木を見て森を想う

断片しか見えない日々の現象を少し掘り下げてみたいと思います。

民度の生態史観3-江戸時代に進化したWin-Win社会ー

2020-10-30 09:00:00 | 時事

天下統一

前回に、戦国時代に領主と領民との間にWin-Win関係が構築された可能性や、そのような状態が生まれたのは日本の地形ゆえであるとの仮説を述べました。一方、第2地域の典型とされるChinaにおいても春秋戦国時代という群雄割拠の時代はありましたし、もしかしたらその時代には領主と領民のWin-Winは生まれていたかもしれません。しかしながらChinaはそのような小邦が分立して存続できるような、防御効果に優れる地形ではありません。また大陸にあって、力を持つ周辺諸民族が流れ込んできます。その結果、中央集権的な大帝国化してしまう運命にあったのでしょう。そのような帝国での民度の形成についてはいずれ考察したいと思いますが、日本では戦国時代以降どうだったのかについて思いを馳せたいと思います。

戦国時代の小邦均衡状態から抜け出たのが信長でした。信長は商業の改革を通じた独創的な手法で国力を増強しました。またその過程で鉄砲を手に入れるなどして優位な位置を手に入れました。国力を高めることで兵力を高めるという方向性は他の戦国大名と共通でありましたが、国力を高める手法が画期的であったのでしょう。

信長を継いだ秀吉といえば太閤検地や刀狩りです。検地については前に述べましたが、刀狩も特筆すべき出来事だったのではないかと思います。教科書には刀狩は武士による百姓支配の強化が目的と書かれています。しかし本当にそれだけなのでしょうか。そうだとすると刀狩に対する抵抗がもっとあってよかったように思いますが、刀狩りに対する反乱は一部を除いてほとんどなかったようです。百姓からすると抵抗の手段を奪われるようなものです。なぜ大した反乱もなく、すんなりと刀狩ができたのでしょうか。

Win-Winに加えて社会の安定がもたらされた

百姓と領主の関係がすでにWin-Win関係、そして一定の信頼関係が構築されていたからではないかと考えます。領主が百姓の生産力向上の後押しをするなかで、また検地を通じた領主と領民の間に契約社会が生まれる中で、領主に治安維持を任せるのが合理的であることに気づいていったのではないでしょうか。

前に述べたように治安の維持は豊かな庶民生活のための最も基礎となるものです。当時は貴重な水資源をめぐる隣村との争いや小競り合いなどは日常茶飯でした。自ら武装して治安を守るためのコストは大変なものだったでしょう。下手すると土地や命を失う可能性もあります。百姓にとって、治安維持および司法を領主にゆだねることは、そのためのコストを減らし、生産活動に専念できるというメリットが大きかったと推察されます。

秀吉の治世は長くは続かず、しかし結果として江戸時代を迎え、むしろ小邦均衡状態が冷蔵保存されるような状態が300年近く続くことになりました。戦国時代ほどではありませんでしたが、国(藩)の間には緊張関係がありました。江戸時代は身分が固定され、ひたすら高い年貢にあえいでいたというイメージで語られがちです。もちろん長い江戸時代には不作の年もあったでしょうし、そのような不作どころか飢饉に至ることもありました。必ずしも有能な大名ばかりではなく、領民から収奪して一時しのぎに走る者もいたでしょう。しかし領民を追い詰め一揆をおこされると、お家取り潰しなど、厳しい処罰が支配者側にも下されました。安易に領民から収奪するということが禁じ手であることを大名側はよく理解していたと思います。

江戸時代は頑張りが報われる社会だった?

