木を見て森を想う

断片しか見えない日々の現象を少し掘り下げてみたいと思います。

民度の生態史観6-武士が不要の世の中だから武士道が生まれた?

2020-12-13 14:14:05 | 民度の生態史観

日本は北朝鮮になりえたか?

アメリカの大統領選挙を追いかけているうちに1か月がたってしまいました。大掛かりな不正は明らかになっているものの、それが大統領選の行方にどのように影響するかは不透明です。ひとまず大統領選挙からは離れて民度の生態史観に戻りたいと思います。

北朝鮮という異様な国があります。国民の大半は飢え、極度な物質的、精神的な不自由に耐え忍んでいるにも関わらず、肥満した首領様がふんぞり返っています。北朝鮮の話題となると、日本も戦前は似たようなものだったとなどという人がいます。確かに戦前から戦中の一時期、思想および言論の自由が大きく制限された時期はありました。しかしながらその期間は極限られており、敗戦がなくとも長期間続いたとは考えられません。軍部による政治への介入という歴史事実は反省すべきですが、一方で国民の側からの自発的な戦争協力の側面もありました。また少なくともぶくぶくに肥満した独裁者を戴くというのは、日本人が育ててきた政治文化とは対極にあるものであったと考えます。江戸時代には、東北の藩では度重なる飢饉で多くの人々が飢え、娘を売らざるを得ないなど悲惨な運命がありましたが、その江戸時代ですら今の北朝鮮のような状況は起こりえなかったでしょう。

北朝鮮では党(1党独裁ですが何という党か忘れました)と金一族への忠誠を示さないと生きていけません。江戸時代では、武士だけですが、忠という重要な徳目がありました。しかし武士の忠というのは北朝鮮の忠誠とは似て非なるものであるように思うのです。

江戸時代が進むと儒教(朱子学?)の影響を強く受けた武士道が生み出されました。その中でも忠という徳目が重要視されました。もともと御恩と奉公が明瞭に目に見えた戦国時代までは、武士はより大きな御恩を求めて奉公先を求めるというドライな関係であったそうです。なのにどうして主君のために腹を切るなどというほどの「忠」という徳目が重要視されるようになったのでしょうか。またそれは主従関係を強化するためだけのものでだったのでしょうか。

Win-Win社会は意外としんどい?

世間にWinをもたらす形で自分のWinを目指すべき、という道徳観については前に書きました。しかし世間のWinをもたらす存在であるということは大変なことです。それは自分に置き換えてみるとよくわかります。自分や家族や特定の人以外に自分はWinをもたらす存在なのか、もたらす能力をもっているのか、もたらす努力を常にしているのか、考えると冷汗がでてきそうです。世間にWinをもたらす存在であるということは大変なことです。料理人はお客がおいしいといって食べてくれることが何よりうれしいといいます。まさに自分が社会にWinを与えたことを実感できる瞬間なのでしょう。料理人でなくても私たちは仕事にやりがいを求めます。様々なやりがいがあってよいと思いますが、多くの人がやりがいのある仕事というのは社会の役に立っていることが実感できる仕事、ということではないでしょうか。その考えると、定年を迎えて急に老け込むこともよくわかります。仕事にやりがいを求めてきた人にとって、仕事を辞めるということは仕事を通じて社会にWinをもたらせる存在ではなくなるということを意味するからです。家族や地域など、自分が役に立てる環境を用意しておくことが必要なのでしょう。

武士の存在意義

百姓や職人はそれぞれのWinを求めて生産に精を出すことが共同体を通じて社会にWinをもたらす行動でした。それは大変ではあったかもしれませんが、確実に世のためになっているという実感はあったのではないでしょうか。商人も三方良しの気概で世間にWinとなるような利の追及をしていました。

武士はどうだったのでしょうか。戦国時代のような乱世であれば戦士としての武士の存在意義は言うまでもありません。しかし天下泰平の世にあって、社会を統べる他より一段高い階級として存在し、大過なく役目を全うすればお家、子孫の繁栄につながるというWinを受けています。一方彼らは生産者ではありません。町奉行や勘定奉行など裁判官や行政マンとして有能な役人はたくさんいたでしょう。しかし多くの武士にとってお城でのお役目はさほど重いものではなかったといいます。勤勉な武士は日ごろから勉学だけでなく武芸の鍛錬も怠らなかったでしょうが、それが世間の役に立たない場合、どのように社会のWinにつながるのでしょうか。武士としての存在が社会のWinにどう結びつくのか懊悩したのではないでしょうか。

忠の行き着く先は義?

忠こそが、社会のWinとして武士が差し出せるものであったのではないかと思います。もちろん忠とは直接的には主君のため、ということですが、主君は社会の庇護者としてWinを差し出しているわけですから、主君への忠は間接的には社会への忠であったと言い換えることもできます。そしてそれを突き詰めたものが、「武士道というは死ぬことと見つけたり」となったのではないでしょうか。社会から得ている高い身分に対して、社会に対する貢献が実感できていなかったからこそ、いざというときに命を懸けて主君(社会)を護るために日々の研鑽を積むことこそが、社会に提供できるWinとせざるをえなかったのではないでしょうか。

上のように考えると、忠の行きつく先には社会に対するWinがなければならないことになります。武士の忠とは単なる主従関係の強化にとどまらず、世間における自らの存在意義だったのではないでしょうか。だからこそ、主君が間違っていると確信すれば、それに従うのではなく死をもって諫めるなどの行為があったのでしょう。

前に、義とはWinに対してWinで返そうとすることに通じ、義を成そうとしないことが恥なのではないかと述べました。武士にとって義を成す、すなわち社会のWinとなる行動とは主君に対する忠であり、したがって不忠は恥となったのでしょう。そうすると忠とは主君に対する盲従ではなく、それが社会のWinにつながらなければいけなかったことになります。日本が北朝鮮にはならなかった理由が見えてくるように思います。