絵葉書が欲しいな、との連想で思い出したのは、
昔、祖母に連れられて姫路まで行ってみてきた、いわさきちひろの絵本展。
そう思い立ったので、ちひろさんの絵が見たくなり、少し出かけることに。
東京・三鷹(調布飛行場裏)の自宅を出て、
駅までの道中にある公園の中を歩いてると、ここ最近めっきり寒くなったのがわかりますね。
池には氷が張ってました。
池の脇には、先日降った雪で作られたんでしょうね、雪だるまのかけらが転がっていて、
お父さんに手を引かれた小さい子が蹴って遊んでました。
雪の降った日の朝は、こんな感じでした。
電車に乗ってると、ちょうど私が立った前で、幼稚園児くらいの子が4人で固まって座ってまして。
1人はすでに眠そうで、3人で話し込んでたんですが、
「ねーねー。ぶたはぶたでもたべられるぶたってなーんだ?」
「えええ???ぶたのまるやき?」
「せいかいは、やきぶたでしたー」
そんなやりとりを聞いてました。
思わず笑ってしまいそうになりましたが。
そうして電車やバスを乗り継ぎながら、西武新宿線の上井草駅で降り、
静かな狭い住宅地の路地を抜けて歩いていきます。
練馬というと、ドラえもんの世界ですね。
のび太の家のまわりは結構静かで、ジャイアンの歌声が響くのもわかります。
少し道に迷いながらも着いた先は・・・
ちひろ美術館・東京
館内に入るとカフェからコーヒーの香りが漂う、アットホームなところでした。
落ち着いていて、かといって閑散としてるわけでなく、
日ごろの情報と論理とで整理がつかない頭の中を空っぽにして、展示を楽しむことができました。
あぁ、子どもっていいなぁ。
昔の子も今の子も、遊び方は変わったんでしょうけど、
仕草や話し振りなど、変わってないところが多いのかな。
そう思ったのは、ちひろさんの絵が、30年40年前の絵に見えないから。
時代は変わっても動かないものを描かれたのかもしれません。
あと、もうひとつ驚いたのは、
ちひろさん本人のコメントとして「大人になること」というパネルがありました。
・綺麗な服の似合う少女の頃に戻りたいとは思わない。
・それは少女の頃や若かったときが貧しくて苦労したわけだからでなく、
これまで時間をかけて成長し社会に出られるまでになったのに、
若い頃の身なりこそ良くても浅はかで迷惑をかけても気づかなかった自分には戻りたくない。
という思いがかかれたものです。
子どもの気持ちや行動がわかるからこそ、絵本画としての表現ができる方ですが、
それは大人から見た子どもを描き続けたのかなと。それなら少し意外な感じもしました。
まぁこうやって社会人として自分を見つめてるんだということですね。
自分もたまに若い頃の方がピークやったとか思うときはありますが、
冷静に前を向いた方がいいんだと思います。
閉館ちょっと前に、絵葉書を買って美術館を後に。
昔、姫路でみた「おつむてんてん」もありました。
たまには、頭の中を空にするのに、こちらに来てくつろぐのもいいですね。
で。絵葉書を買って思ったんですが。
やっぱ自分もいい年になってきたし、ほんとなら嫁さんを早くもらって、
自分の子どもの写真を送るんが、何より喜ばれるのは確かなもので。
おいおい努力していくこととします。
昔、祖母に連れられて姫路まで行ってみてきた、いわさきちひろの絵本展。
そう思い立ったので、ちひろさんの絵が見たくなり、少し出かけることに。
東京・三鷹(調布飛行場裏)の自宅を出て、
駅までの道中にある公園の中を歩いてると、ここ最近めっきり寒くなったのがわかりますね。
池には氷が張ってました。
池の脇には、先日降った雪で作られたんでしょうね、雪だるまのかけらが転がっていて、
お父さんに手を引かれた小さい子が蹴って遊んでました。
雪の降った日の朝は、こんな感じでした。
電車に乗ってると、ちょうど私が立った前で、幼稚園児くらいの子が4人で固まって座ってまして。
1人はすでに眠そうで、3人で話し込んでたんですが、
「ねーねー。ぶたはぶたでもたべられるぶたってなーんだ?」
「えええ???ぶたのまるやき?」
「せいかいは、やきぶたでしたー」
そんなやりとりを聞いてました。
思わず笑ってしまいそうになりましたが。
そうして電車やバスを乗り継ぎながら、西武新宿線の上井草駅で降り、
静かな狭い住宅地の路地を抜けて歩いていきます。
練馬というと、ドラえもんの世界ですね。
のび太の家のまわりは結構静かで、ジャイアンの歌声が響くのもわかります。
少し道に迷いながらも着いた先は・・・
ちひろ美術館・東京
館内に入るとカフェからコーヒーの香りが漂う、アットホームなところでした。
落ち着いていて、かといって閑散としてるわけでなく、
日ごろの情報と論理とで整理がつかない頭の中を空っぽにして、展示を楽しむことができました。
あぁ、子どもっていいなぁ。
昔の子も今の子も、遊び方は変わったんでしょうけど、
仕草や話し振りなど、変わってないところが多いのかな。
そう思ったのは、ちひろさんの絵が、30年40年前の絵に見えないから。
時代は変わっても動かないものを描かれたのかもしれません。
あと、もうひとつ驚いたのは、
ちひろさん本人のコメントとして「大人になること」というパネルがありました。
・綺麗な服の似合う少女の頃に戻りたいとは思わない。
・それは少女の頃や若かったときが貧しくて苦労したわけだからでなく、
これまで時間をかけて成長し社会に出られるまでになったのに、
若い頃の身なりこそ良くても浅はかで迷惑をかけても気づかなかった自分には戻りたくない。
という思いがかかれたものです。
子どもの気持ちや行動がわかるからこそ、絵本画としての表現ができる方ですが、
それは大人から見た子どもを描き続けたのかなと。それなら少し意外な感じもしました。
まぁこうやって社会人として自分を見つめてるんだということですね。
自分もたまに若い頃の方がピークやったとか思うときはありますが、
冷静に前を向いた方がいいんだと思います。
閉館ちょっと前に、絵葉書を買って美術館を後に。
昔、姫路でみた「おつむてんてん」もありました。
たまには、頭の中を空にするのに、こちらに来てくつろぐのもいいですね。
で。絵葉書を買って思ったんですが。
やっぱ自分もいい年になってきたし、ほんとなら嫁さんを早くもらって、
自分の子どもの写真を送るんが、何より喜ばれるのは確かなもので。
おいおい努力していくこととします。
ですね。
ちひろさんの絵を見るたび、繊細な色彩ぶりに
「あんな絵よぉ書けるなぁー」
と思ってしまいます。
時代が変わろうが、良い作品は長年残り続けるのだと
いうことを改めて感じました。
上の絵を見て思ったのは、「癒される」という言葉を敢えて使いませんでした。
最近、なんだか陳腐化した言葉のような気がしましたので。
時代を超えて変わらないものを見たのに対して、
自分の心を時代に沿った言葉で表現したくなかったというのもあります。
これからも色褪せないでしょうね。