戦国時代のWin-Winほどは切実ではなかったものの、百姓のWinありきの領地経営という考えは変わらなかったのではないでしょうか。また戦国時代とは格段に平和で安定した時代でした。江戸時代は百姓や町民にとっては、才覚と努力の人が報われる社会であったことが見えてきます。そしてそれが事実であったことは、二宮尊徳ら貧農から身をおこした人物が枚挙にいとまないことで十分証明されるでしょう。

江戸時代とは、様々な分野で技術革新が花開いた時代です。これは頑張りが報われる社会であったればこそです。このような社会で、寺子屋による庶民の初等教育が広まり、一般庶民も読み書きそろばんができるようになったことに不思議はありません。知的欲求が初等レベルにとどまらなかったのは和算、連歌や浄瑠璃が裕福な百姓や町人の趣味となっていたことからも明らかでしょう。

以上のように江戸時代までの日本は大国のChinaとは海を隔てて独立した天下(文明圏)を保つことができ、またその天下は平野の少ない山がちの地形で圧倒的な勢力が出にくかったため、分権的な封建制度が長く続いたのではないかと思われます。そして小邦が均衡して存在していたがゆえに、領主と領民がWin-Winの関係を構築せざるを得なかったのではないでしょうか。持続的な国力増強のためには領主は領民の生産意欲の向上を必要とし、そのために領民が一定以上頑張れば領民も繁栄できるような仕組みが出来上がりました。そのことは裏返すと領民は頑張ればそれだけ報いられる環境にあったともいえるでしょう。そして生産性を高めるための様々な創意工夫による技術開発や教育への投資が一般庶民の文化および知識レベルを世界でも稀なレベルまで引き上げたのでしょう。勤勉を貴ぶ道徳観が貫徹したのは当然でしょう。

西欧では?

もう1つの第1地域である西欧も中近東の巨大帝国からは地中海や大きな山脈で隔てられていました。ただ西欧の地形は日本よりはるかに起伏が緩やかで、防御効果はあまり期待できそうではありません。なぜそのような地形にも関わらず分権的な封建社会が一定程度続いたのでしょうか?西欧は中世までは深い森で覆われていて、虫食い状に人間の手が及んでいたような状態であったそうです。深い森が日本の山脈のように防御効果を持ったかもしれません。ただ森は開発が進むにつれて防御効果を失います。西欧では日本より早く中央集権化し絶対王政が誕生したのはそのためではないかと考えています。


民度の生態史観2

2020-10-29 09:00:00 | 時事

文明の生態史観

 おわかりの方も多いと思いますが、「民度の生態史観」というタイトルは梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」をもじったものです。大学生のころ本書と出会い、強い感銘を受けました。封建制度を経た西欧と日本などの第一地域は巨大帝国が発達したChinaや中東など第二地域と比べて、発展の速度が速かった、というものです。しかしなぜ第一地域では封建制度が成立したのでしょうか。梅棹論では第二地域の周縁部とだけありますが、同じく周縁部でも朝鮮半島や東南アジア、ロシアなどでは見られません。なぜ日本と西欧なのでしょうか。またさらなる疑問として、なぜ封建制度がその後の発展につながったのでしょうか。そして私の個人的経験による独断と偏見を通してみると、第1地域の民度は総じて高く、第2地域の民度は総じて低いという印象があります。

 封建制度とは何かと問いだせば、多くの歴史書を紐解かなければいけなくなりそうですが、ここではとりあえず御恩と奉公で結ばれた主従関係が幾つも層をなし、またその関係に世襲があったものとします。当時ほぼ接点がなかった洋の東西で、詳細に見ると異なる点は多いものの、ほぼ同時期に封建制度として括ることのできる似たような制度が成立したのは何とも興味深く感じます。

 封建制度がなぜ文明の発達に寄与したのでしょうか。思いつくのは競争社会であったということでしょうか。それもあるのかもしれません。しかしここではいったん封建制度とは離れて地形と国の規模から考えてみたいと思います。

