This Is It
ロンドン公演本番直前の6月の急死によって、本当に最後となってしまった"This Is It"ツアーのゲネプロ映像を中心としたマイケル・ジャクソン最後の作品。
自分が物心ついた頃からマイケルはスーパースターだった。
だから、どこか別格に捉えていたのでファンであるとか嫌いだとかいう対象ですらなかった。
モーツァルトやビートルズのように交響曲とかロックとか何かの枠組み/ジャンルを構成する一要素ではなく、ただマイケル・ジャクソンだった(蛇足めくがビートルズの場合はバンドであるので、ビートルズのジョン・レノンのように個人にフォーカスできるスキマがある。・・・極めて感覚的な話だが)。
しかし、この映画の主役は頂点を極めたが、それでもひたむきなひとりの黒人ミュージシャンだ。
「もっとベースをファンキーにしてくれないかな? ♪ドゥ、ドゥドゥン・・・(と歌いながら)、こういう感じだよ。」
とリハーサルでバンドに対して指示出すマイケルや
「自分の耳で聴く様に育てられたから、イヤーフォンでのモニターはなれてないんだ」と上手く歌えない姿はひとりのミュージシャンとしてのマイケル・ジャクソンを教えてくれる。
ワイドショーが嬉々と伝えていたような奇行は勿論ないし、スーパースター然とした横柄な態度もない。
それどころ「エル・ヴィ・オー・イ・ LOVEだよ」と周囲に気を配る繊細さまで感じられる。
人種なんかを超越してしまったルックスもあって、およそ人間的な印象などマイケルにはないが、そういった姿やMA-1姿のラフなマイケルからは自らのショーとそこに足を運んでくる観客への一途なまでの真摯な態度が見え隠れする。
だから参加するスタッフは信頼を寄せ、最候補のパフォーマンスを提供するのだ。
ベースへの指示だしや頻繁に繰り返される「余韻を感じさせたいから一拍置いて」などグルーヴに拘ったやダンサーとの振り付けのミーティングでの所作。
何よりサウンド・チェックの際のさり気無いファンキーこの上ないリズムの取り方。
KING OF POPはクインシー・ジューンズと共に白人至上主義だったMTVの重い扉を開けたKING OF SOULでもあるのだ。
おそらくこのツアーはマイケル・ジャクソンの集大成となるはずだったのだろう。
完璧主義者であるマイケルにとってこのようなリハーサル映像が公開されるのは耐え難いことに違いない。
が、そのことによって我々観客は分かるのだ。
たとえ"王"であっても舞台の上に立つからには真摯でなくてはならず、音楽に対して誠実でならなければならないと言うことを。
ロンドン公演本番直前の6月の急死によって、本当に最後となってしまった"This Is It"ツアーのゲネプロ映像を中心としたマイケル・ジャクソン最後の作品。
自分が物心ついた頃からマイケルはスーパースターだった。
だから、どこか別格に捉えていたのでファンであるとか嫌いだとかいう対象ですらなかった。
モーツァルトやビートルズのように交響曲とかロックとか何かの枠組み/ジャンルを構成する一要素ではなく、ただマイケル・ジャクソンだった(蛇足めくがビートルズの場合はバンドであるので、ビートルズのジョン・レノンのように個人にフォーカスできるスキマがある。・・・極めて感覚的な話だが)。
しかし、この映画の主役は頂点を極めたが、それでもひたむきなひとりの黒人ミュージシャンだ。
「もっとベースをファンキーにしてくれないかな? ♪ドゥ、ドゥドゥン・・・(と歌いながら)、こういう感じだよ。」
とリハーサルでバンドに対して指示出すマイケルや
「自分の耳で聴く様に育てられたから、イヤーフォンでのモニターはなれてないんだ」と上手く歌えない姿はひとりのミュージシャンとしてのマイケル・ジャクソンを教えてくれる。
ワイドショーが嬉々と伝えていたような奇行は勿論ないし、スーパースター然とした横柄な態度もない。
それどころ「エル・ヴィ・オー・イ・ LOVEだよ」と周囲に気を配る繊細さまで感じられる。
人種なんかを超越してしまったルックスもあって、およそ人間的な印象などマイケルにはないが、そういった姿やMA-1姿のラフなマイケルからは自らのショーとそこに足を運んでくる観客への一途なまでの真摯な態度が見え隠れする。
だから参加するスタッフは信頼を寄せ、最候補のパフォーマンスを提供するのだ。
ベースへの指示だしや頻繁に繰り返される「余韻を感じさせたいから一拍置いて」などグルーヴに拘ったやダンサーとの振り付けのミーティングでの所作。
何よりサウンド・チェックの際のさり気無いファンキーこの上ないリズムの取り方。
KING OF POPはクインシー・ジューンズと共に白人至上主義だったMTVの重い扉を開けたKING OF SOULでもあるのだ。
おそらくこのツアーはマイケル・ジャクソンの集大成となるはずだったのだろう。
完璧主義者であるマイケルにとってこのようなリハーサル映像が公開されるのは耐え難いことに違いない。
が、そのことによって我々観客は分かるのだ。
たとえ"王"であっても舞台の上に立つからには真摯でなくてはならず、音楽に対して誠実でならなければならないと言うことを。
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