江戸時代には、伯耆街道の宿場町であった御来屋(みくりや)は、国道を港方面に入るとかつての様子をうかがい知ることができます。
今回は車で通ったので、ゆっくりとこの周辺を撮影しませんでした。
その通りで、「御腰掛の岩入口」の標識が目につきました。
その標識につられて、海の方に行ってみました。
後醍醐天皇が腰をかけたという言い伝えのある岩です。
1333年(元弘3)、後醍醐天皇は、一度失敗した倒幕と天皇中心の政治への野望を捨て切れず、幕府軍に閉じ込められていた隠岐の島から命がけで脱出し、たどり着いたのが名和湊(現在の御来屋港)でした。
このとき、疲れた天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えから、この岩を「御腰掛の岩」と呼んでいます。
30年前までは海中にあったが、漁港の改修により海から引き上げられ、現在では海のそばに祀られています。
次回も大山町を紹介です。
今回は車で通ったので、ゆっくりとこの周辺を撮影しませんでした。
その通りで、「御腰掛の岩入口」の標識が目につきました。
その標識につられて、海の方に行ってみました。
後醍醐天皇が腰をかけたという言い伝えのある岩です。
1333年(元弘3)、後醍醐天皇は、一度失敗した倒幕と天皇中心の政治への野望を捨て切れず、幕府軍に閉じ込められていた隠岐の島から命がけで脱出し、たどり着いたのが名和湊(現在の御来屋港)でした。
このとき、疲れた天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えから、この岩を「御腰掛の岩」と呼んでいます。
30年前までは海中にあったが、漁港の改修により海から引き上げられ、現在では海のそばに祀られています。
次回も大山町を紹介です。
30年前までは海中に有ったとは、海岸線がそれほど後退したという事でしょうが
海中に有るのに、よくぞこの岩だと分かったものですね^^;
でも、座っただけで、祀られるとは流石、天皇ですね。
これからは、ヲアニーさんが座った岩は、私が写真に残しておくことにします(爆)
雰囲気のある地区ですよね^^
近々自転車で走ろうと思っていたんですよ(笑)
たまに昔の風景が写っている写真などを本屋で見たりすることがありますが、
御来屋周辺も見てみたいですね。
境港近辺から潮の流れに身を任せて流されたとしたら、
大体、この辺りに漂着するそうです。
後醍醐天皇もここへ流れ着いたといった感じでしょうね^^
>海中に有るのに、よくぞこの岩だと分かったものですね^^;
おいらが疑問に思ったことと一緒だ(爆)
矢入大滝へ行ったときに、ゆるポタさんが岩を滑って転け、温かく手を差し伸べたことがあったが、
覚えているだろうか
あの岩を「腹(黒)怪長転倒の岩」「怪長援助下賜の岩」と標識を立てたらどうだろう?
このあたりもですし、東に向かって八橋周辺も情緒ある町並みが残っていますね。
フ~~ム、さすがにマシンガンさんは、冷静に潮の流れまで分析しておられますね。
ちょっとラベルが・・いや、レベルが違うなぁ^^;
県西部地区は、醍醐天皇が隠岐島に流されるとき、16歳の内親王もそのお供をしようと
父を追って伯耆国へ入った瓊子内親王や、隠岐を脱出した天皇を船上山に迎えた名和長年など、
後醍醐天皇にまつわる話がありますね。
いつも通過するだけで気付きもしませんでした(^^ゞ
駅と合わせて近いうちに私も行ってみようかな^^
何故マシンガンさんが潮の流れに詳しいかというと・・・。
いや、この話はやめておきましょう(爆)
どうやら、腹(黒)怪長の方が忘却の彼方に行ってしまっていたようだ(笑)
では、この滝を「報恩感謝の滝」と名づけるのはいかが~
この通りは、旧国道だと思いますから普段は通らないですよね。
最近、お魚センターみくりやがこの近くにできたので、気づく機会があるのかもしれませんね。
フ~~ム、マシンガンさんが潮の流れに詳しいとは・・
もしかしたら、後悔士かなぁ・・
おいらは、仕事では後悔しっぱなしなのだが(爆)