地形による支配領域の制約

 さてある領土と領民を持つ国を考えたいと思います。戦国時代の国のようなものを考えてください。その国はほぼ自給的でその国の人口はその国で生産される食糧の量で決まるとします。したがって食糧生産量=人口扶養力です。また戦国時代以前は百姓が農閑期に弓や刀を持って戦をしたとのことですが、単純化のために、兵隊は兵隊、百姓は百姓であったとし、兵隊の数で兵力が、百姓の数で労力が決まり、それらの和を国力とします。すなわち国力=人口=兵力+労力です。また国力のうち兵力に割く割合を兵力係数、労力に割く割合を労力係数とすると、兵力=兵力係数×人口、労力=労力係数×人口です。つまり兵力係数+労力係数は1です。

 それぞれの国は隣接する国を征服して自国をより大きくしようとするものとします。その時に次の2つの仮定を考えます。遮るものがない平野部に隣接する国がある場合、勝敗は兵力の大小で決まるものとします。砦などを造って防御を固めますが、そのために割く人員は兵力とみなします。そうすると戦の勝敗は、結局兵力の大小で決まります。

 国と国との間には山脈や海という天然の防壁が存在するときは、攻めるほうが不利になります。このような障壁を超えて戦をするために余分にかかる兵力を防御効果とします。すると、兵力(攻撃側)>兵力(防御側)+防御効果でなければ攻撃しても征服することはできません。防御効果は急な山や渡河の難しい川ほど大きくなります。したがって山脈など超えて隣国を征服するには隣国との兵力差が防御効果以上となることが必要となります。

 上記のような仮定の上で、同じ平野に複数の国が存在する場合を考えると、兵力の多寡が周辺の国を征服するか、逆に征服されるかを決めるので、長期的な成長は無視しても短期的な兵力増強が必要となります。1つの平野の中に国が複数存在しても、短期的に優劣がきまるので、1つの国に征服されていくことになります。そのようにして、1つの平野や盆地が1つの国に征服されてしまうとどうなるでしょうか?

 隣国とは防御効果の大きい山脈などを隔てて接することになります。隣国との国力=人口が同等であれば、兵力係数を高めて兵力で優位に立つのは難しくなります。したがって労力を増やして人口扶養力を増やすことで人口=国力をまず高めるという長期的戦略が必要となります。このように考えると、山がちの日本では1つの勢力が抜け出して強い中央政権をつくることが難しいことがわかります。戦国時代のような小邦が相対峙しながらも一定の均衡の上に共存する状態が出来やすかったのでしょう。

支配者と被支配者のWin-Win関係

 領主としては、隙あらば攻め入ろうとする隣国に対して一定の兵力は置く必要がありますが、長期的な国力の成長を考えると、労力係数も高めたい。労力係数と兵力係数のバランスが必要でした。そこで生産性の向上が至上課題となるのです。多くの戦国大名が信玄堤のような治水事業を行ったことからも明らかです。

 それだけではありません。長期的かつ持続的な生産力増強を考えると、収奪ではなく領民(百姓)の生産意欲の向上こそが重要となります。この時代はまだ、可耕地がすべて開墾されていたわけではなく、百姓たちは近隣の国に逃散することもあったということです(百姓から見た戦国大名、黒田基樹)。こうなると国力はがた落ちです。領主側としては百姓に領内に定着してもらってご機嫌に生産活動をしてもらう必要がありました。

 北条早雲ら多くの戦国大名らの取った施策もまさにそこに気づいていたことを示唆しています。彼ら先進的な戦国大名により、中間搾取者が排除されて領主による領民の直接支配に変わっていきました。検地によって、年貢は一種の契約に基づいたものとなりました。もちろんそれは甘いものではなかったでしょうが、年貢として納める分以外は百姓の取り分となる、今でいうインセンティブが働く結果となったのは間違いありません。そのことはつまり、百姓にとっては創意工夫して頑張れば報われる社会になったということを意味します。

 百姓が生産に精を出してくれれば国力増強につながるため、領主にとってはWinです。一方、年貢で納める以上の生産量が百姓の取り分となることが保証され、治水などを通じて百姓の側の繁栄を後押しするものであれば、そのような領主を戴くことは領民にとってもWinです。このようにして、領主と領民のWin-Win関係が生まれたのではないかと思います。そして被支配民にもWinが期待できることが、頑張れば報われる、という生産意欲につながり、その後の発展の起爆剤となったのではないでしょうか。

