竹原市の町並み保存地区シリーズ最終は、この保存地区にあるお寺の紹介です。
町並み保存地区に3箇所のお寺があります。
まずは、長生寺です。
1587年(天正15)小早川軍に敗れて竹原に逃れていた伊予の河野通直が病没したのを悼み、小早川隆景が建立し、寺領として二百石を寄進して開山したお寺だそうです。
↓照蓮寺です。
この寺の下に井戸があって、鯉が飼ってありました。
江戸中期から後期にかけて竹原の文化センター的役割を果たし、当時の文化人の遺墨も数多く残っているそうです。
↓お寺ではありませんが、「かかえ地蔵」です。
狭い坂道を少し上ると、この地蔵があります。
幟に書いてある「おんかかかび・・」の願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願い事が叶うと言われています。
私も抱えてみましたが、願い事を言う余裕などありませんでしたね。
やっぱり、箸より重いものを持ったことのない30代では、身体能力が低いのでしょうか(爆)
だれかさんは、軽々と抱えていましたが・・
↓最後は、西方寺です。
町並み保存地区の高台にあるこの寺は、市内も一望できます。
一見城郭を思わせるような壮大な石垣があり、そこを上ってみました。
本堂横の高台に位置する普明閣。1758年(宝暦8)の建築です。
まるで、清水の舞台のようですね。
普明閣から見た竹原市内。
ここから市内が一望でき、竹原市を訪れた人は必ずここへ上るという重要な場所です。
↓パノラマ合成してみました。
大きく見るには → こちら
以上で、竹原市町並み保存地区のレポートは終わりです。
ごらんいただき、ありがとうございました。
あっ!翌日行った鞆の浦がまだ残ってました
町並み保存地区のレポートに満足していただいたようで、ありがとうございました。
今年は、2月にクラウン・ベリーさんともお会いできて、
思い出に残る一年でした。
今年は、もう1回くらいは定期総会を開きたかったのですが、
また来年にお会いできる機会を設けたいものです。
takesanさん、ゆるポタさん、よろしくね(笑)
クラウン・ベリーさんは、年末年始はご実家にお帰りになるそうで。
また英気を養って帰ってきてください。
クラウン・ベリーさんもよいお年をお迎えください。
尾道は、狭い登り坂の路地を挟んで家が建っていますが、
ここ竹原は、尾道ほど急傾斜地に家がそんなに建っているというのは
感じませんでしたね。
お寺はいずれも少し高台にありますが、米子の粟嶋神社の階段や、
nasukaさんも今年登られた京羅木山頂手前にある胸突き八丁の
階段と比べて、いずれも段数はそんなにありません。
でも、町並み保存地区やお寺巡りをして、さすが三十代でも疲れましたね~(爆)
この日泊まったホテルで飲んだお酒がうまかったですね(笑)
たまたま井戸の中を出歯亀したら鯉が泳いでいて、撮ってみました。
金網のぼけと水に映った空とが、ちょっと変わったように写りました。
でも、やっぱり普段の行いがよろしいからでしょうか、エヘン!(^^)!
山陽地方や太平洋側は、雪も余り降らないのでうらやましいですね。
今日の朝の出勤時は、車に積もった雪を下ろして、家も早めに出ました。
明日で今年の仕事納めですが、まだ家の中を掃除してないので、
年末は写進化活動はできそうにありません^^;
来年は、こういう町並みも撮ってみたいです。
年の瀬になって、コチラに伺うのは今年最後になりそうです。
今年は怪長さんともお会いしましたし、楽しい一年でした^^。
来年も元気で写進化活動をしたいと思います(笑)
良いお年をお迎えください^^。
この町も、尾道よろしく坂が多いんでしょうかね??
階段づくしに圧倒されます。
ヲアニーさん、全部登ったんですか??
やっぱり、30代だし、若いなぁ・・・(笑)
すばらしいですね~
来年はこうゆうカットが撮りたいです。
冬の間は被写体がないので
こゆう保存地区とかよさそうですね。
ゆるポタさんも西方寺が気になりますか。
私も、町並み保存地区ではここが一番興味を引かれましたね。
長く連なる土塀と石垣は、寺というより城のような感じで、
普明閣は天守閣のようにも見えますね。
寺なのに、石垣があるんですか。
白壁に囲まれた、階段といい、寺らしくない造りが興味を引きます。
ええ、旧家や高台にある寺にトレッキングしたら、
さすがの30代でも疲れました(爆)
>金網がボケているのだと思いますが、この地区の瓦模様を連想されるように撮っておられるのが流石です。
エヘン!(^^)!
鯉の写真に注目してもらいましたか。
じ・じ・実はこの模様は帰ってPC見てから気づいたのですよ^^;
金網模様を瓦模様に結びつけたボンジュールさんがさすがですよ。
鯉の写真が良いですね。
金網がボケているのだと思いますが、この地区の瓦模様を連想されるように撮っておられるのが流石です。