週日曜には職場に向かう途中に私達に預けられていたから、チャーリーは私達家族の一員だった。死ぬ数日前に左前足を引き摺るようにして歩いていて獣医に見せたが原因が分からぬまま、ある朝姉が住む北越谷のマンションのリビングで死んでいるのが見つかった。犬にはよくあることらしいが、当時一般的だった40cmほどの高さのある木製ステレオスピーカーの後に身を隠す様にして事切れていたという。姉から電話をもらって、私は車で20分ほどの姉のマンションへ急いだ。到着した時には既にチャーリーの身体は堅くなっていて、その事が余計に切なさを掻き立てて、悲しさより悔しさの方が上回って不思議と涙が零れなかった。
 容態が悪化する前の週に遊びに来た時には普段通り愛嬌を振りまいていたが、思えば抱っこを嫌がるチャーリーが、その日は何故か私に付き纏って何時になく甘えてきたのが解せなかった。あれは、もしかすると自分の死期を悟っていたのだとさえ思える程の甘え様で、抱き上げてやると目を細めて安らかな表情をしていた。
 姉の友人が浅草で葬儀店を経営していたので、その伝手でペットの葬儀専門の業者がすぐに来てくれて、チャーリーは小型の犬猫用の木箱に納められて火葬場に運ばれ、昼過ぎには小さな化粧袋の中の骨壺に入れられ草加にある寺のペット用の共同墓地の納骨堂に額入りの小さな写真と一緒に納められた。火葬場でも帰宅してからも姉は狂ったように泣き喚いていたが、私にはまだチャーリーがいなくなったという実感が湧かなくて、そんな姉を宥めながら夕方まで過ごした。
 その翌週の日曜日、いつもなら姉が出勤する途中にチャーリーを預けていく時間になって、ようやくチャーリーのいない喪失感を抱き始めた私は、チャーリーが好きだった「県民福祉村」という建築中の公園へ一人で出掛け、いつもの散歩コースをゆっくりと時間を掛けて歩くことにした。
 私が工事中の人工池を見下ろしながら芝生の植えられた広場を歩いていると、どこからともなくクロアゲハが舞って来て左肩に止まった。私は余り昆虫の類いが得意ではなかったのだが、その日はとても安らかな気持ちだったからか、あるいは「チャーリーが来たのか」とさえ思って、その大きな蝶を払いもせず暫く・・・それでも5分ほどだっただろうか、その大きな蝶をブローチの様に飾ったまま池の縁まで来てチャーリーを偲んでいた。私はそこでんで池を覗き込みながら蝶と共にいるかもしれないチャーリーの魂に話し掛けた。

「かわいかったなぁ。本当にチャーリーはいい子だったね」

 私がそう話しかけると、大人しく止まっていた蝶が突然空高く飛び上がって池の向こう側へ行ってしまった。私が立ち上がって蝶が見えなくなるまで見送っていると、今度は背後からクルークルーという鳩の鳴き声が聞こえた。蝶に少し未練があったが仕方なく振り返ると、池を中心に擂り鉢状になった広場の数メートル上の方に1羽のキジバトが左側を向いて佇んでいた。私は大学の生物部で野鳥班に所属していたことがあったから、脅かさないように近付いたとしても大抵の場合鳩は歩いて離れていくか飛び立ってしまうことを知っていた。しかし、その鳩は私がどれだけ近寄っても何度か頭を傾げるくらいで逃げる気配が全くなかった。怪我でもしているのだろうと考えて確認しようと背中を撫でたが、鳩はそれでも全く逃げようとせず、怪我をしている様子もなかった。チャーリーの魂が宿ってるのを確信した私の胸一杯に、初めて溢れるばかりの悲しみが込み上がってきた。

「チャーリー、ありがとう。お別れを言いに来たんだね・・・」

 私はそう唱えながら鳩の背中を優しく3度撫でてから広場の先にある舗道に向かった。すると、鳩は私の後を追う様にしばらく歩いて、私が舗道に辿り着いたのと同時に蝶が飛んで行った同じ方向に羽ばたいた。

 私は悲しい気持ちに満ちた心のままチャーリーがいる納骨堂に向かった。私は敬虔な仏教徒ではなかったが、教わった通りに線香をあげてから納骨堂に入ってチャーリーの骨壺を探した。中央の棚の右側の列の真ん中辺りにチャーリーの写真が飾られていた。その写真は福祉村の舗道沿いの芝生の上で伏せてこちらを見下ろす優しい顔のチャーリーを、私が人工池の方から75mmの望遠で撮影したものだった。
 そして、私は先程の蝶と鳩が、やはりチャーリーの化身だったことを思い知って、チャーリーの骨壺を撫でながら号泣した。もうチャーリーの埃臭い体毛の匂いはしない。そこには線香の煙だけが静かに漂っていた。

 葬儀店が写真を納めた額縁にはかわいらしい蓮の花飾りと一緒にクロアゲハとキジバトのマスコットが据えられていた。