 このような領主と領民がWin-Win関係を構築できるような小邦が分立できたのは、上に述べたように、一強が出にくい地形によるものと思われます。加えて第2地域の大帝国の力が直接及ばないということも不可欠でした。島国で山がちの地形は、しばしば日本が持つ地形的なハンディキャップのように言われますが、この地形こそが日本の発展を生んだのではないでしょうか。


民度の生態史観1

2020-10-28 18:00:00 | 時事

発展途上国の現実を見て

 日本人の民度の話に入る前に、私が日本の民度を含む民族性に関わる歴史に興味を持ったきっかけを書きたいと思います。大学院生の頃1年ほど、とある東南アジアの国で過ごしました。日本よりすごく遅れた国、というのが最初の印象でしたが、どのくらい遅れているのかよくわからない不思議な印象を受けました。いまではそれがある意味普通なのだとわかるのですが。周りを見れば、恐ろしいほどの貧困、犯罪、不衛生の蔓延した社会でした。人口の半数以上はまともに初等教育すら受けられず、最下層からの脱却の希望のほとんどない淀んだ社会でした。貧困層は健康で文化的な最低限度の生活にはほど遠い生活をしていました。

 話はそれますが、その時気づいたことは、国民の人権を守るのは結局のところ国家権力である、ということでした。貧困層が教育、医療、衛生、治安などのすべての面から政府から放置され、そこにはギャングによる支配がありました。同国人によると地元暴力団(外国のそれとのつながりは不明)の縄張りとなっていて政府が立ち入れない領域になっている、とのことでした。

 国家権力とは人権を侵害するもので、国家権力を制限することが人権尊重につながり人々はハッピーになる、というそれまで私が信じてきたリベラル世界観が完全に覆された瞬間でした。実際、当時の西側先進国から評判の悪かった強権的な支配者ほど、同国人からは支持を集めていました。少なくとも治安は維持されるのです。治安が不安定なことほど庶民を苦しめるものはないのです。治安が保たれることが、健康で文化的な最低限度の庶民生活を維持するための必要条件であることを皮膚感覚で理解しました。治安を保つことができる確固とした国家権力が確立されていることはその必要条件です。その国家権力が国民の人権を尊重するか侵害するかは次の段階なのです。

日本はなぜ先進国になれたのか?

 歴史には全くの無知であった私は、いったいこの国は日本よりどのくらい遅れているのだろうかと考えたものです。高度経済成長期、終戦直後、戦前などどの時代の要素も含んでおり、どの時代と答えは見つかりませんでした。自動車や冷蔵庫、エアコンはもとよりパソコンなどもお金さえあれば普通に手に入りましたし、中流以上の人々(人口比ではとても少ないのですが)は皆携帯電話を持っていました。一方でそのような現代文明の恩恵に全くあずかれない、まさにディッケンズの小説に描かれているような下層階級の人々が同じ視野に入るのです。インターネットで世界とやり取りする人のすぐ横には文字の世界からも取り残された人々がいました。近代の最先端と近代の入り口はるか前で歴史が止まってしまったような世界が隣り合う不思議な世界でした。そして実はそれが多くの発展途上国の現状であることに後になってわかったのです。

 そのような国々と距離的にはさほど離れていないのになぜ日本は先進国になれたのか、という疑問を抱き始めました。当然、明治維新に行き着きます。日本から司馬遼太郎の著書を随分送ってもらって読みました。しかしなぜ日本が明治維新を成しえ、近代化ができたのかについては謎のままでした。坂本龍馬らの天才的な人物の関与も大きかったでしょうが、それだけでは説明できないように感じました。幸運が大きく左右したことも間違いないと思います。

日本が植民地化を免れたのは幸運によるもの?

