自然の中で考えるマガジン 

岡山県鏡野町とみ山荘からのメッセージです。

保身と捨て身。

2017年10月11日 22時10分16秒 | Weblog

衆議院の選挙が近い。わたしたち有権者は老いも若きも投票に行こう。さあ誰に入れたらいいのかな。例えば私はテレビを見ないので思惑たっぷりの番組から自由でいられる。では何で情報を得るのか、それが問題だ。

自分のいる選挙区のポスターを見て顔と名前と所属を確かめてその演説会に行きじっと耳を傾けよう。そしてできたら質問しよう。ネットで候補者の情報を検索して信条や活動を把握しよう。選挙事務所が近くにあればのぞいてみよう。新人なのか元職であれば当選回数も調べよう。応援している人を見つけたらどんな理由で応援しているのかも聞いてみよう。そして何よりも神経を研ぎ澄まして判断すべきは、何のために当選したいのか、自分のためなのか、日本という国のためなのか、当選のためなら主義主張を捻じ曲げても平気で、不利な現状を組織や特定の人のせいにしていないか、あるいは地位も名誉も金も命もいらずただただ世のため人のためと心底思っているのかを、済んだ心の目で見抜くことが大切だ。

この国では誰がどんな考えであろうと尊重される。意に沿わない人を誹謗中傷しても意味がない。だからこそ有権者全員で国を託すことができる人を選ぶのだ。

今回の選挙結果に関係なく、たとえ勝っても負けても、国のためにその生き方を貫き、捨て身である人、その潔さと強さはきっとみんなが必要とするだろう。

国が抱える例えば拉致や憲法9条の問題などを直視せず、とにかくバッジをつけるのが最優先の保身に走る人、その応援に巻き込んだ周囲の人々もろとも地に堕ちるだろう。


LINEとWeChat

2017年10月09日 20時35分55秒 | Weblog

中国人の多くが利用するWeChatをご存知だろうか。中国ではLINEもgoogleもfacebookも使えない。中国旅行の際はWeChatというアプリを利用する。日本語対応もしていてどんどんアップデートされている。で、何が言いたいのかというと彼らはメッセージを交換する時WeChatを利用するのだが、その時文字ではなく音声入力を使う、という現象の意味を考えました、ということである。

彼らはスマホの画面を自分の顔に向け下部のマイクに向かって喋る。そして喋る。じゃんじゃん喋る。この使い方はLINEでもできるけど日本人はまずしない。音声検索が恥ずかしいという記事を見た気がするが、同じような感覚で自分の喋る内容が周囲にまる聞こえになるのは恥ずかしいからだろうと思う。そして相手の言葉もスピーカーで流れてくるので、それも人に聞かれるのは嫌だという日本人の精神構造を感じる。

フリック入力の達人でも音声入力のスピードにはかなわない。そのスピードと利便性を重視し、空気を読まない奔放さを振りまいて、好きなように生きる、それが心地よいならなぜ我慢するの?とい気質が見え隠れするWeChatでありますね。


made in occupied japan

2017年10月05日 08時03分55秒 | Weblog

子供の頃の自宅の居間の柱にゼンマイで動く柱時計が掛けてあった。一ヶ月に数度ゼンマイを巻き上げる際に気がついた。文字盤の縁に沿って英文字が印刷されていた。made in occupied japan.

占領下の日本で製造された、そうわざわざ明記する時代があったのだ。日本製でもなくアメリカ製でもない製品。

1945年の終戦から1952年のサンフランシスコ講和条約までの7年間、アメリカにWGIPで日本は自虐思想をすり込まれた。昔話の桃太郎さえも子どもたちに侵略を想起させると槍玉に挙がった。しかし、いろんな意見はあっても日本を守ろうとした先人の行為を私は尊敬する。

憲法改正論議が盛んになってきた今、自分の国が好きで誇りを持ち、自分たちが自分の国を守るということを当たり前に考える世の中になる日が近づいていると感じる。


謎の本のナゾ。

2017年10月01日 09時14分22秒 | Weblog

祖母が入院したので約一週間の間に四回お見舞いに行った。

病棟にある休憩スペースは携帯電話の使用が許可されており、飲食や打ち合わせにも利用できるようになっていた。そこにあるソファとテーブルで休んでいるとテーブルの下の雑誌や文庫本に気がついた。その中で「探偵倶楽部」という文庫本があり私の好みのジャンルなので手にして読み始めた。面白い。とそこで見舞いに同行していた母が帰ると言ってきたので本を戻し帰宅した。

そんな感じで次の見舞いもその次の見舞いも私は「探偵倶楽部」の続きを読みたくて休憩スペースへ通った。退院の日が近づいている。私は祖母の退院の前日に書店に行き文庫本コーナーに直行した。目当ての「探偵倶楽部」はすぐ見つかった。これこれ、と手に取り最初のページの出だしのところを読んでみて驚いた。書いてあることが全く違うのだ。何度見返しても記憶にある文章やシーンが出てこない。私は書棚に本を戻ししょんぼりと書店を出た。

退院の日、私は入院費の支払いに行く途中に休憩スペースに立ち寄った。この本の謎を、このミステリーを解かねばならないのだ。私は雑誌や単行本やコミックの下に隠しておいた「探偵倶楽部」を引っ張り出して、文庫本のカバーを表紙から外した。そこには「鬼手 世田谷駐在刑事・小林健」という本があった。

そういうことだったのか。カバーの取れた文庫本に違う本のカバーをつけてあっただけで、誰も指摘するどころかいろんな本などに埋もれて生涯を全うするところで私が謎をといてやったのだ。あの文庫本がどうも本当の自分じゃない気がすると悩んでいたところに、あなたは他人のカバーをつけられていたんだよ、と。