every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

プレシャス

2010-06-06 | 映画


『プレシャス』は言葉を持てなかった者が、自分の言葉を獲得することによって生きる希望を見出していく物語だ。

そういう意味で、同じく自分の言葉を獲得していく『SR サイタマのラッパー』を思い出したが、これは単純に舞台となっているのがヒップホップ黄金期である88年のハーレムというところからの連想というのもあるのかもしれない。

この映画のクライマックスは予告編でも描かれている。
「誰も私を愛してくれない」という主人公=プレシャスに対して、代替学校(フリースクールといった方が適当らしい)講師=ブルーが「私は愛している」と返すシーンである。
プレシャスはその名前とは裏腹に誰からも大切にされない。それどころか母親からも「バカだ。産むんじゃなかった」と虐げられ、学校では話もせず、父親からの性的虐待で二人の子を妊娠し、退学処分になるなど「自分が惨めで」たまらない状況のど真ん中にいる。

ブルーや代替学校(EOTO)の友人たちは、そんなプレシャスに手を差し伸べる。
前述の台詞は目を見据えて話されるのだが、おそらくそうやって目を見て話してくれる人さえプレシャスにはいなかっただろう。

文字も読めないほど、言葉を持たないプレシャスには知恵がなかった。
EOTOでの字を学び、本を読むことによって、見聞が広がり世界も変わる。

「突然誰かが私を違う私にして欲しい」とプレシャスは願っていたが、それは言葉と仲間を得ることによって適った。

自分が惨めで溜まらなかったプレシャスは、空想に浸ることで暫し現実から逃げ出していた。

しかし、その空想の世界でもプレシャスはプレシャスだった*1。つまり、どんなに自分を惨めに思っても、自分自身を心底嫌いになることはなかった。自分自身に中指を立てなかった。前述の母親の罵りに応じるのならば「生まれて来るんじゃなかった」とは嘆かなかった。

だからこそ、生まれたばかりの息子と障害をもった娘を連れて、自分で生きていこうと奮い立った。ソーシャルワーカーからの養子に出すべきという(常識的な)忠告も、母親からの祖母と一緒に暮らそうという提案も退けて、ひとりで歩いていった。


>

そして、ソーシャルワーカー役として出演したマライヤ・キャリーが凄い!
ノーメークでスターのオーラーを全く消して演じている。正直、上映中は全く気が付かなかった!

アフリカ系とアイリッシュのハーフという出自をもつマライアにとって、この映画でとりあつかっている問題は見過ごすことの出来ないモノだったのだろう。
全世界で最も売れた女性アーティストが、このような小規模な映画に出演しただけでも、特筆ものであるが、ノーメークというリスク(だろう、これは)を冒してまでの役作りというのは素直に感心する。

その効果はソーシャルワーカーという役に現実味を与えただけでなく、プレシャスが空想するようなスターも、プレシャスとそれほど変わらない一人の人間なんだという意味も映画に与えている。


*1 唯一の例外は鏡の前に立ったシーンで、ここでは鏡面に移るプレシャスはブロンドの美人になっている。

コメントを投稿