 日本は当時の帝国主義の列強から最も離れた国でした。そのため列強が日本周辺の国々で行ってきた手口を学習し、備えることができました。しかしながら、日本が幸運にも植民地化を逃れ、近代化に成功できたのは地の利だけによるものではありませんでした。非常に限られた情報を基に、当時の国際環境を理解できる人が日本にはいました。その俊英の言葉を理解でき、徳川体制の下でも日本という国を考えることができ、日本が独立を保ち発展していくためにはどのような仕組みを作るべきか考えることができる人々が多数いました。当然幕府の高官にも勝海舟のような人はいましたが、多くは決して身分の高くない下級武士でした。

 政治的なリーダーだけではありません。産業革命にはいたっていませんでしたが、織物など多くの分野で工場制手工業が発達していました。商業でも、北海道の昆布が上方で普通に手に入り、江戸で上方の下りものが手に入るような流通システムが出来上がり、独自に為替システムを発展させるなど、高度に発達した商業システムが出来上がっていました。また化学肥料こそありませんでしたが、干鰯や金肥など施肥や千歯扱きなどの農具の発展により農業生産性は向上していましたし、メンデル遺伝学や交配こそ知られていませんでしたが品種改良も行われていました。朝顔などは江戸時代に多くの品種が生まれています。また、当時世界で最も人口の多い都市の1つであった百万都市江戸の人々は上水道から水を得ていました。

 上記のように、維新後の動力革命による産業革命こそ外から持ってこられた技術ではありましたが、それを直ちに自分のものにしていく土台はすであったのです。ちょうど、戦国時代の日本人が火縄銃を瞬く間に自分のものとしたように。庶民の衛生観念や識字率など、文化レベルも高く、幕末から明治初期に日本に来た外国人は皆、驚きを持って記述しています。

社会の土台ができていた

 このように見ると、幕末にはすでに日本は世界の最先端とはいえないとしてもそれに近い進んだ文化レベルを持っていたことがわかります。社会の文化や学問レベルを三角形に例えてみます。頂点はある社会のエリートたちの文化レベル、底辺は一般庶民の文化レベルに例えます。様々な社会を比較するとその頂点の高さが高い社会もあればさほど高くない社会もあります。一方、頂点と底辺が近い社会もあれば非常に離れている社会もあります。

 江戸時代末期の日本における三角形頂点の文化や学問のレベルはヨーロッパと比べてさほど低かったわけではありませんし、底辺の文化レベルはヨーロッパと比べてもむしろ高いほど、非常に高かったのです。すなわち頂点と底辺が高いレベルで近いところにある社会であったといえるのではないでしょうか。当時の一般庶民の識字率は日本が非常に高いレベルにあったそうです。お隣のChinaは確かにその頂点は日本と同等であったかもしれませんが、一方で底辺の人々は文字にも縁のない生活をしており、頂点と底辺の距離が極めて離れた非常におおきな三角形の社会であったのでしょう。

 このように日本が地の利を生かして幸運を生かして近代化に成功した理由は、つまるところその土台ができていた、ということだと思います。頂点だけでなく底辺の文化レベルが高かったのは近代化に成功した大きな要因だったのでしょう。そうすると日本が近代化に成功した理由を考えるためにはなぜ庶民の文化レベルが高かったのかについて考えなければならないことになります。


同調圧力から見るアメリカ大統領選挙

2020-10-26 18:00:00 | 時事

予想以上にトランプ氏の票が伸びた前回のアメリカ大統領選挙

民度の話からいきなりそれますが、前回話題にした同調圧力に絡めて、来月3日に投票日が迫った米国大統領選について考えてみたいと思います。報道ではトランプ大統領の劣勢が伝えられています。しかし、なんとなくその報道を鵜呑みにできないものを感じます。前回の大統領選でも事前の支持率の報道と実際の得票数はかなりかけ離れていて、その要因が様々なメディアでその要因が分析されていたように記憶しています。私の考えではトランプ氏の支持率が実際の投票行動より低くなる社会背景は全く変わっておらず、同様のことが起こると予想しています。

