every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

ECD『The Bridge 明日に架ける橋』

2013-05-29 | HIP HOP
ECDが凄い。
いや、いつだって凄かったんだけど、ここ最近の勢いは更に凄い。
だいたい25年のキャリアのソロMCで毎年コンスタントにアルバムを出しているってだけでも凄い。SCARFACEくらいか?比肩できんのは。
しかも、常に最高傑作を更新してきている。フィーチャリングや外部プロデューサーに頼らずこんなことを出来ているのはECDくらいでは?

The Bridge-明日に架ける橋The Bridge-明日に架ける橋(2013/03/27)ECD商品詳細を見る


インタビューなどで本人が語っているように『The Bridge』は『Ten Years After』『Don't Worry Be Daddy』に続く三部作の最終作・・・・・・と捉えるのがよさそう。つまりTR-808を軸に沿えたTrap、CrunkといったUSの方向に目を配りつつ、和モノを中心としたサンプリングによるグルーヴも活かしたヒップホップだ。ILLICIT TSUBOIによるサイケデリックともいえるミックスも冴え渡っている(というか日本のヒップホップ重要作品の殆どはこの人のミックスなんじゃないか)。
東京以外の人には恐縮だけど、下高井戸トランスムンド限定のECDオリジナル MIXと合せて聴くと更に深みを増す。ビートやサンプリングが剥き出しで迫ってきて、曲によってはTsuboi Mixより良い(「NOT SO BAD」などはラップのサブジェクトをより活かしていると思う)。



ECD - 憧れのニューエラ
「ニューエラ似合わねんだ」と端的に絶妙にヒップホップとの距離感を歌ったこの曲。ファッションの移り変わりを通じてECDのヒップホップへのめりこんでいく様と日本に於けるヒップホップの受容の歴史を歌いこんだ歴史に残る名曲だ。「
"音楽的自伝"『いるべき場所』やラップでも語らているようにアル中になったのは「冷め始めたの丁度あの頃その少し後」の後だろう。
(その様子は『Don't Worry Be Daddy』収録の「たった一滴で」に詳しい)。
おそらくRUN DMC以降90年代前半までの「ひたすら誰かの真似した」ほどのめり込んだヒップホップから抜け出る代償としてアルコールに溺れていったという側面もあるのではないだろうか。USでヒップホップがどんどんと商業化していく中で、「ニューエラ」もヒップホップ・ファッション・アイテムとして定着していくなか、そこからは距離をとってよりオルタネイティヴな方向に進んだECDはホントかっこいい。


いるべき場所 (Garageland Jam Books)いるべき場所 (Garageland Jam Books)(2007/11/22)


ECDが信頼できるのはそういう世の中との距離の録りかた、構え方が絶妙なところだ(英語で言うとattitude)。流行や空気に流されて、自分ではない誰かに自分を重ねたりはしない。自分を偽る事をしない。
音楽的にはパンク、N.W.からの影響も強く感じるが、ECDはヒップホップを自分のものにしていると思う。「ニューエラ」の喩えでいうならばヒップホップを被りこなしている。ジュークとヒップホップを邂逅させたコンピレーション『160OR80』でも三連譜のラップで乗り切るというフリーキーな試みをしているにもかかわらず"余所行き"の格好にならずECDを保っていた。まさに「弁解なしのラップ最前線」だ。凄い!


ECD - Far from Chicago Beat by D.J.G.O. - #iTunes

モノゴトの距離感と言うのはその倫理感にも顕れている。原発に対する態度もレイシズムに対する態度。どちらも一生活者として自分の身に掛かる火の粉を振り払うという態度で接している。「自己犠牲? 違う金儲け」と廃炉で働くことを計画し、その為に官邸前の反原発デモに向かう。なんて誠実な態度なんだ!

その一方で粗悪ビーツへの客演では「将来の夢は犯罪者」とギャングスタ・ラップさながらのピカレスク・ロマンをモノにしている。これほど情景描写な巧みなラップもそうはない。

ラップごっこはこれでおしまい feat. ECD / soakubeats


この曲(ラップの歌詞)を上手く表現する言葉を自分は未だに持てていない。字面通り受け取るのは愚かだが、単純な反語というわけでもない。ピカレスク・ロマンと言う言葉を数行前に使ったけれど、それも適当ではないかもしれない。「ラップごっこはこれでおしまい!」という叫びが何を意味しているかはECDの今までのラップをちゃんと聴いてないと理解できないかもしれない。客演作に誤読を恐れずこういう曲を持ってくるところがECDの本当の凄みなのかもしれない。


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