every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

いつまでも続くループ  ― ポップスはヒップホップの何処に壁を感じているか?

2016-04-27 | HIP HOP

輪島裕介氏をゲストに迎えた1月に引き続き『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』、『文化系のためのヒップホップ入門』(長谷川町蔵氏との共著)で知られる大和田俊哉を招いた牧村インタビューを聴講してきました。 自分はヒップホップやテクノといったループを基本構造にした音楽から聴き始めて、それが根底にあるので「ヒップホップ入門」というよりも「ポップスはヒップホップの何処に壁を感じているか?」という観点で参加しました。


自分では分かりきっていると思っていることも、他人様にはそうでないこともある。それを自覚するのって大事。 以下、メモ書きです。 斜体にしたところは自分の感想です。


■ループ感 ・16小節と32小節の音楽 → ブルーズは12小節展開だけれども、ループになっていて頭4小節を繰り返す構造 ― つまり、12 + 4小節 ― ということではないか? ・ファンクの一拍目。跳び箱の跳躍台 → 最初の一拍目の余韻で1小節を乗りこなしている。 … YMO時の細野さんが言っていた「おっちゃんのリズム」も同じことを言っているのではないか? 「KRAFTWERKはファンキーだ」というバンバータの言葉は文字通りに受け止め無くてはならない。

参考 ↓

→ バックビートは北米のビート


→ ヒップホップとラップ・ミュージック、定義の違いとは「(コードの進行の)展開がないのがヒップホップで、あるのはラップ・ミュージック」というMM誌説。
いいえて妙だとは思うけれど、例外はいくらでも出てきそうな気がする(けれど喉に引っかかるように出てこない)。ラップはヒップホップであるための十分条件だけれども必要条件ではないということ?

→ 完成された音楽を壊す音楽。街が壊れていく過程でヒップホップが生まれた?

つまりブレイク(Break)。レーガン体制化のN.Y.で大きく発展したヒップホップが日本で根付いた(と俺は思っているんだ)のが小泉体制~安倍体制なこと。

→ アメリカ(N.Y.)では人と人の距離が遠い。隣りにいる人に英語で話しかけても通用するかどうかわからない。だから、日本人の感覚からすると過剰に自己主張しないと受け入れられない。「ヒップホップが持つ喧しさ」

喧しいという形容は個人的にツボ。唸るようなベースだったり、耳に刺さるようなハットを良しとする感覚は確かに"喧しい"。

「ループ感はレコードの針飛びのようなもの。先に進もうとしても進めず元に戻る行き詰まり感の果てに別の(パラレルな)上の次元に行くような感覚がある。その感覚が政治状況に結びつくのではないか?

ヒップホップと政治制ってグランドマスター・フラッシュ(「メッセージ」)とパブリック・エネミーの印象が強烈だから不可分な要素に思えるけれど、それはそういうスタイルが流行したことが何度かある(んで、いま久しぶりにその流行が来ている)。だけれども、N.W.A.がコンプトンから出てきたというのも背景を考えるとそれだけで政治的だと言えるよなぁ。

 

■2011年(『文化系のためのヒップホップ入門』発刊年)から2016年で一番変わったこと

1)ヒップホップの中心地がLAからアトランタに移って、ビートが16から南米のクラーベのリズムを基軸にしたものに変わり、それまでの東西のMCがそれに乗りきれなくなった。

2)フロウの違い。ミーゴス・フロウ。ドレイク以降、歌とラップの境界がなくなった。

一昔前であればシンガロング・スタイルは特別なスタイルという感覚があったと思うし、歌唱とラップは対立項…とまで言わなくても別物という感覚が強かったけれど、いまはもうない。SEALDsのコール&レスポンスがこれだけ世代を超えて受け入れられたのは、それもあるんでないかと個人的に思った。ラップというスタイルへの壁がなくなった。ついでに言えばフリースタイル・バトルが流行ったのもここに遠因があるんでないか? 

オールドスクールの替え歌とはニュアンスが違う歌うフロウはもうフツーだよね。

ライムの踏み方も中間韻と呼ばれるは韻文の1行の中に発生する押韻が中心となっている。


今回、大和田氏を招いたのは

・SEALDsなどに代表されるデモによる社会活動にヒップホップの影響が見て取れること(ミーゴス・フロウなフロウのシュプレヒコール!)

・ループ感覚がデフォルトの感覚になっているミュージシャンが次々と活躍していること上記のような理由が上げられていました。

前者に関しては25年前のパブリック・エネミー「ファイト・ザ・パワー」もワシントン大行進から25年経った時に生まれた曲。つまり、同じ四半世紀という年月が経っていることにギョッ としたりハッとしたり。 或いはプロテスト・ソングという意味ではフォークからも地続きなのかもしれないですね。 それとループ感覚がデフォルトになっている…ということに関しては(当日話題にも出た)Jazz The New Chapterの話と重なる部分が大きいと思います(というかそこから話は始まる)。

 

それはまたの機会に…。


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