支持率調査と実際の投票行動では何が違うのでしょうか。Chinaや北朝鮮やロシアでは知りませんが(一般人による投票があるのかすらわかりませんが)、普通の先進国では投票は完全に匿名性が保証されます。一方で支持率調査はどうでしょうか。アメリカの支持率調査がどのようになされているかは知りません。日本では自宅の電話にマスコミを名乗る人から政治思想に関わる調査を受けます。そこに匿名性の保証はありません。もちろん誰を支持しようが、何党を支持しようが、いわゆる先進国では思想信条の自由が保障されています。本来であれば支持率調査と投票行動との間に乖離はないはずです。それでは何がこのような乖離をうむのでしょうか。私はここに同調圧力を強く感じます。

ポリコレは同調圧力

前に同調圧力として危険視すべきものにポリティカルコレクトネスを挙げました。いわゆる差別用語やヘイトに通じる言葉は排しようという運動です。もちろん身体的な性質や血統など、自分でどうしようもないことについて、侮蔑的に表現する言葉は下品ですし、排すべきだと思います。しかしある特定の思想の押しつけを感じさせるポリコレも少なくありません。

私はとある小さな大学で教員をしています。自分の研究テーマや学生の教育に大きなやりがいと喜びを感じていますし、このような仕事の環境を与えてくれる大学には感謝しかありません。ですので今のこの職を失いたくありません。

テレビによく出演されているような無敵の大学教授しかご存じない方々には意外に思われるかもしれませんが、普通の大学教員というのは教育および研究能力に関する評価をとても気にして生きています。社会貢献についても評価される大学も多く、社会的評判もすごく気にします。教育・研究能力がないと評価されるとだんだん大学に居場所がなくなっていきます。それは当然のことなので、私たちは一所懸命教育研究に取り組みます。社会的評判も然りで、ハラスメント常習者や差別主義者と思われることは致命的です。どこに地雷があるかわからない今の時代、できれば政治的に目立ちたくないのです。

私はポリコレには賛同しませんが、ポリコレを求められれば、自分の主張と違っていても従います。ポリコレに従わない理由をうまく説明できず、あるいは理解してもらえず、差別主義者という烙印を押されることを恐れるからです。ポリコレに関する強い同調圧力に屈しています。

トランプ支持はポリコレに反する?

トランプ氏の支持者についても同様のようなことが言えるように思います。トランプ氏は常識にとらわれない、ポリコレをものともしない破天荒な言動でしばしば人々を驚愕させます。そのためトランプ氏に対して「差別主義者」とのレッテルが貼られることも多いです。しかし実際には、トランプ氏は不法移民を取り締まったり、暴動に対して強硬な姿勢で臨んだり、いわゆるリベラルな姿勢とは程遠いものの、トランプ氏自身の差別を是認するような発言は見当たりません。

トランプ氏が差別主義者であるという明白は証拠がないにもかかわらず、多くのマスコミ(NHKを始めとして日本のそれも含む)は、トランプ氏を差別主義に凝り固まり合理的な判断ができない人物と印象付けようとしているように見えます。したがって、アメリカにおいて(多分日本でも)トランプ氏を支持表明することは、一種ポリコレに反するような空気があると推察します。

社会的評価を気にするとトランプ氏支持と表明できない?

