「東京クラフトワーク」。
2002年のエレグラ以来6年ぶりとなるリキッドルームでのソロ・ライヴを評して、ピエール瀧はかつてのメンバーをそう評したそうだ。
新曲も何曲か披露はしたものの『LOVEBEAT』の楽曲を中心に組み立てたそのパフォーマンスは、エレクトロニックで質実剛健なビートと相まって、頑固で職人気質なドイツのかのグループを思い起こさせる。
しかし、この東京クラフトワークには元ネタがある。
93年に発表された『dANCE 2 nOISE 005』にKRAFTWERK「Telephone Call」のカバー曲を提供した際の名義がそれだ。
その「Telephone Call」のサンプリングからこのアルバムは始まる。
かつて盟友、永田一直は砂原の1stソロ『Crossover』を指して「Kraftwerkのコンセプチャルな部分に影響を受けているのではないか?」と指摘した。
成る程、その後の飛行機シリーズなどは放射能、鉄道、自動車と来たKRAFTWERKのコンセプトを引き継ぎ、砂原流の消化をしたものだと解釈できなくも無い。
シンセサイザーを封印し、『Crossover』~『Sound Of 70's』でサンプリングによるコラージュというスタイルは完成された。
再びエレクトロニックなサウンドを全面に押し出した『LOVEBEAT』は、KRAFTWERKめいた質感を持ってはいたが明らかな差異があった。
具体的なイメージを打ち出すことをやめたのである。
その後の8年間の沈黙はここに起因するのではないか。
何を語るか、それを探していたのではないか。
90年代は何も語らないという態度が許されていた。
というか伝えるべきモノなど何もないというある種のモラトリアムが80年代への反抗にもなったし、それ自体が新鮮なメッセージになりえた。
砂原が沈黙せざるえなかった2001年以降、何も語らないというのではすまない時代になった。
顕著なのがスチャダラパーで(年齢的なものもあるが)、彼らの近作ではより具体的な言及が増えている。
閑話休題。
もし、この邪推が的外れなものでないとすればサウンド・トラックをいうのは渡りに船だったのではないだろうか。
サントラという性格上、音が紡ぐ物語は映画本編に寄らざるえないから、音楽家はサウンド・デザインに集中できる。
映画は未見なのでここではその物語と重ねて語ることは避けたい。
ART OF NOISEや細野晴臣『フィルハーモニー』の引用や『LOVEBEAT』から追求している極限までそぎ落とした音の意匠など、砂原のサウンド・デザイン力は全く鈍っていない。
どころかますます冴え渡っているかのようだ。
サウンド・トラックである以上仕方が無いのではあるが、この夏のライヴでの手応えを反映させた砂原良徳の紡ぐ新しい物語が聴きたいと切に願う。
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