“ 人間の感情を人格化しない ”
これまで
” 怒り ”を持つことの正当な理由をもらえているからと、感情の解放を先んじては来たけれど、
いつもどこかで「自分の怒りを正当化できたとして、その後味の悪さを味わった後で、それ以上ナニを齎すために起きたのだろう?」と追うことをやめられなかった。
やっとやっと
怒りに身を委ねることを赦す行為を、やめる時に至ったように思う。
そのためのギフト。
それはなんと大きなギフトだろう・・・
わたしはそれをこそ、ずっとずっと求めていたのだから。。。
「怒り」をはずさぬことには、大気圏突破は不可能とでもいうのか
今更ながら、やはりMM