実際に報道などでトランプ支持を表明しているのは教育レベルや収入レベルがあまり高そうではない人々、保守的で差別主義に凝り固まっているように見える白人(男性)がほとんどのように見えます。すごく失礼な物言いですが、社会的な評価をあまり気にしなくてもよさそうな人が多いという印象です。

なぜ社会的な評価を気にする人はトランプ氏支持を表明しないのでしょうか。マスコミ等によって行われる支持率調査の匿名性が保証されることに対する危惧があるのではないでしょうか。自宅の電話番号から個人を割り出すことはマスコミなら簡単にできるでしょう。そして多くのマスコミがトランプ氏イコール差別主義者という報道姿勢を鮮明にしている中、社会的評判を気にする人々がトランプ氏支持を表明するのは大きなリスクを伴うと思います。差別主義者とレッテルをはられる人物を支持するという情報が漏れて、自分も差別主義者の烙印を押されかねないというリスクです。マスコミ等に示される支持率よりも得票が多かった理由はこのようなところにあると考えています。

これと同じ現象が昨年のイギリスのEU脱退の国民投票でした。EU脱退に賛成なのは高齢者と低所得者とされており、脱退支持は劣勢だったように思います。しかしふたを開けると脱退派の勝利でした。EU脱退と移民難民問題を絡めて議論されることも多く、ポリコレ的にはEU残留が正しかったのでしょう。ポリコレを気にしなければならない人々には、たとえ脱退支持でもそうと表明しにくい空気があったのでしょう。社会的評判を気にしなくてもよい高齢者や低所得者に賛成表明が多かった理由が見えてきます。

同調圧力が隠すトランプ氏支持

上記のように考えるとトランプ氏はマスコミの予想よりはるかに多くの得票を得ると予想できます。一部が暴徒化した黒人デモに対応して、治安の強化を訴えるトランプ氏の断固とした姿勢も、サイレントマジョリティーからの支持を取り付ける結果になるのではないかとも推察します。選挙結果は投票箱を開けてみなければわかりませんが、同調圧力に隠された隠れトランプ氏支持がどの程度あるのが楽しみです。

最後にトランプ大統領に対する日本のマスコミのあげつらい方は目に余るものがあります。個別の政策や政策の一貫性、戦略等については批判すべきは批判すべきでしょう。ただアメリカという国および民主主義への敬意があるならば、アメリカの国民によって支持された大統領に対する最低限の礼儀をわきまえることこそが私たちが心しなければならないことだと思います。知識人ならば、良心的ジャーナリストならば、トランプ氏の知性や人間性を揶揄してなんぼ、という風潮に何とも言えない違和感を覚えます。


民度の生態史観 序

2020-10-25 18:00:00 | 時事

日本人の民度は高い?

2020年というこの年に、China発の武漢コロナによって私たちの生活は激変しました。教育行政の実験的な取り組みのために、ある年代の人は彼らに何の咎もないにも関わらず「ゆとり世代」と呼ばれることがあります。たった2人からですが、ゆとり世代といわれると馬鹿にされているような気がする、と聞きました。武漢コロナ(以後コロナとします)の前に教育を受け終わった人々をプレコロナ世代、最中あるいは後に教育を受けた人々をコロナ世代あるいはポストコロナ世代などということになるのでしょうか。

感染率や死亡率から見て、日本は世界的に見てコロナ禍をよく食い止めた方だとされています。その要因の1つとして日本人の民度が挙げられています。民度という言葉がこれほど注目を集めたことはないように思います。民度とは何なのでしょうか。日本人の民度は本当に高いのでしょうか。

 民度を辞書で調べると、国民の知的および文化の水準とありますが、よくわかりません。そもそもそれをどのように定量比較できるのかもわかりません。しかし、一般に民度という言葉であわらされることは少し違うように思います。所かまわず立小便をしたり痰を吐いたりする、ごみや吸い殻のポイ捨てをする、は誰もが民度の低い振舞いだと思うでしょう。困っている人を見たら手助けする、財布を拾えば交番に届ける、など民度が高い振舞いだと恐らく誰もが思うでしょう。震災等の被災者が整然と水や食料の配給を順序良く待つ姿も民度が高いと感じます。

上で挙げた例から考えると、民度が高い低いとは、自分の利益と周りの人々の利益の折り合いをつけて振舞えるか否かということを意味しているように思います。このように整理すると、日本では何点、米国では何点と定量評価できないものの、欧米先進国、発展途上国、Chinaなどの他国を見た経験からも、間違いなく日本人の民度は高い方にあると思われます。日本人が自分と周りの人々の利益の折り合いをつけた振舞いを通してコロナの第一波を乗り切ったのは事実ですので、日本人の民度が高いというところからスタートしたいと思います。

