皆生温泉は、皆生海岸の浅瀬に湧き出す熱湯を漁師が偶然に発見したのが始まりと言われています。
♪海に湯が湧く 米子の皆生
波の音さえ 寝てて聞く~~
野口雨情が皆生に泊まったときにつくった「皆生小唄」は、この温泉で飲み会があると口ずさみます。
1枚目と2枚目の画像は、漁師が偶然に発見した熱湯を、泉源から安全な場所に集中的に配湯できるシステムをつくった有本松太郎翁の胸像です。
米子市内からまっすぐ皆生道路を海に向かっていくと、突き当たりにこの像が立っています。
皆生の湯は、塩分が混じっていて、ちょっとしょっぱいですね。
有本翁の功績をたたえる説明版。
これによると、かつて米子駅から皆生まで路面電車が走っていたのですね。
私は記憶にありません。
皆生温泉は、日本トライアスロン発祥の地でもあります。
毎年、この海岸からスタートします。
私が小学校のころは、淀江の海岸に海水浴に行きました。
今は淀江海岸は浅瀬がなくなり泳げないようですが、皆生海岸は、夏は海水浴客で賑わうようですね。
以前から思っているのですが、夜の海に浮かぶ漁り火も機会をとらえて撮ってみたいと思っています。
先ほど見てきました。
やっぱり・・(笑)
ただ、本文の「とりあえず打ち止め」というのが気になりますが・・(爆)
でも、クラウン・ベリーさんはナントカスライダーまで触手を伸ばされてないので、
きっと物欲病は治りますよ。
毎日3回食後に怪長ワクチンを飲みましょう。1週間で治癒します(爆)
某takesanさんの物欲展示品コーナーは、どうやら狂会怪員は、
そこを見ただけで感染するようですね(爆)
物欲病原菌は、狂会の「呆定伝染病」に指定した方がよさそうです(爆・爆)
またお会いしたときに、クラウン・ベリーさんの収集機材を見るのも楽しみにしています^^
皆生道路をまっすぐ行って突き当たりに、この像はありますよ(笑)
私は、写進化になってから河口方面へ行くようになりました。
路面電車は、大正末期に皆生温泉から米子駅まで開通したそうです。
その後、陸軍米子飛行場(現陸上自衛隊米子駐屯地)が建設されることになり、
資材を運搬する道路と軌道が交差することから貨物輸送の邪魔になるということで、
昭和13年に軌道は撤去されたそうです。
路面電車は、全国の県庁所在地などで何箇所か走っていますね。
法勝寺電車も昭和42年に廃止されましたが、その時代の流れで
そうせざるを得なかったでしょうが、もったいない気もします。
かつては東京も路面電車が走っていて、子どものころに見たNHKのドラマ
「若い季節」では、主題歌が始まると銀座あたりの路面電車が映し出されていました。
高度経済成長期になると、交通の妨げになるので撤去されたのでしょうが、
今は、東京でも路面電車復活の計画があるようです。
いつかボンジュールさんが、山陰が故郷と思っていると言っていただいて、
私もうれしく思いました。
そのホテルは、多分、幸楽園と言ったと思います。
皆生方面を見ると、一番高い建物でしたから、よく見えました。
ボンジュールさんが見た砂浜は、当時建っていたホテルからまっすぐ行くと
このあたりの砂浜ですから、恐らく間違いないでしょう。
幼いころに見た風景は、懐かしいものや美しい自然に出会ったときに思い出しますね。
小中学校の同級生の顔、子どものころに一緒に遊んだ近所の先輩後輩など、
仕事で忙しくしているときでも、なぜか急にあのころのことを思い出してしまうときがあります。
まだ小学校に上がる前だったと思いますが、地域の子ども会で、
皆生の温泉に行って、風呂から上がって寝ていたら、天井の大きな扇風機が
回っていた光景を、皆生に行くといつも思い出します。
真夏の景色も良さそうなところですね。
実は、妄想が現実になってしまいました(笑)
怪長さんの思った通りでした(爆)
これで打ち止めです。
年に1回は撮影会に出席したいと思っております。
全然知りませんでした。
なんか見て見たいですね~
2枚目の構図が素敵ですね
こんな像があるとは知りませんでした。
いつも河口側専門なので(笑)
ただそのホテルもなくなってしまったとのこと。。。
あまり詳細は覚えてませんが、長時間汽車に乗って夜に到着し、米子駅から親戚のトラックの荷台でホテルに行ったと覚えてます。
次の日、砂浜を見た覚えもありますが、その砂浜がここだったのかも知れませんね。(笑)
やっぱり、nasukaさんもそう思われますか(笑)
実は、このところ被写体に迷っているのですよ。
ナントカスライダーや50-150mmのズームレンズ、
50~135mmの間に単焦点レンズを約20mm刻みで5本持って、
物欲の塊にならないと写欲も湧かないのかなぁとこのごろ思ったり・・(爆)
でも、昨日は大山もきれいに見えたので、江府町方面へ行ってきました(笑)
皆生温泉も足湯ができましたか。
皆生は、431を境港方面に通り過ぎるのがほとんどで、
なかな立ち寄るまでいきませんが、また被写体になるものを調べて行ってみます。
ヲアニーさんのスタイルになってますね~~
皆生の町も、歩いてみると面白い被写体がたくさんあるかも・・・
温泉街も、風情があっていいですね。
ココの公園に、新しく足湯ができたと聞いて、
一度行ってみなければ!と思っているところです。
実は、この銅像のことは以前から知っていましたが、
今回写真を撮って初めて有本翁のことはわかりました。
鳥取県西部に住んでいながら、恥ずかしい限りです^^;
「皆生小唄」の作曲者は、地元の方だったのですね。
東光園は、皇族も泊まる由緒あるホテルですよね。
10年ほど前に鳥取県で行われた、たしか育樹祭だったと思いますが、
皇太子夫妻が行啓のときに宿泊されました。
板ワカメは、おいしいですね。私も、ときどきあぶって食べています。
酒のつまみにもいいですし、ご飯にふりかけてもおいしいですね。
これからも、ときどきは皆生周辺の便りもお届けしたいと思います。
ご丁寧にコメントをありがとうございました。
いきなり皆生温泉の生みの親が出てきましたね。
有本家には兄と同級生がいて、おぼろげながらその
人の顔を思い出しました。懐かしい皆生小唄も出て
きましたが、この唄の作曲者が長兄と音楽仲間で、
当時ちょこちょこと我が家にも来ていたことを
思い出します。因みにその人は今もあると思いますが
東光園の跡取りでした。
先日皆生の兄から淀江のワカメを送ってきました。
写真を見させてもらいながら皆生の海の匂いや、松林の風の音やら
四感で故郷を懐かしんでいます。故郷は遠きにありて思うもの・・・ですね。