安倍元首相が銃撃により死去されました。日本国民にとっても、平和を志向する世界の人々にとっても、あまりにも惜しい政治家でした。
安倍氏ほど一途に日本を想い、日本のために身を捧げてきた政治家は見当たりません。日本人行方不明者が北朝鮮によることが、陰謀論として扱われていた時から、北朝鮮の犯罪に真っ向から立ち向かい、糾明してきた最初の政治家の一人が安倍氏です。今の日本で日本人拉致について北朝鮮を非難することは誰でもできます。当時、北朝鮮による拉致というのは完全に陰謀論でした。北朝鮮の手先となって北朝鮮のプロパガンダを垂れ流す一部マスコミ、北朝鮮と一体化した一部政党や労組、北朝鮮と共犯関係にあった裏社会勢力などを相手の、政治家生命だけでなくまさに命を賭した闘いだったことは容易に想像できます。それら勢力に手を貸し、安倍氏らの奮闘を妨害する仕組みこそ戦後レジームと見抜き、それと真っ向から立ち向かおうとしたのが、それからの安倍氏ではなかったでしょうか。
戦後レジームとはまさに世界中を食い荒らそうとするグローバリゼーションと一体化したものであったように思います。日本を貶め、国富を近隣諸国に吸い上げさせようと画策する革新を名乗る国内勢力だけが安倍氏を妨害したのではなかったと考えます。新自由主義を推し進めて国富をグローバル企業に吸い上げさせようと画策する自民党内勢力、意図的か否かにかかわらずグローバリズムのいいなりとなって日本解体に手を貸す財務省や文科省、そして何よりグローバリズムの手先となって総力を挙げて愛国者安倍氏をつぶしにかかった大手マスコミたちでしょう。大手マスコミには保守をかかげる某新聞も当然含まれると考えます。安倍氏の闘いは、自身の政策を実現するために働くはずの官僚のサボタージュ、捏造も辞さずに安倍氏を貶めて支持をそらそうとするマスコミ、同じ政党であるにも関わらずグローバリズムの手先となって日本解体に積極的に手を貸す政治家、これらすべてとの闘いであったように見えます。
安倍氏は偉大なナショナリストでした。ナショナリストとは日本が栄えれば他国はどうなってもよいという考えではありません。安倍氏は世界レベルで日本と他国とのWin-Win関係を求めてきた政治家であったと思います。それはグローバリゼーションと戦うすべての国との同盟を可能にするものでした。プーチン大統領率いるロシアとさえ一時協調が可能に見えたのも不思議ではありません。安倍氏の死去を受けて、トランプ大統領の深い弔意、インドやブラジルでの国を挙げて服喪するのは大いにうなづけることと思います。
安倍氏にとっては、日本を完全には取り戻せなかった、横田めぐみさんを含めて北朝鮮による拉致被害者を取り戻せていない中での志半ばの無念の死であったことでしょう。しかし安倍氏がこの世に存在しなければ、今でもニュースでは北朝鮮ではなく朝鮮民主主義人民共和国と呼称され、北朝鮮の犯罪行為はとどまることを知らず、さらにそのことを口にすることすらタブーであったかもしれません。郵政民営化を皮切りとして日本の国富を外資に売り渡す政策が粛々と推し進められていたかもしれません。皇室も存在はするものの何やらよくわからないものに取って代わられつつあったかもしれません。安倍氏一人の力ではなくても、旗頭たる安倍氏の存在があったからこそ、今なお辛うじて日本が存在するといっても言い過ぎではないように思います。その意味でこの混乱の時代に安倍氏のような政治家を持てたことはまさに奇跡であったとしか言いようがないように思います。この奇跡のような功績を日本人一人ひとりが理解し、受け継ぐことは私たちの責務でしょう。
安倍氏の闘いは私たちの戦いでもあります。日本だけでなく世界の宝であった安倍さんを守れなかったことは日本人にとって重い十字架になるかもしれません。幸い安倍氏は多くの後進の政治家を育ててくださいました。私たち有権者にできることはそれらの政治家への積極的な支持、だと思います。どの政治家を支持すべきかしっかり考えることが必要です。中には安倍氏の薫陶を受け、引き立てられてきたにも関わらず、嬉々としてグローバリズムの手先となっているような政治家もいるようですから。
安倍氏のご冥福を祈るとともに、日本人として神となられた安倍氏に恥ずかしくない生き方をすることを誓って合掌。