民度が高いのは同調圧力が強いからか

 なぜ私たちは「民度の高い」振舞いができるのでしょうか?幼いころから自制心を鍛えられているのでしょうか?日本人は人目を気にする人々だからでしょうか?この話題になると必ず出てくるのが同調圧力です。日本は同調圧力が強い社会だから、マスクをつけるような同調圧力が働く云々です。同調圧力とはあるグループ内において、多数意見に合わせるような誘導や圧力を指すそうです。

しかし日本人の民度の高さを同調圧力の強さに求めるのは、少し考えると間違っていることがわかります。同調圧力はどこの社会にもあります。このコロナ騒ぎでもあったように、マスクをすることが受け入れられない国があったということです。個人レベルでは着けたほうがよいとわかっていても、周囲の目が気になってつけられない国があるとニュースになってましたが、これこそまさに同調圧力ですね。

日本で同調圧力が特に強いかどうかについては日本では100、米国では70などと定量比較できないのでわかりません。米国などで平和なはずのデモが暴動や略奪に変わるのも一種の同調圧力だと思います。Chinaの文化大革命やカンボジアのポルポトの大虐殺などは同調圧力が極端な形で行きついた結果でしょう。また、私は、ポリティカルコレクトネス、いわゆるポリコレというやつも同調圧力そのものだと考えていますが、ポリコレについては別の機会に取り上げたいと考えています。

民度の高い低いと同調圧力が働く働かない、あるいは強弱は関係ありません。同調圧力はどの社会にもあります。問題となるのは同調圧力が民度を高める方向に働くかいなかということではないでしょうか。日本人の民度の高さには同調圧力とは異なる説明が要りそうです。

はやくバスに乗るには?

かつてとある発展途上国のバスターミナルで始発バスに乗ろうとしたとき、バスのドアが開くや否や乗客が殺到し、押し合いへし合いしてバスに乗り込もうとするのを目の当たりにしました。最初は紳士的に順番通りに乗ろうとした私もこれでは絶対乗れないことに気づき、押しのけられないように渾身の力で場所を確保してバスに乗ったことを思い出します。皆が行儀よく乗った方が楽に安全に乗れるし、早くバスターミナルに来た順番で席をとれば公平です。でも周りの乗客は自分を押しのけてでも乗ろうとするし、次のバスが時間通りに来る保証はない、となればやはり押し合いへし合いしながら乗車するしかないのかもしれません。

みんなお行儀よく並んで順番に順番を待つことができるは、そのように振舞ったほうが、早く確実にご飯にありつけることを知っているからではないでしょうか。ただし、たとえそれを知っていたとしても、そのように振舞えるためには条件があります。周りの人々も順番抜かしなどせずに同様にお行儀よく振舞うことが期待できなければなりません。そうでなければ、行儀よく振舞う人だけが不利をこうむることになりかねません。まさにゲーム理論ですね。お行儀よくすることで全員が早くご飯にありつけるということを、周りの人々皆が知っていることを全員が知っていることが不可欠なのでしょう。

民度の高さの根っこを探ります

 それではなぜ、日本人は皆がお行儀よくふるまえば早く炊き出しにありつけることを知っているのでしょうか?小学校から給食当番などを経験させて教育に組み込まれているからでしょうか。家庭のしつけでしょうか?そういったことも多少はあると思いますが、もっと根が深いところにあるように思えてなりません。簡単な答えはないと思いますが、日本の歴史の特殊性からその答えを探っていきたいと思います。

決して日本人すげー、とか他国より優れているとかいうためではありません。日本人の民度が高いことが日本人の武器となるなら、それがどのような社会で形成されてきたかを知ることは私たちが目指すべき社会へのヒントとなると思うからです。